違います。
たとえば美味しい食事をしている時に仮説や発見は必要ありません。
それと同じことが言えます。
ではどこに感動があるのでしょう?
それは一緒に食事をとる人間にあるのです。
モチーフやテーマ、それに準じたストーリー、シナリオ全てにいえます。
それらには面白さや感動はありません(錯覚することはあります)。
つまり面白さや感動は、自分以外の人間がいて、
その人間の意識を(無意識にしろ)意識するところにあるのです。
そしてその意識には仮説も含まれます。もちろん発見もあるでしょう。
意識が意識を呼び、共感が共感を呼びます。
それが読者にも伝わるのです。
わかりましたね?