どんな質問でも誰かがマジレスするスレ61
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>306の件ですが
使用したすべてのファイルを自動的にクラウドにバックアップしてくれるアプリ『Filelize』
https://www.lifehacker.jp/2014/09/140902_filelize.html
というのがかつてあったようですが、もうなくなったみたいです
ただ最近使ったファイルは
C:\Users\ユーザ名\AppData\Roaming\Microsoft\Windows\Recent
にショートカットが保存されていくので
このフォルダを監視してdropboxフォルダに実体ファイルをコピーするプログラムを書けば、
「最近使ったファイルをiOSから閲覧できるようにする」は実現できそうです 英語の件ですが、
文型(動詞型)の第四文型(SVOO)や第五文型(SVOC)を、
それ以外の文型よりも何かマニアックなものだと思ってきましたが、
多数の動詞型を持つ動詞ほど実は日常的な動詞なんですよね?
日本語でも、日常的な動詞ほど多様なコロケーションを持っているように、
英語の動詞は、それが日常的であるほど、多くの動詞型を持ち、
また多くの句動詞を形成しています
SVOOやSVOCの存在は、マニアックの逆で、その語がいかに日常的であるかを示している
今更ですがそういう気づきがありました
この多くの文型と句動詞を持つ日常的な動詞を集中的に学ぶことは
地力を鍛えるのに相当有効でしょうね? >>308の件ですが
稀少度の高い、それゆえに単純なコロケーションしか持っていない語が難解語とされ、
大学受験でもいわゆるレベルの高い大学用にまとめられているのって少し違和感がありますね?
難解語を読めるかどうかは、ただそれを暗記しているかどうかにかかっていて、
そこに活発な知性の働きはありません
一方日常的な語の使いさばきには敏活な言語的知性が求められます
もっとも、外国語の理解の範囲を超えて、
抽象度の高い文章を理解するには、言語的知性とはまた別の知性が求められますが 693 :名無し物書き@推敲中?2017/01/31(火) 23:55:56.63
英語の形容詞の訳に「〜で」「〜て」
というものがあることに以前から違和感があったのですが
これは叙述用法で使われる場合の訳だと気付きました
と書いた者ですが、
副詞的補語(adverbial complement)もこの形になると気づきました
out of breath(息を切らして)、out of order(故障して)、
など意味だけを見ると「叙述用法の形容詞句かな?」と思うものでも、
副詞句のものがあるんですね? globe(地球、球体)という語を見て、
そうか、地球という意味は球体という意味よりもかなり後に生まれたんだな・・と思いました
おそらくコペルニクス以降でしょう
日本に天動説が伝わったのはいつなのでしょうか?
そのことはどのような社会的な動揺を引き起こしたのでしょうか? >>309の件ですが
日常的な動詞を深く勉強するために
英語の例文を語ごとにバラバラにしたのを訳文に従って正しい順序で並べる、
要するにduolingoみたいなことが出来るアプリを作ってみました
duolingoより改善したのは,語の最初の文字だけ表示するなどして伏せ字に出来ることです
duolingoは、正解にはたどり着けるものの、負荷が少なすぎて自分で書けるようにはならない感じがあるので。
それで思ったのですが、
文を組み立てるというのは、決まった、ただし何通りもある規則に従って皿を並べて、
その上に適切な食材を載せるようなものですよね?
その際分かりながら皿を並べて、分かりながら食材を載せることが大切だと思います
そして文を理解するというのは、テーブルの上に皿が並んだ状態を再現するということです
この皿を並べる運動は、目には見えませんが、
実際にはこの運動こそが、語学においておそらく最重要な要素なのではないでしょうか?
意味が分かったかとか、正しい文章を組み立てられたかよりも、
運動をうまく出来たのかが、言語活動においてもっとも根本的な問題なのだと思います
そうですね? 「〜に適う者は誰一人存在しない」
のように否定によって程度の大きさを表現する文のことを何と言いますか? >>313の件ですが
よく考えたら文法を勉強するのに難しい単語を覚える必要は全くないですよね?
よく英語は2000語で日常会話は出来るとか言いますが、あれは事実だと思います
ただし2000語の意味をただ覚えるだけじゃなくて、そのそれぞれの語の使われ方に知悉するならば。
日常語でも難しい語でも、使われ方には違いがないので、
一度日常的な語を使って文法的な地力を固めさえすれば、
あとはただ覚えればいいだけの話ですし、
地力が固まっていたらその作業もかなり容易なはずです
英語を使えるようになるための勉強法ってこの方向ですよね? 最近、小説を書いていると自分が何を書いているのかわからなくなって発狂しそうになります
もちろん何を書いているのかわからないというのは
どうしてこんなものを書いているのかわからないという意味です
暑い中クーラーもつけずに書いているせいでしょうか?
書いていると苛々して人を殴りつけたいような気になるんです どうしてこんなものを書いているのかわからない、とのことですが
そこまで苦しんで書く理由は何ですか? >>317
わかりません
書く他にやりたいこともないんです >>319
そうですね
書いてることがエキサイティングに感じることもあるんですよ
いつもいつもそういう感じならいいんですけどね 英語の件ですが、
英語には「動詞型の先祖返り」とでも呼びたい現象があります
SVOで言えることを、SV+Mで言ったり、
SVOOで言えることを、SVO+Mで言ったりするものです
「先祖返り」しなければ少ない語数で言えるのに、
なんでわざわざ「先祖返り」して語数が増やすんだろう?
この言い方必要ある?
と思っていたのですが、
「動詞型の先祖返り」は、目的語の副詞句化とも言えます
副詞句は前置詞が名詞を導くので、名詞だけの場合よりも意味がはっきりします
これが「動詞型の先祖返り」の目的でしょうね?
語を増やす分、解釈から多様性を取り去り、文の精度を高めることが。 >>316
ついでにその気分も書いてしまえばいいのではないか >>313の件ですが
duolingoみたいな語句選択式にすると、
たとえ伏せ字にしていても消去法で推理できてしまい、
英語の問題というよりパズルの問題みたいになりがちなので
最初にノーヒントで英文を入力→不正解だった場合に選択用の語句を表示という形にしました
やっていて思うのは、
日本語を見て英文を書く、というこの方法以上に効果的な勉強法はなかなかないんじゃないか、ということです
例文は、もちろん辞書から採ります
日本国語大辞典引きたさで購入したもののもてあましていたカシオの電子辞書が、ここにきて大活躍しています
例文も横断検索できるので。
というか、電子辞書にこの問題出題機能を付けたら、モンスター英語勉強マシーンになりますね? >>323の件ですが
やっていると間違えるたびに気づきがあります
たとえば「ベッドから起きる」をsit up in the bedと書いてしまい(正解はsit up in bed)
熟語の中で使われる場合、bedに冠詞はいらないんだなと知ったりします
でも、このフレーズが含まれた文を問題に追加した時点では、そのことに違和感を持たなかったのです
問いにして、答えて、間違えることで、はじめて気づいたのです
このような仮想的な間違いを体験することで気づきを得るという方法は、
いろいろ応用できそうな気がしますね? 電通が産み出したVRブレスト!
インタラクティブな情報整理やアウトプットが可能なCOMOLUで新しいアイデア出し支援
https://techable.jp/archives/78655
この製品に実際に効果があるのかどうかは分かりませんが
(なんとなく、「思ったほとじゃないな・・」ってなりそうなにおいがしますが)
方向はこっちですよね?
仮想空間を気づきのために活用するという。 小説を読む際、意味は分かるけど文章自体が頭に入ってきません。
文体や言い回しを味わいたいのに単体的な意味だけでとらえてしまいます。
説明が難しいですが、どうしたらいいのでしょうか 少なくとも構想初期には、作品の中に意味を見いだそうとする態度は良くないんじゃないかと思いました
意味を見いだそうとした瞬間から、手垢の付いたモチーフやパターンが近づいてきて、
それは自分の中の「面白さ」の規範に抵触するので。
「どうすれば面白くなるか」と問う、見方によっては俗っぽい態度の方が正しい道の気がします
出来上がった作品が、何の意味も見いだせないようなものだと、それも問題ですが。
しかしそうなると、どの段階で意味を考えるのかという問題が出てきます
最初から最後まで面白さを追求したとしても、意味はおのずから籠められるという気もします
(なぜなら、おそらく意味があるからこそ「面白い」と感じているので)
一方、ちゃんと考えた方がいい気もします 勉強や研究はもちろん必要ですが、
それは「面白いと思う自分」に対する教育で、
「作る自分」は、「面白いと思う自分」の声に従ってさえいればいいのではないか、とも思います
勉強したことを、作る自分が直接適用しようとすると、面白さに抵触するばかりか、
不純でもある。
何かそんな気がするのです >>329の件とも関連しますが
ふぁーっと考えていて、
既存作品のモチーフと似ていると気づいても「○○のような感じ」みたいに書かない方がいいですね?
既存作品のイメージが近づいてきたら、それを追払うくらいがちょうどいいと思います
以前は、独自性を出すためにも、既存作品も検討して、
どこが同じでどこが違うかを自覚しているべきだと思っていましたが、
そういうことをすると作ることがつまらなくなる気がします
他の作品と比べない、他の作品の名前すら挙げないくらいがいいのかなーと。
まぁこれは人にも依るでしょうけれども・・ 自分の中の受け手と自分の中の作り手を分けて、
批判的、分析的な思考の作業を自分の中の受け手に担当させ、
想像的で冒険的な意志の作業を自分の中の作り手に担当させるのがいいのでしょうね? 日本人死ね!と書いても差別を感じないのに
朝鮮人死ね!と書くと差別を感じるのはなぜですか? >>334
それはあなたが日本人だからですよ
もしも外国人が「日本人死ね」と言っていたとしたら、差別を感じるはずです
日本人が日本人死ねと言うのは、
何らかの根深い問題があって、それを解決することが難しい、でも何とかしたい!そうだろ?オラッ
みたいな意味なのです
分かりますね? 最近2in1ノートが気になっています
タブレットにもなるWindowsノートです
タブレットにもなるということは、外付けキーボードを使えば画面を縦置き出来るということです
これはPDF文書閲覧時に非常に都合がいい。
またモノを書く時にも、一般的な書籍のような縦横比の縦置き画面の方が向いているのではないでしょうか? >>337の件ですが
縦置きした時に電源ケーブルが干渉する可能性もありますね?
縦置きで使うことまでちゃんと考えているのか。
いずれにしろ、15インチ2in1ノートは現状dellかhpくらいしか出してなくて、
もう少し成熟を待った方が良さそうです
アップル以外のアメリカ企業のPCはなんか事務機っぽくて、肌に合わない感じがあるので
今や中国企業の方が、アメリカ企業よりもイケてる感出てきてますね? 中高で6年『英語』を学びながら日本人が英語苦手な理由 →これなに?
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1531829136/
けんもうでこんなスレが立っていました
学校英語、受験英語は、テストで点数を取るためのもので、
英語を使えるようになるためのものではない、
という認識と問題意識が高まってきたように思います
少ない単語と多様なコロケーションからなる「英語の一階」をとことん学ぶ学習が、
時代に要請されているのでしょうね? 学校英語、受験英語の問題点は、
それ以外の勉強法を知らないので、大人になってもそういう勉強を続けてしまう、ということではないでしょうか?
自分は最近やっと「これあかんやつや」と気づきましたし お前が自分を人物としてこれあかんやつやと気づくのにはいつまでかかるかな >>341
そこは「人間として」の方がいいのでは?
「人物として」って、自分はあなたの創作の登場人物じゃないんですよワラ 進歩するわけ無い人間で気付くことはないから大丈夫
永遠に反吐が出る馬鹿のままいられるから気にするな 英語の件に限りませんが、
意識しないまま内面化してしまっている価値観、
社会に流通しているが、しかし実際には検討の余地を多分に含んでいる価値観を、
あらためて考えてみることはすごく大切ですね?
日本は特に、質の悪い娯楽作品や自己啓発本に書かれているような「いいこと風」の言葉が溢れていて、
ものを作る時にも、そういう「いいこと風」に落とし込もうとしてしまいがちです
なぜなら、他に知らないから。
でも、そういう「いいこと風」の言葉に巣くうのは、ろくでもないものなんです
「いいこと風」の言葉が、ろくでもないものの培地になっている
ですから作り手たるもの、社会に流通している型に、インターフェイスに安住するのではなくて、
その向こう側に一歩でも踏み込みたいものですね? 角が立つので具体例はあげにくいですが・・
人生の真理を語ったるで?みたいな自己啓発っぽい邦楽がわりと最近目立ちますよね
でも、若い人が人生の真理を語ることはできないんですよ
若い人にできるのは、何が本当かを判別することです
真実性についての感覚には、年齢は関係ないので。
真実性への感覚を発揮したなら、決して「いいこと風」にはならないはずなんです
苦しみや不快の吐露だったり、問題の提示や告発に留まり安易な解決に飛びつかないことだったり、
口触りは決してよくないけど、何かしら本当のことがここにはあると受け手が感じるような、
そういうものになるはずです
もちろん、真実性を追っていった結果、「いいこと風」ではなく「いいこと」にたどり着くこともあるでしょうけど。
そういうものには、「いいこと風」のように、
受け手を安易に自己陶酔させたり、受け手の自己愛を肥大化させたりするような作用はなく、
清澄に真実性をたたえるものになるでしょう 自分はNHKラジオのミュージックライン(邦楽を流す音楽番組)をよく聴いているのですが、
「いいこと風」のことを語らなければいけないという強迫観念に近いものが広まっていて
(根底にあるのは商業的要請でしょうけど)
その結果ひどく画一化が進んでいるような、そういう印象を受けることがあります
もちろん全ての楽曲、全てのアーティストがそうではないし、だから聴き続けているのですが 老人がそんな小4レベルの思考をしてることを自戒しろ 小学生レベルの浅見を自戒しろ
ならいいんじゃない? >>347の件ですが
「いいこと風」の一つは、「引き寄せの法則」みたいなやつです
といっても、ある種の本を読んだことはありませんが
ポジティブなことを言っていれば、そういうことが起きる的な、一種の呪術ですよね?
言葉の表向きの前向きさにそぐわない強欲と浅慮がにじんでいて、
当然ながら、そこには誠実な熟慮もなければ、本当の勇気もありません
そして、真実性は皆無です
この種の呪術に冒されている人は、いわゆる有名人の中でも少なくありません 「伏線」自体が面白くないといけない。時々「これは伏線だな」というのが判ってしまうものがありますね。
そういう時は、伏線そのものを面白くすることで、隠してしまうんです。(君塚良一)
とストーリーの書き方botが言っていました
これは実感しますね?
物語の中で機能しているように見えると、それはもう「成立したもの」と判断して、
考慮すべき対象から外してしまうので、読者からは見えなくなる。
最近やった推理系ゲームでそういうテクニックを使っているものがありましたが
推理小説ではおなじみなのでしょうね? もっとも伏線にも、それが伏線として記憶されることで機能するものと、
伏線と気づかれないようにすることで機能するものがありますね?
伏線であることを隠して後の驚きとして機能するものは、
インパクトは大きいですが、知ってしまった途端にほとんど価値が失われるようなところがあると思います
伏線として記憶されることで機能する伏線は、オチを知ったとて価値が失われることもなく、
繰り返しその響きを味わいたくなるものです
芸術性という観点に立つなら、伏線として記憶される伏線の方が正統なのでしょうね? >>331の件ですが
「どこかで見たようなやつ」を追い払うのって、自分の中の面白さの感覚しかないですよね?
意味を求める姿勢は、「どこかで見たようなやつ」を正当化する場合すらありますから 自分の中の面白さの感覚を満足させる創作をすることは、
自分自身を更新し続けるような苛烈な作業ですよね?
「まぁこのくらいでいいやろ」みたいな妥協を、面白さの感覚は許さないので。
だからこそやるべきだし、だからこそ怖いのだと思います
その怖さは、死ぬことの怖さと同じです
死んだことがないから、その向こうの体験を知らないから怖い >>323の件ですが
問題を自分で作っているとめっちゃ時間がかかるので
市販の単語帳から文を抜き出すコードを書き、例文を抽出するようにしました
100問程度だった問題が、一気に7000問以上になりました
これだと基本的な動詞の多様なコロケーションを集中的に学ぶ、という当初の計画が一見しにくくなりますが
そこは検索で問題の方を絞り込むことで実現しようと思います
その場合、例文はあればあるほどいいんですね
辞書は例文の塊なので、辞書から抜き出せばすごいことになりそうです
ただ文になってない語の羅列も辞書には大量に含まれているので
プログラムではしにくいんじゃないか、と思っていましたが、
単純にピリオドの有無だけでも相当の精度で探せそうです 色気のある文章を書かれる作家さんを教えてほしいです(性的な意味ではなく、詩的、情緒的といった感じの)。できれば純文学ではなくミステリーや歴史など硬派な文体が多いジャンルで書かれている方でお願いします。 >>360の件ですが
自分でかなりの時間をかけて問題を作ってた時より効果がある感じがします
あといわゆるボキャビルも、こういう方法でやればいいのでは?
と気づきました
ボキャビルというのは本を見ながらひたすら単調な暗記を繰り返すものだと思っていたのですが
日本語文を見て英文を書こうとする、という強い関わり方をしたら、
力技で覚えようとしなくても記憶に残りますよね
特に、同じ表現を使った複数の文を書こうとしてごらんなさいな?
記憶に残らないわけがありません >>329の件ですが
子ども達に“つまんない”って言われたくないじゃないですか。そっちのほうが先ですよ。
世の中で一般的に言われているような“こういうものを訴えたい”とか、
そんなもので作品を作っても下らないものです。
そういう風にテーマを簡単に抜き出せる物はみんないかがわしいと思いますね。
と宮崎駿監督botが言っていました
これもそういうことでしょうね?
宮崎監督も、おもしろければ、何の意味もなくてもいい、と言ってるわけじゃなくて、
本当に意味のあるものにたどり着くために、おもしろさの門をくぐっていくんだ、
と言ってるのでしょうね? おまえのように誰からも煙たがられるのが最悪パターンでな >>364
相変わらずあなたは悪口のパターンが一つですねプゲラ >>360の件ですが
動詞は(他の品詞もですが)活用するので、原形以外が含まれた例文を検索で見つけるには
活用形と原形の対応表を作らなくてはなりません
その方法を探っている時にE-DICというDVD付き書籍を見つけたのですが
これはすごいです
http://rubyu.hatenablog.com/entry/2013/02/28/231627
こちらのサイトの抽出スクリプトを使うことが前提ですが、
まず、英和辞典には全ての品詞の変化形が含まれているので
検索用の変換表をここから簡単に作ることができます
そして例文の数が半端ない。
一般的な英和辞書から抽出しても、例文の数は1万もありません。
しかもフォーマットがまちまちなので、使えるようでいまひとつ使えないのが辞書なのです。
一方E-DICは品質の高い、しかもフォーマットが整備された例文が、13万。神の上か?
これだけあればスーパー英語勉強マシーンを作るのに十分です
やばいですね? >>365
事実を言われてるだけだ
おえがどれだけお花畑脳で自画自賛しても一向に誰一人もおまえを支持せず一人ぼっちの気色悪い日記のまま変化しないだろ
いつまでたってもお前が学べないだけの話だ >>367
逆です。
ここで行われているゲームは「支持を集めること」なんかではないのです
そもそも「支持」って何ですか??政治家ですか??
ここで行われているゲームは、質問と回答を通して、
世界の知られざる側面を発見するというものです
「支持」を集めようとすることはむしろ反発見的な態度です
分かりますね? >>368
そんな会話は皆無でおまえがひとりぼっちの気持ち悪い日記書いてるだけですが 誰一人寄り付かずお前のその願望が満たされない
それが不支持だ
皆から煙たがられる居ないほうがいい人間であるおまえに問題がある
それがこのスレによって得たおまえの発見だ >>369
逆です。
質問スレで質問をする。そして回答がない。
だとしたら意味がない行為なのか?
違います。
何度も述べていますが、問いは発するだけで意味があるのです
問いを発した時点で、必要な行程の半分は済んでいる、というと言い過ぎかもしれませんが、
まったくの間違いにはならないと思います
分かりましたね? あっそ そのまま人との関わりから何も学ばずこれからも壁との会話頑張れよ 久しぶりに映画を観ました
ここのところゲームばかりしていたので。
映画を観ていて、ゲームをすることで以前よりも感情移入する度合いが上がったのでは?
と思いました
特殊な操作系の採用で、
プレイヤーとキャラクターを深いレベルで同期させることに成功したデヴィッド・ケイジの作品や、
映画や小説に比肩したクオリティでキャラクターの内面を丁寧に描く『LIFE IS STRANGE』シリーズをプレイしている最中には、
自分とはまるで異なった人間になったかのように感じる瞬間がありました
そして「あっ、こういう感覚なのか…」と腑に落ちる体験がありました。
自分と異なる人間になる感覚は、従来のどのような芸術にもないものです。
映画や文学では、受け手はあくまで第四の壁の外側で、観察者の立場に留まります。
どんなに感情移入しても、登場人物=自分自身、と感じることはありません。
しかし、優れたゲームはそれを実現します。
そういうディープな感情移入をさせるゲームをしてきて、再び映画に帰ってくると、
前とは何か感触が違う。
前よりも登場人物に感情移入する度合いが大きくなっているようなのです。
ゲームをすることで開発された感情移入能力が、
他の芸術の見方をも変容させたと、言えるかもしれませんね?
ゲームという最新の芸術形式で感覚を拡大することは、
今を生きる人間の義務だと言うと、言いすぎでしょうか? >>372
逆です。
芸術というのは基本的には一方通行なものです
しかしあなたか百年前の作家の作品を読む時、
はたして作者とは何の交流もないと言えるのでしょうか?
既に亡くなった作者とは、会うことも、感想を届けることもできません
しかしそれでも、そこには確かに交流はあるのではないでしょうか?
しかもその交流は、非常に濃密で高度なものである場合もあるのではないでしょうか?
もっとも高度な交流は、目には見えない種類のものではないでしょうか?
分かりますね? お前が誰からも顧みられる価値の無いことしか書けない魅力が全く無い人間なのは嫌というほど思い知ったろう
チラシの裏がおまえにふさわしい活動舞台なのに意地になって掲示板に書くなよ お前の方こそ何年無意味なことやってんだ
トリップ君に粘着するのがそんなに有意義なのか どっかでも書いたけど匿名掲示板はコミュニティではなく個人向けのツールなんだよ
他人と関わりたいならリアルでやれって感じ は?
コミュニティーに決まってるだろ
コミュニティーといっても多種多様
匿名掲示板はそのなかでも最も自由なやりとりができる場所
他人に気を遣わなくてもいいからな
個人向けツールとかいってる前時代の老害バカはチラシの そういう意見があってもいいんじゃないの
他人に気を遣わなくてもいいとは思わないけどね
むしろ他人が何をやっていようが気にしなくていいとすら思うね 匿名掲示板がコミュニティであるという思い込みのせいで
多くの利用者が勝手に不快になっている
それだけのことだ
他人を変えるのではなく自分を変えろ どんなコミュニティーでも不快なことはあるよ
むしろ不快であればあるだけ
自分と違う考えに触れているということだから
有益だともいえる
不快になるのが嫌なら
引きこもってるほかないだろうね
それか自分を押し殺してニコニコしてればいい >>382
いや自分と違う考えに触れるだけなら不快になる必要なんてないからね
勝手に被害者面している奴らの頭がおかしいんだよ 無駄にコテを名乗っておきながら粘着されて逆切れする奴とか完全に頭がおかしいからな 議論が紛糾していますが、
色々な考え方の人がいる、ということが大切なのではないでしょうか?
てすから意見が衝突するということは、むしろいいことだと思います
その中から新しい考えや気づきが生まれてくるのですから。 そういう意味で自分が一番警戒するのは馴れ合いでしょうか?
馴れ合いが生産的になることはまずありませんので。
たまに現れて毎回同じような悪口を言ってる人は、逆に馴れ合いを求めてる人だと思うんですよね
でも馴れ合いなら創作板の質問スレでする必要ないですよね? おまえは哀れまれて子供に少し擁護してもらえたのだということぐらい理解しような
>>376が誰の目にも明らかだからだよ
おまえの書き込みのしょーもなさは救いようがない 英和辞典でconfessionを検索したら
confessional psychosis
告白精神病
という語が出てきましたが、"告白精神病"でググっても英和辞典の項目しかないっぽいです
一体どんな病気なのでしょうか? 厭味ったらしいあてつけのつもりなんだろうが
俺がおまえについて言ってることは全部このスレの中の事実だ
>376以外の反応があったかね
自分を正当化して学ばないからおまえはそんな人間になったんだよ
その書き込みだけでもいかにお前が気分の悪い人間かということも表れてるぞ 懺悔強迫(懺悔強迫症候群)ですね
強迫性障害の一種です
自分はこういった悪いことを考えている
こんな悪いことをするかもしれない
という強迫観念にとらわれて
それを誰かに告白(懺悔)することで安堵し
気持ちよくなる精神病です
告白する内容が次から次へと浮かんできて
その内容もしだいにエスカレートしていきます 関われば関わるだけ損にななる人間
お前について重要な事実の指摘が繰り返しされてるんだから受け入れて学べ 懺悔強迫はネットでたまにいますね
ネット配信で最初は顔を隠して配信してたら
それがマスクになり顔出し配信になり
最後には自堕落な自分の生活をすべてさらします
2ちゃんねるでも突然本名を書く人がいますが同じで
隠していたものをさらけ出すことで
隠していたことへの罪悪感がとれ気持ちよくなります
自分のすべてをさらけだした私小説も
そういう承認欲求から来ていると考えられます 客観的事実というものが実際に存在して
お前について指摘される耳の痛い事実は明らかな事実だから
>376の反応をおまえは現実に受けているのだよ
分かるかな
おまえに唯一話し相手になってやってた今はなき彼とおまえは同類だということも合わせて理解できるかな?
全く同じ反応をしてるぞ
彼について言われていた厳しい指摘が彼についての事実でなかったことがあったか
おまえが自分の中に描いてる素晴らしい私像と現実の絶望的乖離がそこにあるんだよ
精神病的に解釈したければその症例を調べるといい
あまりにも退屈な典型だ >>389
実際に辞書を引いた時に疑問だったから質問しただけですよ
逆にそんな嫌みを思いつくってやばいですよね?
ネットで検索しても出てこないような言葉で嫌みを言うって、物知りにもほどがあります
>>390,392
ありがとうございます
懺悔脅迫で検索したら出てきました
非常に興味深い、なんというか文学的な病気ですね しんだほうがいいというフレーズなくしてはおまえの文は読めない ライフイズストレンジとかさ
劣化パクだけどな
バタフライエフェクトアタリで完成されたループものの原点はもっと前の作品にある
前が素晴らしいとかそういうわけじゃないけど
浅い感想になってしまうのが嫌ならドニーダーコあたりの鑑賞からお勧めする >>396
ドニー・ダーコの影響はもろでしたね
あれも大好きな映画なので、冒頭から「まんまやん!」って思いました
>>296で書いたように、色々の映画から引用してると思います
が、それでも、ゲームにしか到達不可能て部分に到達していて、それがとても意義深いと思います
それはデヴィッドケイジ作品でもそうで、
ストーリー的には、もしも映画にしたらB級あるいはC級になると思います(最新作は未プレイですが)
それでも体験的には、すばらしいものです ドニー・ダーコは音楽がまた良くて、
LIFE IS STRANGEはそのへんも踏襲してますね
青春ものは、絶対に音楽は外せないのでしょうね 最新作こそやる価値はまだあると思うが…
ゲーム初心者っぽいな 勝手だけど突っ込み満載のバカバカしい感想を2chで書き込んで突っ込まれても勝手だろ
嫌ならSNSにでも書き込め 文学賞って
受験と同じかなあ
受験みたく過去問として芥川賞レベル
10作描いてそのうちの自信作を出せば通るのかなあ >>399
PCゲームをまたやるようになったのは今年初めにWindows10にしたアップデートしたタイミングで
PS4のリモートプレイをしてみる→PCでゲームするのも悪くないやん?
Steamに手を出す→最高やん!?
という流れなので、詳しい方じゃないのは確かですね
その分感激もひとしおで、
ゲームは今、人類の創造性がもっとも多く投じられている分野だと思ってます
英語を勉強する動機の一つにもなってますし >>366の件ですが
英語アプリをしていて
日本語でも「読んだことはあるけどこれまでに一度も使ったことのない語」がかなりあることに気づきました
一度も口にしたことも書いたこともない語を、必要なタイミングで使いこなすのは難しいので
英語を勉強するように日本語についても日常的に勉強した方がいいのではないかと思います
ただ、問題の形式が問題で、
日本語を見て英語に直す英語アプリのフォーマットをそのまま適用することは不可能です
単に熟語の意味をクイズ的に暗記するのではなくて、
文の中に配置された、いわば生きた形の語と関わる、ということと、
コーパスを使う、という方向性は間違いないのかなーと思いますが
いい形式はないものでしょうか? >>4037作書いてConAとFonBを描いてます。つまり5作になる予定です。
え? 。☆゜星?
彡∩∩ 五角形じゃ
( (`。)b ∩∩ ないの
( ⌒〜っ(`e`)) ?
ι ̄) υyυ)キュウ?
υ`υ__υ`υ__ 10? 文学賞ってあくまで通過点ですよね?
作家として目指すべき未来と現在とを結んだ線の上に載ってくる文学賞を選ぶべきで
文学賞に合わせて作風を曲げてしまうと、その先の軌跡までが狂ってしまうのではないでしょうか? ノーベル文学賞を目指してラノベ作家になっちゃうヤツいるよね 先の芥川賞受賞者はこう言っていました。
「誰も賞を取るために小説を書いていない。」
つまりプロになる人間はそういうことです。 副詞と形容詞を作家の語彙から追放すべきだと主張する人たちもいる。
私は一般的に言って、あくまで何かを描写する副詞や形容詞にこだわり、
読者の反応をコントロールしようとする副詞や形容詞の利用を控えることで、
最高の結果が得られると思う。(ローレンス・ブロック)
とストーリーの書き方botが言っていました
これは深いことを言っているのではないでしょうか? 読者の反応をコントロールしようとする副詞や形容詞しかないのが
安倍晋三の言葉でしょうね? >>412
その逆です。深いです。
>>413
読解力ゼロですね 文学鑑賞とか音楽鑑賞とか芸術鑑賞とか言いますね
なぜか、視覚的な享受というイメージがありましたが
観賞と混同していたのでしょうね? 加藤千恵が出産発表したけど
再婚したのか
シンマなのか
最近全く追ってなかったからびっくりした 村上RADIO
https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/
村上春樹がラジオをするそうです
「村上春樹がずっと続けてきたこと。それは、音楽のように小説を書き、
小説を書くために身体を鍛えること」
この文を読んで、作家というのは街を走ったりしたりしなきゃいけないんだなぁと思っていた
かつての自分を思い出しました
でも、それは村上春樹のやり方で、自分のやり方じゃないではないんですよね?
作家たるもの、自分のやり方を見つけるということがすごくすごく大切なことで、
誰かが語っていた方法をそのままコピーしてなんとかなるというものではないですね 創作文芸板ID導入投票スレ
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/vote/1533450209/
現在創作文芸板でID(ワッチョイ含む)導入に関する議論が行われています。
このスレでは創作文芸板におけるID(ワッチョイ含む)の導入の賛否を問う投票を行います。
投票期間は現在〜8月9日(木)00:00:00.00まで。
要件を満たしていれば運営さんは対応して下さるので、議論を行う為、スレを立てました。
■投票方法詳細
・IP開示、ワッチョイ表示 【IP開示していない投票は無効となります】
・同一IP・IDの投票は全て無効です
(意図せぬ投票の場合、申し出により一回のみ変更可能。同一IP、IDの3回以上の投票は荒らしとみなし全て無効。)
・創作文芸板におけるID導入に賛成の場合
【賛成】 とだけ記入
・創作文芸板におけるID導入に反対の場合
【反対】 とだけ記入 アイデアを練っていく作業はやっぱり手書きですよね?
文字を書くという行為がイメージを触発するので。
たとえばキーボードで「城」と書くのと、手で「城」という文字を書くのとでは、
その行為によって喚起されるイメージが全く違います
何も思いつかない時は、とりあえず手で文字を書いてみればいいんじゃないでしょうか?
そうですね? ただ問題は、何ヶ月かに一度、「やっぱり手書きだな!」って思うものの
そのことを毎度毎度忘れてしまうことです
でも、やっぱり手書きなんですよね・・ 手書きの場合、文字を書きながらその後ろにイメージを見ることができるのですよね
PCだとそういうことはない。
それ以外ない自明の方法に思えるのに、どうして忘れていたのか
怖いですね? >>313
>文を理解するというのは、テーブルの上に皿が並んだ状態を再現するということです
>この皿を並べる運動は、目には見えませんが、
>実際にはこの運動こそが、語学においておそらく最重要な要素なのではないでしょうか?
英語の勉強を通したこういった理解から、
文字という結果にではなく、文字を書くという運動に着目するようになったため、
手書きの新しい側面が見えてくるようになったのかもしれません
ずっと、頭をかすめては捕まえる間もなく霧散してしまうイメージに悩まされてきましたが、
手で文字を書くというのは、イメージのために撒き餌をするようなものですね?
そしてその秘密は手書きの文字にではなく、手で文字を書くという運動の中にこそあるのでしょう やったことはないので分かりません
字を手書きする時にいいのは、少し時間がかかって面倒くさいことだと思います
その分、イメージが喚起される
発声は字を書くよりは作業的に簡便ですが、別の運動性もあると思います 手書きの件ですが、やはりカットアンドペーストがしたいのでapple pencilをぽちってみました
電子デバイスに手書きして良かった試しがないというか、
どれもこれも「準手書き」という感じだったので迷ったのですが
apple pencilは非常に評判がいいので、期待したいところです >>428の件ですが
apple pencilが届いたので、
評判の良いGoodNotesというアプリを使ってみました
まず、手書きで一番欲しかった、領域のカットアンドペーストが付いているのが最高です
手書きしていると、後に引き継いで深めたい情報と、必要なのはその時限りという情報が混在してくるので
これはぜひ欲しい機能でした
あと、一つのiPadの中にノートを何冊も作成できるのが嬉しいです 手で書きながら考える、というよりも考えるために手で書く、
ということをしていると、
自分にとって書くことというのは、
それまで考えたこともないことを、何で文を書いていたら思いつくんだろう?
という驚きから始まっていたと思い出しました
人間というものは原点に帰っていくものですね? 戦いの始まりを表す一文を考えているのですが、適切な表現が見つかりません。
「○○たる一撃を放った」
のような文章をつくりたいのですが
ほら貝、鏑矢、号砲など、しっくりきません。
何かあったような気がするのですが、浮かんできません。
何か適当なものがあれば、アイデアをお借りできれば嬉しいです。 凍り付いた時間に息を吹き返させる、王子のキスのような一撃が放たれた 空白には当てはまりませんが「鬨の声」とか「鯨波」とかも良く見ますね 「たる」の意味を理解するのが先でしょう。
簡単にいうと資格のようなものです。
教師たる者いついかなる場合も道徳的でなくてはならない。
「○○たる一撃」ならば、たとえば「聖人たる一撃」。
聖人としては本来攻撃することはないけれども、
もし攻撃したならばこういったものであるというものです。
しかし戦いの始まりということなので、
たぶん「嚆矢」のことでしょう。
そのままで物事の始まりを意味する言葉です。
使い方は「嚆矢 例文」で検索するといいでしょう。 手書きの件ですが、iPadで手書きする作業が日常的になると目の疲れが気になってきたので
ソニーのデジタルペーパーを購入してみました
紙とペンで出来るようなことをするには高すぎると思い、食指が伸びなかった製品ですが、
Apple Pencilという媒介項を経由すると、突如アリに思えてきたので、思い切ってぽちりました
最初の印象は、管理用アプリに悪い意味でのソニーらしさ(独自性が強く、しかもその独自性が今ひとつイケてないような)があって
やってしまったか・・と思ったのですが、
使っているうちに良さが分かってきました
書き心地はかなり紙に近く、発光しないので長く使っていても目が疲れないし、
ペンに付いたボタンを押せばすぐに消しゴムが使えるので、書いたり消したりが非常に手軽にできます
一つのデバイスに複数のノートを作成できたり、領域のカットアンドペーストができるという、
「紙とペン」に対するアドバンテージももちろんあります
「考えるために書く」という作業するためには、今のところベストに近い製品ではないかと思います
ただ改善して欲しい点はいくつもありますが・・
一番の希望は、カットアンドペーストも消しゴムなみに簡単に使えるようにして欲しいということです
今はわざわざメニューで選ばないといけないので。
「書く・消す・動かす」はペンだけでできるようにすべきですよね?
「動かす」こそがデジタルデバイスの、紙に対する最大のアドバンテージのひとつなのですから 5歳の息子の皮が剥けていません。
知人に聞くと病院で剥いてもらいなさいと言われたのですが、
剥かずに大人になると皮がいっしょに伸びてしまい一生結婚できないかもよとも言われました。
お母さんが剥いちゃだめですか?
それとも病院に行った方が良いですか?
皆さんは何歳から剥いてもらいましたか?
いつまでに向かないといけないのでしょうか?
遅くなって剥くと何か息子との関係が気まずくなるのが怖いです。
何も知らないうちに剥きたいのですが…
小説家志望の人なら博学でちゃんと論理的に答えてくれると思って質問してみました。
子育て小説を書いてるみたいな解答をお願いします。 気色悪い、クソみたいな親だな
子供からしたら余計な世話
自然に剥けるからほっとけ
日本人男性はほとんどが仮性包茎じゃボケ (赤ちゃんというような歳ではなく)5歳っていうところがまた絶妙に抵抗感を喚起するところで
元質問もおそらく釣りではないでしょうか?
作為がありすぎると感じます
もちろん断言はできませんが・・ >>321の件ですが
「一億人の英文法」によると、他動詞は対象(目的語)に働きかける意識が強く、
一方自動詞は単なる動作で、たとえ副詞句で修飾しても、
他動詞ほど働きかけのニュアンスが強くなることはない、ということでした
たとえば他動詞のshootは撃って命中させるところまで意味するが、
自動詞を使った動詞句shoot atは、何かに向けて撃つことまで意味するが、それが命中するところまでは意味しない、など。
「一億人の英文法」は、良本「英語リーディング教本」の対極のようなアプローチの本ですが、
これもとてもいい本だと思います
全く異なる複数のアプローチから同時に学ぶということが、英語の勉強には大切なのでしょうね? ある思いつきを得たのですが
それからアイデアノートを読み返していて、その思いつきの核となるキーワードを、
自分が以前に何度か書いていたことに気づきました
おそらくアウトプットしたからこそ思いついたのでしょう
思いつきに必要なのは、ある程度のアウトプットなのでしょうね?
アウトプットを伴わない思考は、あまり生産的にはなりにくいのではないでしょうか? あと、一人で、何の刺激もないままうんうん考えるっていうのも違うんじゃないかと思ってきました
そこには自分が他の作品やパターンを安直に利用することを警戒する気持ちがあったのですが
「考えるために書く」ということをすると、
刺激は本当に単なる刺激にすぎないのですよね
想像や思考を起動させる最初のきっかけにすぎない
それなら、刺激はむしろ積極的に摂取していくべきで、そういう体制を整えることが必要なんじゃないか。
ずっとパターンというものを警戒してきたのですが、
パターンというのは踏襲すべきものではなくて、刺激にすべきものなのではないでしょうか?
そうした時に、パターンはもっとも生産的になるという気がします 子から見て、継母の連れ子は何と呼ぶのでしょうか?
義姉や義妹かと思ったのですが、
血が繋がっていないだけで、実際に家族になるのだから違いますよね? 自分は海外作品志向だったのですが、というのも、
外国人は才能が巨大だし、作品の強度が高いし、作り手として誠実な人も多いので。
でも日本人の作るものにも、問題の在処を早い段階で探し当てるという強みがあるんじゃないかと最近思ってきました
問題の在処を早い段階でかぎあてて、面白がるんだけど、
深い部分には手が届かなくて、精度はあんまり高くないみたいな
その分へんな方向に枝がやたら茂っていくみたいな
何かがあることは分かるんだけど、何があるかは分からない
それが日本人の一つの傾向ではないでしょうか?
才能の大きさとか、作品の強度とか、作り手としての誠実さとかでふるいをかけると海外作品ばかりが残りますが
嗅覚の良さなら、日本人も負けてはいないですよね? >>447
なんだろう
問題を早い段階で探し当てるっていうのが具体的によくわからんけど
独創的なはやりものを探すのはうまいんではない
周辺の人間のぶれた口出しが多すぎてテーマがぶれて
イエスマンを集めて作った結果
人の意見聞かずに突っ走ってつまらない作品になることが多い気がする ちょっと前にネットニュースで格闘技の結果を読んだ時の事で質問があります
第一ラウンドの1分30秒でKOで試合は終わったのですがその記事には「秒殺KO」と見出しがありました
個人的に「秒殺」ってのは「1分以内」という認識だったのですが何か明確な定義があるのでしょうか?
これが「1分30秒」が「秒殺」なら秒表記さえすればなんでも秒殺なんじゃ?って思ってしまいました >>449
もう少し人が賑わっている所で聞き直すのでこちらは閉めさせてもらいます >>449
時間感覚は個人差があるので、1分以内が秒殺に該当すると思う人もいれば、
2分程度まで秒殺と呼んでもよかろうという人もいます 文章を自分の中から引き出すのって、それに先行する文章ですよね
文章は読み手のためのみならず、書き手自身のためのものでもあるのでしょうね? 旧日本軍の憲兵というのは、
それまで警察官だった者達がある時憲兵に組み入れられたのでしょうか?
それとも普通の警察とは別に憲兵が設置されたのでしょうか? フランク・ローズ「のめりこませる技術─誰が物語を操るのか」に、
報酬系に関わる神経伝達物質ドーパミンは
報酬が出たり出なかったりする時にもっとも多く放出されるということが書いてありました
スロットマシンやパチンコ、また言うまでもなくソシャゲのガチャ(書くのも嫌な、吐き気のする言葉ですが)なども、
このような動物の脳生理学的特徴を利用しているわけです
ふと思ったのですが、ツイッターや5chなどをついつい見てしまうのにもこの報酬系が関わっていますよね?
報酬(何らかの価値のある情報)が、あったりなかったりするので、嗜癖と化してしまう
そういう脳生理学な認識があるだけでも、ついついネットを見てしまうことは減ると思います
もちろんドーパミン自体が悪いわけではなくて、
報酬系は生産的な営みにおいても中核的な役割を担っているはずです
ただ、健康に働く場合と、不健康に働く場合がある
その差は何でしょうね? たとえば今している「考えるために書く」という活動でも
報酬(アイデアや気づき)は出たり出なかったりしていますが
そこにアディクティブな傾向はありません
むしろ、いつも抵抗を感じます
心を少し鼓舞しないとできません
そういう活動が嗜癖化することはない
そう考えると、スロットマシンやガチャや5chやツイッターが嗜癖化するのは、
おそらく自分の能力が関与する部分が少ないからかもしれません けんもう板で、プレステ1のゲームはレトロゲームなのかどうなのか、という話題を見ました
2Dと3Dをレトロゲームとそうでないものの境界と見る人が多いようです
一方最近のインディーズゲームには2Dのものも多くて、見た目だけだとレトロゲームですが、
プレイ感覚はまさに「今のゲーム」です
昔のゲームと、見た目は昔風の「今のゲーム」とは、何が違うのか。
「今のゲーム」の一番大きな特徴は、プレイの結果が蓄積されていくところだと思います
見た目は昔っぽいアクションゲームでも、死んで全てが無になることはない
昔のゲームは、プレイヤー自身のスキルのみが蓄積されていたが、
今のゲームではパラメータも蓄積される、と言えるかもしれません
また死を、出来れば避けるものとしてではなく、ゲームを進めるための必須条件として捉える流れが、
今の潮流のエッジにあるようです
ゲームが扱うテーマやモチーフも昔と今では違います
描写の中に社会を含むゲームでは、必ずといっていいほどLGBTを扱っていたり。
今昔のゲームのそのような違いは、つまるところ設計思想の違いから来ているのでしょう
作り手がゲームの中で実現しようとする構造や、抑えておくべき基準が、時代によって変遷していく。
これは文学においてもそうですよね?
ゲームほどその違いは見えにくいですが、昔の作品と今の作品では、「作られ方」が違うはずです
しかしどう違うのでしょうか? 選考途中だが編集者から書評のメールが来た
これってある程度選考進んでたら普通のことなん?
とりあえず帰ったら返事のメールはする >>462
あんまない。
編集が作者と連絡を取りたいと思ってわざわざメールしたんだと思うよ。
理由は様々で、すでに受賞が決まっている(これはごくまれ)、
編集が作品に惚れ込んで作者に指導しながら次回の賞に応募させる、
他にどんな作品を書いているのか見せて欲しい、
作者はどんな人か気になる、など。
なんにしろプラスに考えていい。やべー編集じゃなければ。 物語を語るための媒体がゲームでは駄目な理由はないとふと思って、
ゲームを作ると仮定してみると、
ゲームという媒体が持つ、内容を規定する作用に気づきました
それを不自由と呼ぶこともできますが、作品を結晶させる力でもあるので、望ましい作用です
小説という媒体は、自由度が高く、そのような作用をほとんど持たないと思いますが、
ジャンルにはあります。
ジャンルを決めることで、内容が結晶していく。
考えがここに至って、自分の最近のやり方をふりかえってみると、
アイデアを育てていくときには、
媒体やジャンルで規定せず自由に茂るに任せ、
やがてアイデア自身がジャンルを選ぶことを期待してきたのですが、
ジャンルを選ぶまでにアイデアが成長したことはありませんでした
過去をふりかえっても、ジャンルを決めずに作品が出来上がったことはありません
そう考えると放任主義でアイデアを育てる手法は見直す必要がありそうですね?
媒体やジャンルの規定の上でアイデアを育てるようなやり方に転換する必要がありそうです ジャンル決まってなければ、アイデアは四方八方に散らばるだけだよ。
アイデアが浮かんだら、ジャンルにどう活かすか考えることに力を入れてみたら? そうですね
アイデアはたいてい複数のジャンルに適用可能なので、
ジャンルを決めるのは後回しでいいと思っていましたが
アイデアが力強く育つには、ジャンルという土壌が必要なのだと思います 手書きの件ですが、手書きが日常になってくると、
キーボードでいきなり文章を書くことに違和感を覚えるようになってきました
手書きとキーボードで文章は変わるのか、みたいな議論がありますが、
変わらないわけがないと思います
最近はまず手書きしてからキーボードで打つ、ということもよくしています
迂遠なようですが、むしろこの方が早かったりします
キーボードで文章を書くというのは、どこか竹馬を履いて歩くようなところがありますよね?
進めはするのですが、ギクシャクフラフラします
個人差はあると思いますが >>468
無限プチプチというおもちゃを考案した人は、
色々な言葉をアイデアのもとにして、
子供向けおもちゃのアイデアを考えていた。
アイデアは素晴らしいから、
今回はこのジャンル、次回はあのジャンルって決めれば、さらに良くなるかも。 >>373とも関連しますが
「自分とはまるで異なった人間になったかのように感じる瞬間」を、
自分の想像力を使って体験すればいいと思います
その人物を生きる、ということです
そしてその体験は、別にそんなに長くなくてもいい
一日その人物を生きることができれば、かなり掴めると思います
ただ、そのための準備は、簡単じゃないと思います
そういう、人物を掴むための方法について書かれた本とかありますか? 登場人物のプロフィールを書いてようとかいって
好きな食べ物とか考えてみたりもしますが、そこはどうでもいいんですよね?
「キャラ」としての「設定」ならそれでもいいんですが、
その人物を生きることで言えば、好きな食べ物なんてどうでもいい。
人間というのは好きなことよりも、得意なことに規定されているのだと思います
好きなものは移り変わっていきますが、得意なことはそう簡単には変わりません
人間を深いところで規定するのは、「好き」や「嫌い」ではなくて、
「得意」や「苦手」ですよね? あと誕生日とか、星座とか、血液型とか、もしかしたら趣味すらも、
人物を生きるという意味では本質的ではないと思います 「得意」や「苦手」以上に人間を規定するものも、もちろんありますが。
それは良心や、心の声や、召命と呼ばれるものです
それ以上に人間を規定するものは、おそらくないかもしれません
もっともそれを掴むのは、最も難しいことでしょうけども 物語を語るというのは、
自分とまるで異なる境遇にある人間に、どんなことが起きるのか、
どんなことが起きうるのかを徹底的に掘り下げていく作業ですよね?
そのためには人間というものを知らないといけないし、
人間を探求することを習い性にしないといけない
でも、今までそんなことにまるで興味がなかったな・・!と思って愕然としています
物語というものを表層的にしか見ていなかったのでしょうね? 「自分と異なる境遇にある人に、どんなことが起きるのか」を意識的に想像力の対象にしたことって
一度でもあったかな?と自問すると、皆無に近いかもしれません
なんでそれで物語とか言ってたんだろう?やばいですね? 自分さえ気持ちよければいいという世にも稀な糞自己中メンタルを反省できそうか
お前がやばいぐらい駄目かなんて今更問うまでもないわ 誰からも嫌われぼっち日記書いてるというのはとりも直さずその事実だっての
何度指摘されても理解できない
お前に救いようなんかあるか なんでもいいよ。
小説書いて一発あたったもん勝ち。 以前、このスレで大漢和辞典をPDF化していた者ですが、
親字5万字・熟語50万語を収録する“東洋文化の一大宝庫” 大漢和辞典のデジタル版が11月に発売
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000037404.html
大漢和辞典のデジタル版が出るそうです
さすがにお値段は安くはありませんが。
ATOKから引けるくらいになるのはまだ先のようです >>478
あなたの謗言は、自分に人間を探求する姿勢がないという指摘だったのでしょうか?
ありがとうございました >>476の件ですが
自分以外の存在の中に入るというのはやっぱり特殊な行為ですよね?
科学の根本的な手法のひとつは観察ですが、観察というのは外からするわけで、
観察対象と同化したりはしません
しかし物語の創作者たらんとすれば、そのような科学的態度を超える必要があります
しかしまた一方、科学がそうなってきているとも言えるかもしれませんね?
つまり科学的観察が、同化へと延長してきていると。
それを駆動するものは、もちろん情報技術の発展です
自分が「自分とはまるで異なる存在になる」という体験に気づいたのが、
そもそもゲームを経由してでしたし。
本や映画を通しては、このような気づきを得ることはなかったと思います >>485の件ですが
何かを作る時には一つ次元を上げなければいけない
というようなことが言われていた気がします
二次元で絵を描く時には三次元として捉えなくてはいけない、みたいな話です
存在の内側に入ることはそれと似ているかもしれませんね?
受け手である限りは、それが出来なくても特に困ることもありません
というか、出来るとか出来ないなどということが意識されることもありません
しかし作り手になる場合は、それが出来ないと、作品が平板になってしまう ファンタジー物を書こうと思っているんだけど、
異世界が舞台なのに、実在する物の名称がそのまま使ったら変かな? 例えば、シチューとかカレーとか。
最初は自分で名前を作って、地の文でシチューもしくはカレーなんだって分かるような説明をしようかと思ったんだ。
でも、そんな小細工しても読者は楽しくないんじゃないかと思って悩んでいる。
指輪物語ですらパンはパンだったわけだし、ベッドはベッド。カレーはカレー、とシンプルに行くべきかな? 感覚的なものだけどシチューはいいけどカレーはなんとなく抵抗がある
ヨーロッパの歴史に根ざしていそうなもの(パンとかベッドとかシチュー)は抵抗ないけど
カレーは、実際には知らないけどそういうものじゃない気がする >>487
とりあえず、アニメ映画「オネアミスの翼」を見ろ。
話はそれからだ。 ゲームをやってて思うんですが、
声優の、台詞をキャラクターの言葉に落とし込んでいく能力ってすごいですよね?
台詞を読んだり書いたりする時には、それを黙読していますが、
その時に調子とか、イントネーションとか、言葉の緩急を、
その人物の言葉に全然出来てないと思います。
なので声優の仕事を見ると、こういう風に言うのかーと感心してしまいます
作家たるもの、そういう演じることについての勉強もした方がいいのでしょうね? つまり演技についての学びの中には、人間を理解するための方法や洞察も当然含まれているはずで
だったら、作家にも役に立つのではないか?
ということです グロ小説書いちゃったんだけどカクヨムにうpってもいい? 登場人物は物語を通して変化していきます
具体的には体験によって、認識が変化していきます
でも、その認識の変化は外からは見えません
純粋な受け手でいる限り、それでも特に問題はないのですが
作り手でもある受け手になる場合は、内面の認識の変化に注意を払う必要があると思います
それが出来るようになるには、特別に時間を取ってそれと向き合う必要があるでしょうね?
ただ作品を享受しているだけで見えてくることはないと思います >>491の件ですが
ステラ・アドラー「魂の演技レッスン22」という本をぽちってみました
世界の在り方を探求し続けることを俳優という仕事のベースとして捉えていて、
共感しますし、また新鮮でもあります
そういうことは作家にとっても当然大切なことのはずですが、
そういうことを語ってる書き方本はあんまりないので 小説の中の想像力とは、「他を生きる」ということである。
「他につながろうとする意思」でもある。(灰谷健次郎)
とストーリーの書き方botが言っていました
その通りですね? つまりぼっち日記を書いてるお前のダメさだよ
他人がどう思おうがどうでもいい あくまでも自己中心に考えるのだとして
非礼を繰り返してきたことの謝罪をするといい 超絶馬鹿な頭で理解できたのならな >>499
逆です。
「他を生きる」「他につながろうとする意思」というのは、そういうことではありません
同調圧力に屈する、摩擦を避ける、そういったいかにも日本人的な姿勢は、
「他を生きる」の真逆です
「他を生きる」というのは、意志と想像力をもって、他人を生きる、という意味です
そして「他とつながる」というのは、
「他を生きる」ことで、内なる経路によって繋がる、という意味です
分かりますね? スタニスラフスキイ氏が、イタリアの名優サルヴィーニについてこう言っています。
「『オセロ』を演じた時、彼は開演の三時間前から舞台を歩いてまわった」。
三時間前から? なぜでしょう?
サルヴィーニは舞台のあらゆる位置に立ち、
そこは『オセロ』のシーンでいうと何があるのか想像して回った。
本番前にもう一度、状況を身体全体で確認するためです。
想像で描いた状況に身体を慣れさせるには、時間がかかる。
(ステラ・アドラー「魂の演技レッスン22」)
作家も同じことをしなければいけませんね? つまり、小道具にまつわるヒストリーを想像することが必要。
「私はこれを、いつ手に入れたのか?」「どこで見つけたのか?」と考える時間をとりなさい。
(…)
舞台で描く世界の中に、自分を存在させることがリアリズム。
あなたの周りにあるものすべてに対してイマジネーションを働かせ、意味を見つけて下さい。
(…)
あなたが登場するシチュエーションはすべて、つくりごとの状況。
だからセリフもアクションも全部、あなたの想像力というフィルターを通して繰り出されるべきです。
次の文をメモしておいて。
「劇の中に出てくるものは、それぞれ一体何なのか? 自分の想像力を使ってはっきり知ろう。
それができなければ、私の演技はただの嘘でしかない」
(ステラ・アドラー「魂の演技レッスン22」)
金言の塊ですね? 安倍政権の支持率が急上昇
安倍批判をしていた人は土下座して謝るべきですね? は???
国民が愚かなだけですよね???
アレを見て支持率を上げるようなら、
もうそんな国民はどうしようもないと思いますよ
というよりもそんな国民には安倍政権が相応しいとすら言えてしまうと思います
トランプも酷いですが、それでもアメリカには冷静な目を持った人が少なくありません
一方日本はといえば・・・。
おそらく日本は他の国よりも愚かな層が10%くらい多いのですね
その10%が致命的な10%なのです
とはいえまだ希望を捨ててはいませんが。
日本人の賢明さを信じたい。これは祈りです。
分かりますね? 安倍一味にパッキパキに洗脳されたガンギマリ層が30%います
これは安倍政権が何をしようと全てを超解釈するように
脳内に回路を作られてしまっている人々なので、もうどうしようもありません
もはや責任能力も疑わしい。なぜなら洗脳されているのですから。
他方、完全には洗脳されていない人々が10%います
何があっても賛成するほどキマってはおらず、理性も働きも保っています
モリカケ問題で安倍が散々言い倒してきた嘘が嘘と判明した時には、
ちゃんと批判もできました
が、その後に、安倍政権による前にも増して幼稚な、
ほとんどコントにしか見えない嘘のラッシュで、
なんとまた支持に戻ってしまったのです!
理性を失ってもいないのに、自分がずっと騙されていたという現実を直視することから
土壇場で逃げたのです。
彼らの罪は、限りなく大きい。
その延長線上に今があるんです。 また一方で、
破壊とともに浄化が進むという作用を無視するわけにはいきません
もしもトランプ政権が成立していなければ、
me tooムーブメントが起きることはなかったでしょう
日本でも色々な組織の積年の嘘が発覚していますが
これなどももしも安倍政権によるこの国の破壊がここまで進行していなければ
表に出ることはなかったのではないでしょうか?
つまり、安倍政権を、物語の中に登場する危機や脅威のように、
必要な危機だったと言える可能性はあるわけです
もちろんそう言えるのは、国民が安倍政権を最終的に克服し得た場合のみですが またもう一方で、破壊が進むほど認識も進むとも言えます
個人的には、このとんでもない五年、間違いなく戦後最悪であろう悪政が吹き荒れたこの五年は、
ずっと前から知りたかったことに近づき続けてきた五年でした
戦前戦後や世界の報道に目が向くようになったのは、安倍政権の直接的な影響によるものですが、
創作に関する気づきだって、安倍政権の存在と全く無関係だとは言えない
むしろ、関係があるんじゃないかと思います 少し前の時代を舞台にしたゲームで、
主人公が何かを分からず困っている時に、
「そんなのネットで調べればいいじゃん・・あ、なかったんや」
という時があります
作家たるものインターネットの歴史も把握しておく必要があるのでしょうね?
一口にインターネットと言ってもSNSの登場前と後では大分違いますし
インターネット上のサービスの成熟を、年代と紐付けて確認しておく必要があるのでしょう >>508の件ですが
インターネットの歴史を調べていると
iPhoneの登場が世界に与えたインパクトの大きさをあらためて実感します
優れたUI/UXとトラッキング性能をモバイル端末に持たせることで
現実世界とインターネットを接合し、
現実世界の問題を新しいアプローチで解決する道筋を準備しました。
iPhoneから遡ると、そこにあるのはiPodとiTunesです
そしてそこから遡ると、なんとMP3アルゴリズムにたどり着きます
MP3がなければスマホもない、というのは意外な感じがしますね?
そしてMP3から遡ると、Napsterがあります
音楽を共有したいというところから、音楽を圧縮する必要が生まれ、
そしてそのアルゴリズムが、ジョブズをしてiTunesとiPodを思いつかせ、
そしてiPhoneの誕生に繋がっていったのですね? >>509の件ですが
wikipediaのMP3の項目には、2000年から2001年にかけて発明されたと書いてあるので
Napsterの方がMP3よりも先かと思ったのですが、
Napsterの開発者はmp3.comというサイトの影響を受けたらしいので、
どうもmp3の方が早いようです 上記の件に関連しますが
人物の生年によってどういう体験をしてきたかが大きく異なるという問題がありますね?
ある人物の内面を再現しようと思うと、
何歳頃に何を体験したのか、というところまで見ていく必要があります
同じ出来事でも、それに触れた時の年齢によって受ける印象が変わります
そういうところまで追っていくのは大変ですが、得るものも多そうですね? インターネットの歴史の件ですが
調べる時にはgoogle trendsが大活躍しました
ただ、残念なことにgoogle trendsは2004年以降のデータしかありません
仮に遡ったとしてもワールドワイドウェブが誕生する90年代より前は検索データ自体が存在しません
出版物を対象にして同じような検索が出来るようになって欲しいですね? >>476の件ですが
作品中で最後まで明かされることのない人物の内面というものがあります
たとえば「こころ」でKが自殺した動機とか。
人物の中に入るということを推し進めると、こういう謎にも大分近づけるんじゃないか?と思いました
以前はこういう謎も、作者は大部分心理学的に、いわば理詰めで考えているんじゃないかと思っていたのですが、
もっと直感的に把握してるんじゃないかという気がします
ただ直感するためには、人物の内面に入って、直に触れながら確かめる必要があるでしょう
それを出来るのが本当の作家なのではないでしょうか? イマジネーションで描いた状況をリアリティだと信じれば、
それにふさわしい人物たちの動きも見えてくる。
あなたの動きもまたリアルになる。
周囲の環境とあなたの動きが、リアリティとして完全に一体化できる。
そうなれば、演技でありながらもうそれは「演技ではない」のよ。
そういう意味において「演技しないで済む」ことが大きな目標です。
それができない人は「演技しなきゃ」と必死になる。
わかっているふりをして、感情を無理やりこめる。
それは観客には通用しません。
観客は本能的に嘘を見破ります。
(ステラ・アドラー「魂の演技レッスン22」)
これは作家にとっても大切なことではないでしょうか? 日本は世界最古の国であり、世界一の金持ち国です。
そして日本語は世界一難しい言語なのです。
https://www.youtube.com/watch?v=rFbt_3qAmBY 日本語はすでに完成された言語であったために
アジアで唯一英語の支配下に陥ることがなかったのです。
https://www.youtube.com/watch?v=3Sg2KmEBrqs >>517
つっこみ所が多すぎて逆につっこみにくいです Kindle本には
原書のクレジット(原題と原書の発行年)がないケースが少なくないことに気づきました
特に発行年というのは本においてかなり重要な情報のはずなので、
省かずに載せて欲しいものですね? >>476の件ですが
想像力を駆使して人物の内面を探るということをしていると
自分自身に関しての気づきも少なくないということに気づきました
自分から出て、もう一度自分の中に入り直して観察すると,
いかに自分が自分を理解していなかったかに驚かされます
そう考えると、何かを知るために対象になりきる、と言いますが、
本当になりきってしまうと、逆に対象を理解することが難しくなるでしょうね? 靖国神社トップが天皇陛下を批判か 「今上陛下は靖国神社を潰そうとしてる」と発言
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12180-096571/
>靖国の前宮司・徳川康久氏が、
>戊辰戦争の“賊軍”である幕府軍や会津軍の戦死者も合祀に前向きな姿勢を示したことなどが問題視され、
>「一身上の都合」で辞任したのを受けて、靖国の宮司に就任
全体的に非常にインパクトのあるニュースですが、
この部分が一番引っかかりました
「賊軍」の合祀が、天皇批判以上のタブーになる、ということの中に、
靖国神社という施設の本質が表れているのではないか、
それはさらには国家神道の本質とも繋がっているのではないか、という気がします
どうなのでしょうか? このスレはアンチによって廃墟となりましたね。
今頃後悔しているでしょうが、後悔先に立たず、です。 なぜ辞書で調べればすぐにわかる質問をしたのですか? >>524
説明は理知的な行為です。つまり対象の意味の叙述です。
描写は感覚的な行為です。つまり対象の印象の叙述です。 >>523
アンチって何のアンチですか?
対象がないアンチなど存在しません 観ていた映画に、
物語の都合で不自然に愚かにされている主人公が出てきて気になりました
普通ならその時点で気づくようなことを、物語の都合上後で知るようにするために
不自然に怒らせていました
その結果、馬鹿みたいになっていました
ステラ・アドラーの本を読みながら、
誠実な役者の在り方とはこういうものかと感動していましたが、
作家は役者と比べて、簡単に不誠実になれますよね?
作家は登場人物に対して、危険なほどの権力を持っている。
容易に暴君に堕する。
だからこそ強い規範をおのれに課さないといけないのでしょうね?
権力の暴走を食い止めるために存在する憲法のような規範を、
心の中に持っていなければならないと思います とはいえ、物語の都合上後から知るようにすること自体は、
問題ありませんね?
それは越権ではない。
その目的を主人公に嘘の感情を与えることで実現することが、
許されざる人権侵害なのです 登場人物に嘘の感情を与えるくらいなら
デウスエクスマキナの方がずっといいですよね?
拙いだけで卑怯ではありません
登場人物に嘘の感情を与えるのは、拙い上に卑怯です 韓国人は卑怯者ですね。
最近になってから旭日旗を戦犯旗と言いだし難癖をつけてきました。
反日洗脳教育で育った世代が嘘の歴史を本気にしてそう言っているのでしょうね? >>531
嘘の歴史って何ですか?
普通の日本人は旭日旗になんて何の拘りもありませんよね?
意地になって相手が嫌がることをしている方が幼稚で恥ずかしく、情けないのです
分かりますね? >>532
あなたは恥ずべき韓国人ですか?
相手の嫌がることをしているのは韓国人ですよ? >>533
いや全然嫌じゃないですよ
普通の日本人には旭日旗になんて何の思い入れもありませんから。
むしろ自衛隊がそんなものにこだわってることが薄気味悪いです。
即刻やめて欲しいですね さすがは在日の方、頭がおかしいですね。
会話が成立しません。 >>535
確かに在日日本人です
あなたは読解力がないようですが、やはり「ネトウヨ」と呼ばれる種類の人でしょうか? シェイクスピアを演じるなら、すべてがセリフの中に表現されています。
(…)
イプセン以降の作品群には、これが当てはまりません。
だからスタニスラフスキイ氏は、新しい演技テクニックを作る必要に迫られたのです。
チェーホフの作品をごらんなさい。セリフだけを読んでも理解できない。イプセンもそう。
ストリンドベリ、テネシー・ウィリアムズ……オデッツも。
脚本の字面を追うだけでは、演じられない。
人物の作り方が、以前とはまったく違うのです。
脚本にプリントされた言葉を見たって演技はできませんよ。
演技はあなたの内側から生まれるのです。
言葉に対するあなたの解釈が必要。クリアーで、シャープな解釈が必要。
まず言葉を読むとしても、その裏側まで考えていかないと。
いろいろな角度から考えなさい。
言葉の中に、周囲に、秘密が隠されているんです。
その秘密を解いて、演技に反映させなさい。
(ステラ・アドラー「魂の演技レッスン22」)
これは極めて重要なことを言っていると思いますが
そんな謎に満ちた台詞書けるか?と自問せずにはいられません
役者がするような人間の内面の研究を、
作家も当然しなければならないということでしょうね? 100歩譲って、戦時中に日本海軍の旭日旗を見た韓国人がどれだけいるんや。
5歳の時に見て、78歳の今もトラウマになってるというのは、なしにしてくれよ。 >>538
民族的記憶、国民的記憶、集団的記憶というのは個人の一生よりはるかに長いのです
たとえば>>522にもありますが
靖国神社では「賊軍」を合祀しようとすると宮司を辞めさせられるんですよ?
「賊軍」の記憶のある人なんてもはや一人もいないはずなのに。
そういうことです
分かりますね? まぁですから、戦前生まれの人が亡くなると戦争の記憶が風化してしまうのでは・・という危惧がありますが
自分はそういうことはあまり心配してないですね それは百田先生のツイートです。
たかが作家志望が大ベストセラー作家の先生に意見するのはおこがましいのではないでしょうか。 >>541
そうですか
相変わらずハゲウヨは愚かですね >>509の件ですが
1999年のブロードバンド化(常時接続化と通信速度の大幅な伸長)こそが決定的な地殻変動だったという知見を得ました
ブロードバンド化はそれまで文字と画像中心だったインターネットに音声と動画とデータを呼び込み、
P2Pやダウンロード販売、ポッドキャスト、音声配信、動画配信、ライブ配信といった新しいサービスを準備しました
またインターネットへのアクセス手段をブラウザからアプリへとシフトさせました
iPhoneもこのアプリ化の流れの上で捉えるべきはないでしょうか?
つまり、iPhone自体が一つのアプリだった
iPhoneの誕生はたしかに世界に変革をもたらしましたが、
その前にあった根源的な地殻変動は、ブロードバンド化だった。
ひるがえって現在を考えてみると、5G通信が控えています
従来と比べて指数関数的に通信速度が向上した通信です
この変革もあらたな地殻変動になるでしょうね? >>542の件ですが
中国はいつ沖縄に攻めてくるんですか?
これからハゲウヨが何か愚かなことを言うたびに、
「で、中国はいつ沖縄に攻めてくるの?」と言えばそれで終わりですよねワラ カフェもしくは定食屋みたいな、小さな飲食店をメインにしたファンタジーを書きたいんですが
キッチンをオープンにするかクローズにするかで迷っています
話の展開上、スポンジボブとかごちうさとかみたいに、調理場がクローズだと都合がいいのだけれど
実在、創作問わず、色んな間取りをざっと調べてみたら大半がオープンでした
そこで質問なのですが、中世ファンタジーの飲食店(小規模)のキッチンといえば、オープンとクローッズのどちらで想像しますか? >>544
もうすでに攻めてきていますよ。
十数年前までは0だった領海侵犯が少しずつ増え、
今では毎日にように自衛隊機は緊急スクランブルをしています。
ロックオンされたときは少しばかりニュースになりましたが、
そういった中国の侵攻は全くといっていいほど報道されていません。
もしロシア海域に入ったら即打ち落とされるレベルなのですが、
日本は甘いですね。
軍艦や潜水艦が入ってきたり、
漁民に扮した戦闘員が尖閣に我が物顔で入ってきているのです。
既成事実をつくり中国領としたいのでしょう。俗にいうサラミ作戦です。
今の戦争は静かな戦争です。情報戦であり、洗脳です。
ドンパチが起きてからでは遅いのです。
先頃ウイグルでは100万人以上のウイグル人が逮捕されて
洗脳施設にいれていると、やっと、報道されました。
何年も前からウイグルでの虐殺があったにもかかわらずです。
「で、中国はいつ沖縄に攻めてくるの?」
という平和ボケ老人がいるかぎり、
日本は高いリスクをかかえているといっていいでしょう。
なんにもまして老害はいつの世もはた迷惑な存在です。
憲法改正に反対している勢力もこの老害たちです。早く死ねばいいのに。 >>547
あるいはネトウヨのふりをしているのかとも思いましたが
あなたはパッキパキの、本物のネトウヨなんですね 潜水艦「おうりゅう」進水 リチウムイオン電池搭載
https://mainichi.jp/articles/20181005/k00/00e/040/210000c
潜水艦全体を旭日旗にしていて笑いました
やはり安倍政権の影響で自衛隊も幼稚化が進んでいるようですね
最も劣化してはいけない組織が軍隊だと思いますが、それがまさに劣化している
危機的状況と言っても過言ではないでしょうね? >>548
百田先生の講演会で話されている内容です。
たかが作家志望が大ベストセラー作家の先生に意見するのはおこがましいのではないでしょうか。 >>550
逆です。
出版してようがしていまいが、文学者は文学者です
一文学者が一文学者を批判する
まったくおこがましくありません >>551
まずはYouTubeで虎ノ門ニュースを見るようにしてください。
無知な人間が批判をしても頓珍漢でしかありません。 >>549
ちなみにこれも無知無教養の批判です。
日本ではめでたいときに紅白まんじゅうを食べたりします。
紅白幕や紅白の幟なども掲げます。ちなみにお葬式では白黒の幕です。
日本のそういったハレの文化や伝統をしらないので、
紅白の幕を旭日旗と勘違いするのです。まさしく頓珍漢です。 >>553
旭日旗をモチーフにしているのではなく、
紅白幕を潜水の船首から船尾へと垂らしているイメージにしているということですか
そう言われれはそうにも見えます
時事的な文脈に引きずられすぎたのかもしれません
ありがとうございました >>552
やっぱりあなたはパッキパキのネトウヨなんですね ネトウヨの件ですが、
ネトウヨが支持している連中の言動は物語に出てくる悪人とそっくりですよね?
作家は悪人の描写に際して、時に非常に繊細に、暗示を使います
そうやって読者に「怪しいぞ!」と思わせてひきつけるわけです
ネトウヨを見ながら感じたのは、この人達には、そういう暗示が全く通用してなかったのか?
「ここ怪しいとこやぞ!」と読者を誘惑する作家の涙ぐましい工夫を、この人達は総スルーしていた!?
という恐怖です
ですが、それは違うんじゃないかと気づきました
洗脳されている人にとっては、悪人そっくりの言動を取る人間が、全く違った風に見えているはずですよね?
ですから物語の中の悪人描写に関しては、正しく受け取っているのではないでしょうか?
なぜなら、物語の中の人物には洗脳されていないからです。
作家たるもの、むしろ洗脳された人から教祖や安倍晋三がどういう風に見えているのかを、
想像力を使って理解するよう努めなければならないでしょうね? 心配せずともお前も自分が洗脳されてるとはつゆも知らず
何かの利権に騙されっぱなしのどこにでも居る平凡なアホだから
その騙されてると思ってる対象より一段高いところにおのれを置いて認識してる傲慢さの時点で
騙しやすいパッパラパーで同類なんです >>528-530の件ですが
このことで学んだのは、出来事に関しては恣意的でもいいが、
登場人物の感情に関しては恣意的であってはならない、ということです
登場人物にある感情になって欲しければ、それだけの出来事を起こさなくてはならない。
ですが、その前に、
ある出来事に際して人間がどういう感情になるのかっていうのは、決して簡単に分かることじゃないですよね?
そういう出来事にあった人間の内面に入って、丁寧に追っていく必要があると思います
それを理解してこそ、意味のある出来事が設定できるようになる。
ですから作家に必要なのは、出来事と人間の感情の相関関係を、日々探求していく、という習慣でしょうね? 小説を読んでいて、登場人物の容姿が具体的にイメージ出来ていないことに気がつきました
読む分にはそれで問題はないかもしれませんが、
書くことを考えると、具体的に見えている方が望ましいですよね?
見えないままだと、人物が観念的あるいは表層的な存在に近づいていくので。
年齢や性格から容姿をイメージする、
ということを、やはり習慣的にすべきだと思います 分不相応な服を着ていることを言う表現って
「服に着せられる」か「服に着られる」のどっちですか?
「着せられる」と思ったのですが、ググると「着られる」が多いようです
どっちも辞書系が出てこないので確定できません >>560の件ですが
よく考えたら意味的にも「着られる」で合ってますね 服に着られる
=服が人間を著る
ではなくて、
服の方から著た状態にさせられる
という意味で、いわゆる間接受身文ですよね?
直接受身文として受け取ると、服が人間を著るって無理ありすぎひん!?と思いますが >>559の件ですが
漫画の場合は、年齢、性別、職業、性格、物語上の役割などを全て反映して、
人間の容姿を見えるものとして造形します
漫画の特性上必須といも言える過程ですが、すごい労力ですよね?
小説の場合は、作者が人物を見えてなくても書けてしまう
そこは小説のある種楽なところだと思っていたのですが、
それは甘えでしたね? すみません、、質問です。
公募する時に、たまに「WORDファイルで」と「一太郎ファイルで」と
二つ受け付けてくれる場合があったり、
「WORDファイル」のみ受付っていう場合もあるんですが、
今、持ってるのはWORD2007と、一太郎2016です。
どちらで執筆したほうがいいですか? 執筆自体はどちらでもいいのでは
なんならエディタでも
最終的に送信する時に一太郎やwordのファイルにすればいいので 募集する側がテキストファイルに統一しておけばいい気がしますが。
外字を使うことを想定してるのでしょうか?
外字を使う場合は最初から特定のワープロソフトじゃないと多分無理ですよね >>565
>>566
ご親切にありがとうございます。
外字を使おうとしています。
ですが、念のためテキストエディタで執筆します。
ありがとうございました。 全然違いますね。
たぶん募集する側は一太郎を使っているのでしょう。
一太郎でワードを読み込むことができるので、ワードもオッケーということです。
ワードのみのところはワードを使っているのでしょう。
ではなぜエディタではないか。
縦書きで二桁の数字を表示する縦中横ができないからです。
そしてルビを振ることもできないからです。
といっても、
縦中横を必要としない書き方をすればいいだけだし、
ルビもよほどじゃない限り必要ないので、エディタで十分です。
ちなみにエディタでルビを表す記号は《 》を使いましょう。 なるほど
ルビのことはすっかり忘れていました
青空文庫を読んでいる時にも、フォントに含まれない文字の説明が文章の中に入ってくるとちょっと醒めるんですよね
そう考えるとワープロも執筆環境としてはアリな気がしますね >>563の件ですが
漫画家は
年齢、性別、職業、性格、物語上の役割など→容姿
の変換をどうやっているのでしょうか?
そういうことについて語られた本とかありますか? 「第四次安倍改造内閣」と言われていますが
何が四次なんですか?
wikipediaに
第4次安倍内閣(だいよじ あべないかく)は、衆議院議員・自由民主党総裁の安倍晋三が
第98代内閣総理大臣に任命され、
2017年(平成29年)11月1日から2018年(平成30年)10月2日まで続いた日本の内閣
と書いてあったので、第五次安倍内閣かと思っていたのですが。
第四次安倍政権のマイナーチェンジ版みたいな意味でしょうか? >>558の件ですが
「感情類語辞典」には感情についての深い洞察や、
その感情を喚起する出来事に関する考察などが書かれているのかと思いきや
その感情にとらわれた時の外的・内的な現象が羅列されているだけでした
表層の極みですね? 外的・内的な現象を羅列するということは
何も分からずともそれっぽく見せるためのノウハウを提示しているわけで
志の低さがやばいです 「何も分からずともそれっぽく見せるためのノウハウ」が、
受け手に通用すると考えることこそ傲慢のきわみですよね?
どれだけ受け手を低いものとして見積もっているのかと。
まぁ安倍政権が跋扈するようなこの国では通用するのかもしれませんが。
世界では通用しません
そうですね? 根性が卑劣では、役人になる資格はない。
就職するまでは何とか職を手に入れようと焦り、いったん職にありつくと、今度はクビの心配ばかりしている。
こうなると、どんな恥知らずなことでもしでかすのだ。(陽貨)
と論語botが言っていました
いつの時代も変わりませんね?
しかしベーシックインカムがあれば変わるでしょう
ベーシックインカムほど悪事のインセンティブを下げる仕組みはないのではないでしょうか? 最近趣味で小説書き始めたんだけど
「その時」と「その瞬間」
といった言葉が出てくる場面が多すぎて文が稚拙になってしまうんだけど
他にいい言い回しはありますか? あの日あの時あの場所で君に会えなかったら
僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま >>558の件ですが
編集者が「荒唐無稽」だとして作品をボツにする場合、
槍玉にあがっているのはプロットではなく、登場人物の「動機づけ」なのである。
(ディーン・R. クーンツ)
とストーリーの書き方botが言っていました
同じようなことでしょうね? 出来事に恣意をふるうことは神もしていますよね
偶然という形で。
ですが人間の感情に恣意をふるうことは神ですら出来ません
不誠実と感じる理由はそこにあるのでしょうね? >>543の件ですが
5Gで確実に進むのは広範なシンクライアント化でしょうね?
今もps nowのようなサービスがありますが、
あの形が普通になって、
多様なクライアントからネットワーク越しのマシンに繋ぐようになる。
ゲーム機やゲーミングPCを買う必要も次第になくなっていくのではないでしょうか >>580の件ですが
感情だけでなく、人間の内面全般が神にとって不可侵ですよね
人間の堕落を嘆いて大洪水を起こさずとも、
神の全能で人間の心を直接改心させてしまうこともできそうなものですが、
そうはしなかった。
神は常に人間の内面に対しては、間接的に影響を及ぼすことしか出来なかった。 >>582
偽者が出たから一時的に付けてただけで
もともとコテハンにこだわりはありませんよ > 人間の内面全般が神にとって不可侵ですよね
夢を介しての介入はあるでしょうね
それから介入していないと言い切ることもできない >>586
なるほど
夢はたしかに神に許された連絡経路ですね
面白いです >>585
そうですね
悪魔に出来ることは神にも出来るのでしょう、能力としては ちょいちょい自分でも思いもかけなかったことを
やってしまうことがあるじゃん
良い意味でも悪い意味でも
ああいう時は介入されているのかも知れない >>590
そういえばアンケート取ってましたね
自分も賛成に入れましたが
どうなったんだろう >>589
そういう介入も否定できませんね
一方、人間の自由意志を尊重するという大原則もあって
いったいどこまでが神に許される行為なのかが気になります
何かを思いつかせたり、
発見に繋がる行為を行わせる、あたりの介入は許されていそうです 閃きは一人の力でなされるものではない、という感覚を持っている人は少なくないでしょう
一方そのインスピレーションを受けてどう行為するか、は個人に委ねられているという感じがします >>522
靖国神社宮司が退任へ
https://this.kiji.is/422690413978469473
この宮司がクビになったようですね
でも靖国神社の本質をあらわにしたという意味では結果的にいいことをしたのではないでしょうか? Windows7使ってるんだけどそろそろWindows10にアップグレードしたほうがいいの? windows7はあと1年2ヶ月でサポートが切れます
切れて慌てるより早めにアップデートして慣れた方がいいでしょう >>476の件ですが
想像力を感覚器官として使うことを心がけるようになると、
以前なら強い反感を感じたであろう人にもあまり反感を持たなくなりました
はねつけるべき対象から、理解すべき対象へと変化したので。
世界全体を理解すべき、いわば愛すべき対象へと変えることが、
作家として生きることの一つの余得でしょうね? 想像力の感覚器化のインパクトがあまりにも大きくて
自分が以前まで物語をどういうものと捉えていたのだろうと分からなくなります
この世界に現れた、圧倒的な何か、真実性や崇高さを感じさせるもの。
この嘘だらけの世界に差し込む一筋の光。
一瞬本当を見せて、見た人に小さな炎を分け与える
その炎は、受け取った人の中で灯り続けて、
それ以降の人生において導き手となる。
そういうものが自分にとっての芸術でした。
そういうものを自分も作りたかった
ですが、そのようなエクソダス的な思想は、
前提条件としてその根底に厭世観を横たえています
そのような厭世観の上に作品を立脚させることを是認できない部分もありました
ですが想像力の感覚器化を経ると、それまでつまらなく見えていた世界が
魅力的な謎へと変化します
世界が謎だらけになる
以前まで謎は彼岸に垣間見えるものの象徴でしたが、
今度は此岸が謎だらけになってしまった
そうなるともう芸術観が根底から揺るがされることになりますよね? 原稿用紙換算枚数と実際に出版されたページ数がなんかあんまり差がない気がするんだけど、あれってなんでなの?
例えば石原慎太郎の『太陽の季節』は原稿用紙だと99枚だけど、文庫本だと84ページだった
体感的には原稿用紙99枚だったらページ数だと50ページとか60ページとかになりそうなもんなんだけど 平均的な改行の頻度とかが作用してそうなるのでしょう
ラノベのように改行だらけの文体だと更に両者は近づくのではないでしょうか? 結婚する年齢や子どもを生む年齢の統計を調べるにはどうすればいいでしょうか? 統計というものに今までは全く興味がありませんでしたが
何が普通や標準とされているかを知るには有用だと思います
作家たるもの統計に親しまなければいけないのでしょうね? >>598の件ですが、
厭世観ではなく世界への愛に基づいて圧倒的な境位を目指す、
というのが今後の目標だと思いました 何年生まれだったら、何歳の時にこの歴史的事件を体験した
みたいなことを調べられるアプリはないでしょうか? 各シーンごとのセリフ量が、どうしても多くなってしまう……
短いシーン、単独のシーンを除くと、平均50〜60行くらいが会話文になっている。
脱線しないようには気をつけているけど、これって、やっぱり多いですか?
自分の手元にある本は、シーンごとの会話文量が40行にも満たないものばかりなので、不安です。
登場人物の日常に焦点を当てたいがゆえに、こうなってしまったんですが、やはり会話文の量は抑えるべきでしょうか? 問題は割合ではなく無駄があるかどうかではないでしょうか?
たとえば意図的に地の文を増やせば会話の割合は下げられますが、
そんな目的で地の文を増やすのはどうかと思いますし
無駄がないのならそれでいいのではないでしょうか 読み返すと割合については何も言ってなかったですねw
失礼しました 市議会選挙があるので候補者をチェックしようと思って
候補者と主張が一覧になっているようなサイトを探したのですがありませんでした
市のサイトに載せてしかるべきではないでしょうか?
候補者一覧は市のサイトにPDF文書として載せていました
サイトを持っている候補者はそこにサイトのURLも載っているのですが
そこがリンクになっていない
いやそれどころか文字列をコピーできるようにすらなっていない
もはや徹底的と思えるほどに候補者の意見の確認がしにくくなっているのです
地方選挙がこんな状態で、社会が良くなるはずがありませんよね?
選挙のシステム的改善は国民的課題ではないでしょうか?
これは議員にはおそらく出来ないことです
彼らはゲームのプレイヤーなので。
第三者が、全国規模で行う必要があります 選挙に限らず、
行政のネット関係のサービスってまちまちで、総じていまいちなんですよね
改善の余地がものすごくある分野が行政だと思います 演劇の脚本の区切りには幕と場があります
ふと思ったのですが、幕というのは、幕が下りる区切りのことでしょうか?
「場」の切り替わりで幕が下りることはありますか?
また「幕」の切り替わりで幕が下りない時はありますか? 誰でもできる嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね
SEP 「円環する」という言い方は妥当でしょうか?
辞書にはサ変動詞としては載っていませんが、ググると使われてはいるようです ドラゴンボール批判とドラゴンボール批判批判が話題になっていましたが
鳥山明作品ってあらためて考えると当初は「前衛」だったんですよね?
ドラえもんも最初の方のを読むとすごくとんがってますし。
映画でも、今名作と言われているものは、
大抵発表時には前衛だったんじゃないでしょうか?
2001年宇宙の旅とか。
そう考えると、名作の条件として、発表時には前衛だった、
ということが言えるのではないでしょうか?
ついつい既に成功が保証されているようにみえる方法に惹かれがちですが
名作を作りたいのならそういう道を行くのではなく、
キンキンにとんがっていくくらいがちょうどいいのでしょうね? 指輪物語だって、今では王道ファンタジーの代名詞のように言われますが
発表当時を想像すると、相当ピーキーな実験作ですよね?
作家たるもの、名作が発表当時どのようなものとして出現したかを
認識しておく必要があるのでしょうね? ペッパー、英議会に出席 初のロボット証言
http://www.afpbb.com/articles/-/3193583
>ペッパーは「今後ロボットは重要な役割を担うが、感知する、生み出す、
>テクノロジーによって価値を向上させるといった人間に特有の技能を
>われわれはこれからも必要としている」などと発言
この出来事なんなんでしょうね?
現在のAIに考える力はないので前もって用意された答えだと思いますが
何がどうなってこの演劇的なイベントが実行されたのか分かりません
ありそうなのはソフトバンク側が宣伝としてしかけた、くらいですが
議会に宣伝が食い込めるとしたら問題だと思いますし 外人が考える名作と日本人の考える名作の感覚は違うからな。
日本人は名作というと、ある種の信仰を抱き、誰も知っていて当たり前だとか、あれは優れているから評価されていると思い込んでいる。
だいたいが、過去にあった長編小説で、そこそこ知名度がある、ってだけの話。
一読しておいてもいいが、わざわざ勉強する必要はない。 >>616
ペッパーの貸し出しの更新時期だが、解約が相次いでいるというニュースがあったろ。
だから巻き返しの宣伝だな。 ペッパーはもう製品寿命の終わりをむかえつつある感があるので
宣伝ならボストンダイナミクスのロボットを送り込めば良かったのではないでしょうか スランプでもう何か月も書いてないけどどうしたら直るんでしょうか 何かきっかけでもあれば脱出できるだろう
それと、お前の実力次第
スランプというより元々書く脳力がないなら仕方ない
断筆しようが何しようが、書けるやつは書ける >>620
今までのやり方では何かが違う、
と内なる自己が気づいているからスランプになったのではないでしょうか?
必要なのは今までは違うやり方なのかもしれません >>609の件ですが
候補者一覧のPDFと一緒に載っていた選挙公報のPDFには
各候補者の主張が載っていました
選挙公報ってもともとそういうものですよね
即断してしまいお恥ずかしい限りです 「メアリと魔女の花」を観始めたのですが
これはなかなか厳しいですね
主人公の女の子が鏡に向かってイーっとやるシーンがあるのですが
内面の自然な動きから自然に導出された行為というよりも、
そうやることが前もって決められていたからそうやったような動きに見えてしまう。
ステラ・アドラーの本を読んだ直後だからか、そういうことが余計に気になります
アニメ映画の監督にとっても役者としての教養はきわめて重要なのでしょうね? ステラ・アドラーの本に出てきたので
エリア・カザンの「欲望という名の電車」を観ました
主人公ブランチの仇敵とも言うべき、妹婿のスタンリーはポーランド系の労働者なのですが
この○○系というのは、おおよそいつどのような理由でアメリカに来たのでしょうか?
イタリア系とかユダヤ系とかいろいろ聞いたことはありますが
歴史的背景を全くといっていいほど知りません >>568
亀レスですが、ありがとうございました。 「メアリと魔女の花」観終わりました
未熟な作品を観ると自分もやりそうで怖くなるものですが
この作品は「恐ろしいなー」と観ながら思わず口に出してしまうほど、
ありそうな失敗に満ちているように感じました
ただ、ラストの「魔法学校の生徒達にすべての魔法を使えるようにする魔法」っていうのは、
スタジオジブリのことで、
「魔法はもういらない」っていうのは、スタジオジブリへの決別宣言ですよね?
そのメッセージは最後に伝わって来ました
そこまで私的に作品を作っていいのかという気はしますが
良くも悪くも、正直な作品だと思います
自分達の今までの仕事には、魔法がかかっていた、という告白だと思うので 違います。そういったことはすべて後付けです。
創作者ならわかることです。 >>629
逆です。
原作もあるようですが、題材が意識的に選ばれているのは明白です
ただ「魔法はいらない」と言っている作品に足りないものはまさに魔法だった、
という点が皮肉な感じですね
ただ、一回言っておかなくちゃいけなかったのかな、という気もします
そういう精神療法的な作品という印象です ちなみにありそうな失敗の一つは、
助けた動物達が後で助けに来るところです
あれは失敗してると思うんですが、何故失敗しているのかはよく分からない、
というか言語化できないんですよね
「助けた相手が助けに来る」という展開自体は、よくあるものですし、
それ自体は決して悪いものではない
にも関わらず、この作品では失敗している
理由もうまく言えない
怖いですね? >>632の件ですが
理由を言うならば「驚きがなかった」ということですね
むしろ、すごく安易な感じがした
「え、このためにあれを準備したのか?」という印象を受けた
そこまでは言語化できますが、
じゃあどうすれば良かったのかとなると、
言語化が難しいですね? あと、人間にコントロールできない力というものがある的なやつも失敗してると感じました
原発問題への目配せなのは明白でしたが
取って付けたような感じになっていましたよね?
ナウシカも同じようなことを言っていますが、取って付けた印象は全くありません
ならば、取って付けたような作品と、そうでない作品の差は何なのか?
こういう問いにうまく答えられないので、怖さを感じるのです
そうですね? ですから、すべて後付けです。
ストーリーを考えているうちにああなっただけの話です。合格レベルの落としどころをつけること以外何も考えていません。
アニメーターは絵を描くことを生業としているのでストーリーに深みはないのです。 付け加えると、アニメにメッセージ性や何らかの哲学を求めるのは、正しいアニメの見方ではありません。
アニメは娯楽なのですから、娯楽として楽しむことを優先しましょう。
またアニメをつくる人たちもそう願っています。 >>635
逆です。
アニメーターというのは、実写映画で言えば俳優に相当するはずです
俳優としてどうあるべきかをステラ・アドラー的に熟考していれば、
監督になった時に深みに欠けたりはしないはずです >>636
逆です。
アニメーションは表現手法の一つであって、
娯楽になることもあれば、芸術になることもあります
一方的に決めつけることはできません
分かりますね? >>637-638
エンタメは芸術性を考慮すると完成できなくなります。
締め切りがあるので、そういった気持ちを満たそうとすると必ず失望します。だから最初から考えないのです。もちろん多少は考慮します。
あなたが自作を完成できないのもそのへんに原因があるのではないでしょうか。顧みてみるといいでしょう。 とこかで小説の大会?があると思うのですがどこか分かりますか?
ちらっと見ただけで思い出せず。
・大賞は100万円!さらに書籍化!
・2位は10万円(くらい低かった気がする)
・確か3末締切
・ジャンルも思い出せず。
改めて探したものの見つからず。
なにかヒントだけでもあればお願いします。 >>639
エンタメと芸術を切り離す意味が分かりません
エンタメの中にも芸術性はありますし、
芸術の中にも娯楽性はあります メアリと魔女の花の件ですが
動物を助けるのに使った無効化魔法をラストでも使うというのは分かりやすい失敗ですよね?
決定的な解決が、ついさっき使った方法と同じものによってなされるというのは >>632と絡めていうと
伏線と回収の間隔が小さすぎる、ということですね
そのために意外性がなく、回収のために伏線を拙速に準備した印象になってしまう
これはありがちな失敗ですよね?
自分も思い当たります >>642もおそらく作り手としては伏線のつもりだったのでしょうね?
でも距離が近く、使われ方も大差ないので、
同じ方法を二回使ってるようにしか見えなかった 氷河期についてですが
氷河期には海水の水位が下がって今よりも陸地が広く、
日本も大陸の一部となっていましたよね?
そして海に注ぎこんでいる分の水も陸地の上で凍ってたんですよね
つまり氷河です
それってどういう風景でしょうか?
氷河になる前の水は雨や雪となって空から降ってきますね
それが川となり海に注ぐ前に、凍っていると。
その氷はやはり川状になっているのでしょうか?
なんとなく氷河というと氷がブロック状になって地表面より上に出ているイメージがありますが
水が下に流れることを考えると、おそらく川状になっていたのでしょうか? 海水面が下がるほどなんですから
あきらかに地表面より上に氷が載ってる状態ですよね?
川だけが凍っているというよりも、
降り積もった雪がそのまま凍っている状態でしょうか
川はむしろ、流れているから凍っていない? 氷河期といっても地球全体が凍っているわけではありません。
地球の傾きが垂直方向になると夏でも日照時間が短くなって氷が溶けない地域が広がり、
イメージするなら、現代の極寒の地である北極と南極の面積が広がっている、という感じでしょうか。
陸地の上が凍っているので、どういう状況か知りたければ、南極付近に行ってみればいいのです。
ちなみに北極には陸地はありません。 >>645
詳しくはないがそんなに深く考える必要はないと思う。
人間が綺麗に平らにして、ツルツルにしても野ざらしで放っておいたら溝ができたり、割れたりする。
それに天然の地盤は柔らかい所と堅い所、脆い所とそうでない所がある。
デコボコがあればその溝は深くなるだろうし、川のようになるのは不思議ではない。 >>647
ありがとうございます
人類や動植物が生き延びたことを考えると
現在の極地方のような状態は標準ではなかったのでは?
ああいうほとんど動植物のいない氷の大地が今よりも広かったのは確かでしょうけど 氷河期のビジュアルブックみたいな本をぽちってみました
ありがとうございました アンナ・カレーニナって何歳ですか?
たしか八歳くらいの男の子がいたので、その子を18〜20歳くらいで生んだとすると、
26〜28歳くらいじゃないかと思いますが、どうなのでしょうか? 一次落ちが続いてる場合、ブラックリストとか何かありますか? ないでしょう
主催者としては、投稿者にだんだんと成長していって欲しいと考えるのが当然なので
名前ではじいたりすることは考えにくいです それは良かったです。
知り合いに作家がいて、実は喧嘩してて、お互いすごく怒っています。
編集にテを回してはじくように大げさに立ち回っていないか急に心配になったのです。
両成敗なところなのですが。 >>632の件ですが
原作を読んだところ、助けた動物が助けに来る、というのは原作にあるものでした
映画にある欠点の多くは、原作に由来していると感じました
たとえば魔法大学の学生がただの背景になっている、というような批判を見ましたが
原作では映画以上にそうでした
ただ原作はもともとスペクタクルというよりも、
突然魔法が使えるようになった女の子が一夜の冒険を体験する、
というくらいのサイズ感なので、それらが欠点といえるかどうかは微妙ですが。
ちなみに原作にあるのは魔法による動物の改造だけで、
人間の魔法使いへの改造というモチーフは映画で盛り込まれたものでした
サイズの小さな物語を映画にするに当たって問題を大きくしたのでしょう 魔女の宅急便って、舞台設定とキャラクターが同じなだけで
ストーリー自体はほとんど完全にオリジナルですよね?
多分、あれくらいやらないといけなかったのでしょうね >>650の件ですが
「ビジュアル版 氷河時代」という本が届きました
これによると氷河期はずっと冬だったわけではなく、
一年に三ヶ月ほどは夏で、その時期は気温が10度ほどになっていたそうです
氷河期というと一様なイメージで、
周年変化のことを想像したことがありませんでしたが 「ゼロ年代」っていう言葉は、
なんとなくかっこつけた感じがして好きではなかったのですが
2000年代だと2000〜2009年なのか、2000〜2099年なのかがはっきりしないので、
別にかっこつけてるわけでもない、普通の言葉ですね
1900〜1909年も、当時は「ゼロ年代」か、
それに類する呼び方をしていたと思いますが、
「ゼロ年代」でなければ何と呼んでいたのでしょうか? 90年代を1990年代、00年代を2000年代、10年代を2010年代と認識することが大切ですよね?
100年単位の歴史のスケールの上に置きなおさないと、
「あれから何年かー」みたいに出来事をあくまで個人的な時間間隔でしか捉えられないので NHKラジオの「実践ビジネス英語」を聴いていたら、
スマホ依存にはグレースケール化が有効だと言っていました
個人的に、電子ペーパーディスプレイを使っている時は気が散りにくいと思っていたのですが
一般性のある傾向のようです
色というのは思っているより人間の知覚を強く刺激しているのかもしれませんね? 想像力を使って世界を探究する、ということをしていると
自然とエクストリームな事象へと興味が向きます
具体的には犯罪者などです
ですが、犯罪者を内面から理解しようと思うと、
新聞記事じゃ全然足りないですよね?
新聞記事というのは犯人を理解するようには全く書かれていない
むしろ人ごととして書かれている
wikipedia などで事件のアウトラインを読んでみても、
やはり新聞記事と大差ありません
犯罪者の内面を自らの体験のように理解するためのいい資料はないでしょうか?
そういう仕事は芸術家しかしてないんじゃないか?
と思ってきました >>664
読んだことないけど、永山則夫の「無知の涙」とかどうだろう? >>665
ありがとうございます
永山則夫という名前は聞いたことがある程度ですが
文学者でもあったという点が興味深いですね
それだけ内面を語り得ていると期待できますので
kindle版をぽちりました 「無知の涙」を読んでいますが
作者が二十歳の時の日記なので、思想的な深さなどはありませんが
「書くこと」を信じているということは分かります
書くことが書く人間に作用すると信じている人の文章です
そういう意味で強いシンパシーを感じますね
自分もそうなので 今という時代を理解するために
戦前、戦中のことも勉強しなくちゃなーと思っていたのですが、進捗は芳しいとは言えないものでした
ですが、ある人物に着目して、
その人物を理解しようと思うと、その人物が生きてきた時代への理解も求められるので、
自然と歴史的な知識も付いていきますね?
しかも人間を通してみると、歴史的な知識がモノクロームの知識ではなく、
ライブ感のある知識になるので、一層好ましいです A・よくこんな問題が解けるね
B・こんな問題がよく解けるね
A・よくここまで来たね
B・ここまでよく来たね
「よく〜」を使った文章で質問なんですが、この例文の前者と後者の意味の違いって、どうなんでしょうか?
Aは題材(問題・場所)そのものの大変さ、Bは解決方法(解答・到達)の難しさを表しているって解釈でいいんでしょうか? 副詞が何を修飾するかという問題ですよね
Aは被修飾語候補が多いので、解釈に幅があるのでは
その幅の中にはBと同じ解釈も含まれている感じがします
AとBを完全に排他的な関係とかんがえるのは難しいのでは >>670
どうもです。例文の二組ですと、解釈にそれほどの違いはないってことでしょうか。
どうにも最近、副詞の使い方が気になってしまって…… 何故家だと外に比べて集中できないんだろう?と思ったのですが
選択肢が多すぎるからだと気づきました
ポモドーロ法は集中力を増すというよりも
時間を日常から切り離して他の選択肢を捨てるためにやるべきなのでしょうね?
実際、そう意識したら時間が濃密になりました
あと、作業中にラジオなどを聴くのが習慣だったのですが、
「ながら聴き」をすると日常の時間に引き戻されてしまいがちなので、
それもやめました
時間を特別にする、自分の意思で特別な時間を作ることができる、
ということが作家にとって(作家以外にとっても)大切な技術なのではないでしょうか? 全米図書賞に多和田葉子さんの「献灯使」 翻訳文学部門
https://digital.asahi.com/articles/ASLCH4Q06LCHUCVL00G.html
聞いたことのある名前だと思ったら、エクソフォニーの方だったのですね
>全米図書賞は1950年創設。フォークナーやフィリップ・ロスら米文学を代表する作家を選んできた。
ということなので、こそこそ真のホルホル案件ですよね?
まぁ、安倍一味は触れもしないでしょうけどもw イスラエル国防相が辞任 ガザ停戦に反発
http://www.afpbb.com/articles/-/3197667
>イスラエルのアビグドル・リーベルマン(Avigdor Lieberman)国防相は14日、
>同国がパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)を実効支配するイスラム原理主義組織ハマス(Hamas)などと交わした停戦合意に反発し、辞任を表明
>リーベルマン氏は自身が率いる極右政党「わが家イスラエル(Yisrael Beitenu)」を連立政権から離脱させる考えも示した
イスラエルの政治状況についての知識は皆無に等しいのですが
今までは極右政党の党首が国防相をしていたのでしょうか?
それって相当やばい状況だったのでは? 「なめことわたし」に応募しました。
11月16日ごろ発表と書いてあったのですが、去年は予告日に発表されましたか?
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
お願い致します。 語り手が語りながら身を置いている時間軸のことを何と言いますか? 想像力によって他人を理解するように、
理想の自分のことも理解できるのではないかと思いました
未来の自分は現在の自分とは条件が違うので、
現在の自分の条件を前提にして考えると必ず的外れになる、という問題がありましたが、
他人を理解しようとするように想像力を使えば、
現在とは異なる条件を持った未来の自分のことも理解できるのではないでしょうか? >>678の件ですが
未来の理想を考える時に、
よく現在や過去に実在する誰かをモデルにしたりしますよね
でも、そこに想像力があるのかと言えば、ない。
ある種非常に安易に、「理想」のイメージを借りてきている。
これは作家にあるまじき態度と言わざるを得ませんね? virtualboxにwindows10をインストールしてみたのですが
使ってないwindows7のプロダクトIDを入力したら、
普通に通りました
7に限らず、windows10へのアップデート対象だったvistaやxpのプロダクトIDも
普通にwindows10のプロダクトIDとして使えたのでしょうか?
だとしたら、最近パッケージを処分してしまったので、もったいなかったですね 〔アイデアの種を探すには〕
好き嫌いをはっきり自覚する/不満を解消できないか/常識を疑ってみる
/物事の基本に目を向ける/始まりの歴史を調べる
/予期せぬ失敗の中から見つける/遊び心といたずら心を発揮
/専門家と素人、両方の目を持つ。
とストーリーの書き方botが言っていました
納得できますね?
特に「専門家と素人、両方の目を持つ」が大切だと思います
まじめになりすぎると「そもそも何で作らなければいけなかったんだっけ?」となるので
芸術は遊びでもある、という一方の極を忘れないことが肝要ですね >>680の件ですが
windows10への無償アップグレードが可能なのは7以降でした
何故かxpから出来ると思い込んでいました 長編小説は、ワンテーマでは書けません。
いくつかのテーマが複合的に絡み合っていかないと成り立たない。
一つか二つしか構成要素がないと、
話はどこかで必ず分厚い壁に突き当たってしまいます。
(村上春樹)
とストーリーの書き方botが言っていました
これは経験ある作家でないと分からないことで
そうなのか・・って思いますね? >>681の件ですが
他の作品の中にある、特別な瞬間やニュアンスや構図を再現したい、
という動機が生産的でないのは(一度もそれが作品として結実したことがないのは)
そこには真実があるかもしれないが、遊びとしては不十分だからでしょうね? 真実を再現したら真実になるのは当たり前ですよね
でも、それだと作品にならなかった
何故かがやっと分かりました 「少国民世代」というのは、1941〜1945年に小学生だった世代、
つまり1941年に12歳だった1929年生まれから
1945年に6歳だった1939年生まれ、
という認識でいいでしょうか?(早生まれはないものとする) PCはやはり意識を拡散する性質がありますね
何か調べたくなって、ノートPCを開いたら、
いつのまにか5chとかツイッターを見ていて、
そもそも何をしようとしていたのかすら忘れてるみたいことが少なくありません
そうなるといかにノートPCを開かないかが重要になりますね?
PCでやることを単機能、低機能な複数のガジェットに振り分けた方がいいのでは?
と以前にも書きましたが、
やはりそっちだと思います マルチタスキング、マルチウインドウから、マルチガジェットへ、
とでも言いましょうか >>689の件ですが
マルチガジェット環境では
ソニーのデジタルペーパーが大きな役割を果たしてくれていますが
デジタルペーパーで付箋紙を扱えるようになったら神の上になりますよね?
平面的に考えたいなぁっていう時があって、
そういう場合には付箋紙はうってつけです
しかもデジタルペーパーなら付箋紙の台紙にもものを書けるので、
従来の付箋紙ソフトより便利になりそうです 最近の若い人はスマホがあるのでPC持ってない、嘆かわしい
みたいな論調がありますが
案外その方が捗るんじゃないでしょうか?
作業単体ではPCの方が効率が高いのは確かでしょうが
それで何でもできてしまう弊害はその効率以上に大きいのではないでしょうか?
PCはそういう問題が出てくる前に生まれたので
何でもできる方がえらい、という思想が根底にあります
そういう思想がそろそろ終わりつつあるのでしょうね?
PCが終わるというよりも新しい思想に基づいたPCが生まれそうな気配ですね
iPad Proの延長線上に >>687->>691
うざいからコテつけて
NGにするから
無意味でどうでもいい長文かくなよアホンダラ 以前は「つくる」を「創る」と書くのは
なんかかっこつけてる感じがして恥ずかしく、
必ず「作る」と書いていましたが
最近は「作る」だとしっくり来なくなり、
「創る」と書くようになりました
そういうことってありますね? 目標や懸案は、毎日少しでも進むのが大切ですね?
少しというのは、たとえば1メートルでも、10cmでも。
何とかしたいと思いながら進捗0mm、っていう目標や懸案が
どれほど多いことか。
目標や懸案から1メートルや10cmを切り出すことに慣れないといけないのでしょうね? >>694の件ですが
全然やってないことって
1ポモドーロ(25分)すら重く感じるんですよね
時間で切り取るんじゃなくて、例えば本なら2ページだけとか
そういう切り取り方が大切なのでしょうね? どんなに難解な本だったとしても、最終的には一日25ページは行かなきゃ。
大事なのは量だから。ただし速読ではいけない。 1ページでいいと思いますよ
むしろ一行でもいいでしょう
それでも0とは全然違うのです いや有意な量というのがある。
そこに達していなければ意味はない。 逆です。
ずーっと一日1行読むというのではありません
慣性が生まれるようにするにはどうするかという問題です
進捗には偏りがあるので、進捗する時には一気に進捗しますが
そのようなタイミングを待つためには、少しずつでも進んでいなければならないのです
1mmでもいい。進んでいるということが重要なのです
分かりますね? 確かに、あまりノルマに縛られない方がいいな。
それで結果的に有意な量を読めてるならいいんじゃないか。
最低でも20ページ、などとした方がより堅い気はするが。 それにやっていくと、結局毎日コツコツが一番だと判るだろうよ。 ただノルマは、自分の60%、40%でもいいぐらいだな。
結局100%やって損した気分になるもんだよ。 >>688の件ですが
何故Windowsを使っていると意識が拡散し、
iOSではそういうことはないのか?と思い
Windowsをタブレットとして使ってみたらいいんじゃね?と考えてタブレットモードにしてみたところ、
タスクバーが一気にシンプルになり、意識を拡散させる性質がはっきりと減りました
一番大きいのは起動中のアプリがタスクバーに表示されないことです
普段はタスクバーは非表示にしているのですが、
それでもタスクバーを表示した時に他のアプリが目に入り、それが気を散らしていたようです
PCではマウスとキーボード、タブレットではタッチを操作に使うところに秘密があるんじゃないかとも思ったのですが、
それはほとんど関係ないようです
以前はなんでWindowsはデスクトップOSとモバイルOSを融合したんだ?あほなのか?と思っていたのですが
むしろそれは賢明な判断だったようですね? iOSのchromeはタブバーやツールバーを必要なくなった段階でサッと消したり小さくしたりして、
集中力に寄与していますね
Windowsのchromeはタブバーとかツールバーとか出しっ放しで、情報が騒々しいです
こういうものがいかに集中力を削いでいるか。
早く新しいパラダイムが一般化して欲しいですね? >>703の件ですが
タブレットモードには「デスクトップ」というものがないのですね
言われてみれば、デスクトップというのは、デスクトップOS固有の比喩だと思います
じゃあモバイルOSにおける「とりあえずのファイル置き場」は、どこなのでしょう? いずれにしろ、重要なのは、PC/タブレットといったフォームファクタの違いではなく
パラダイムの違いですね?
タブレットが代表しているパラダイムをPCの上で実現できるなら、それが一番使いやすいものになるのは間違いないんですから。
ただWindows10をタブレットモードにしても、
アプリは旧来のパラダイムに則って作られたものなので、今ひとつ残念な感があります
iPadの延長線上に現れるであろう「新しいPC」は、そういうことを解決したものになるでしょうね? >>704の件ですが
タブバーを消せるブラウザはないものだろうかと探して、
名前を小耳に挟んだことのあるVivaldiをインストールしてみたら、まさにそういう機能がありました
作り手が新しいパラダイムを捕捉しているという点で頼もしく、
しかも、Chrome用の拡張機能をChromeウェブストアから普通にインストールできます
つまり、Chromeで出来ることはだいたいできて、Chromeでできないこともできる、というスゴいブラウザでした・・
これはもっとざわつかれてもいいのでは?
ニュース系の板でブラウザスレが立ってても、ほとんど名前出てこない気がします VivaldiがIE6に迫る - 10月デスクトップブラウザシェア
https://news.mynavi.jp/article/20181102-717456/
>シェアの上では0.13%および0.11%と小さい値だが、Vivaldiが20位にエントリし、19位のInternet Explorer 6に迫っている点も注目される
登場以来順調にシェアを伸ばしているようですが
0.13%って実力に比べていくらなんでも小さすぎますね?
パラダイムにおける優位性はどんな要素よりも重要なので、いずれティッピングポイントに達するでしょうけど
普及すればするほど枯れていくので、なるべく早い方が望ましいですね? >>706の件ですが
このパラダイムを何と呼べばいいのだろうと思っていたのですが
「ミニマリズム」がそれに当たるでしょうね?
あるいは「禅」でもいいかもしれません >>703の件ですが
タブレットモードという名前がいかにもまずいですよね?
デスクトップで使っていてタブレットモードにしようと思う人は
ほとんどいないでしょうし。
ありがちな名称ですがZENモードとでも変えた方がよろしいでしょう
ミニマリズムをデスクトップ環境に引き込んだことが
Windows10の最大のイノベーションといっても過言ではないのですから
「こっちが未来やぞ!」とはっきり示した方がいいと思います Microsoft、EdgeからChromiumベースのブラウザに乗り換えか
https://www.softantenna.com/wp/windows/microsoft-new-chromium-browser/
MSもVivaldiのようにChromiumベースのブラウザを開発するようです
これはいいと思いますね?
Vivaldiは現状では最良に近いブラウザだと思いますが、
ミニマリズムに全身全霊で邁進しているとは現時点では言いにくいと、調べてるうちに分かってきました
MSのこの判断が、Vivaldiはいい線言っているがまだ足りない、という認識があることを期待したいです ×という認識があることを
○という認識に基づいていることを
でした >>687の件ですが
「葛藤」を作るのは、「願望」と「障害」ですよね?
で、物語=映画、みたいな感覚だと
その障害が多くの場合、視覚的に映えるものとして描かれているので、
そういうものに飛びつきそうになるのですが、
本当はあれって「延長線上にあるもの」なんですよね?
世界に存在するさまざまな障害を、
ある種の比喩として、視覚的に映えるものとして表したものなので、
いきなり考えるものじゃないんですよね
世界について、人間についての理解を深めた上で、
結果的に辿り着く表現だと思います
最近流行りの異世界ものも同じで、
初心者でも楽に魅力的にするための形式みたいな感じになってますが、
あれも本当は「延長線上にあるもの」だと思います
本当は、いきなり書くものじゃない
そうですね? >>703の件ですが
タブレットモードには「このウインドウの後ろには何枚ものウインドウが重なり合っている」という感覚がありません
重ねるのではなく、切り替えるという感覚です
思ったのですが、机の上に何枚も書類が重なり合っている状態ってそもそも集中しにくいですよね?
机の比喩として生まれたデスクトップOSというものには根源的な問題があったと言わざるを得ません
そしてそれを克服するためにはiOSの登場を待たなければならなかった、ということでしょう タブレットモードを使うようになってから画面を分割できるスナップという機能を知りました
前から、Windowsキー+カーソルキーでウインドウが綺麗に分割されるぞ?とは思っていたのですが、
その機能の名前や重要性を理解していませんでした
タブレットモードを使うと、基本的に画面全面が一つのアプリになるので、
あるアプリを見ながら別のアプリを使うには、スナップの使用が必須になります
このスナップというのはウインドウの重ね合わせを否定したところから生まれてるんですよね
デスクトップOSを使いながらスナップを使ってみても、その意義が分かるわけがなかったですね? 人間や動植物、物質といった「存在」に対して、
制度や習慣など実体を持たないもののことを何と言いますか? >>694の件ですが
一度も考えたことのないことを考えるというのも腰が重くなりがちですね?
考えようとしたらつい他のことをしてしまう問題があって、
別にそんなに難しい問題でもないはずなのに、なんでだろう?と思ったのですが、
一度も考えたことのないことだからでした
以前考えたことのある難しいことより、
一度も考えたことのない簡単なことの方が、腰が重くなる。
だからこそ、一度も考えたことのないことを考えることに慣れないといけませんね? amazonで高騰していたロバート・マッキーの書き方本「ザ・ストーリー」の新訳
「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」が12/20に出るようです
これは楽しみですね? 以前読んだ書き方本に、副詞は省けというアドバイスがありましたが
安倍が「しっかり」などの副詞を空疎なものとして連発するので、
副詞を書いた時に抵抗を感じるようになりました
いい傾向かもしれませんね? デジタルペーパーのペンなどの軽いデバイスのバッテリーが切れた時に
直接MicroUSB端子に接続できる、極小軽量のUSBモバイルバッテリーはないでしょうか?
ペンキャップくらいのサイズで、MicroUSBオス端子が付いているようなものです
容量は少なくなるでしょうが、当座しのげるだけでいいのでそれでOKです
AliExpressでlightweight usb batteryなどで探してみましたが、
軽さをうたっていてもそこまで割り切ったものはないようです・・ ものを作っていて行き詰まりを感じる時というのは
問いを発する→答える→その答えを元に問いを発する→答える、
の連鎖が切れた時ではないでしょうか?
また答えが分からない時よりも、問いが分からない場合の方が多いのではないでしょうか? >>722の件ですが
問いの意義は創作だけに限らないですよね?
時間の空費は、明確な問いが頭の中にない時に起きているのではないでしょうか?
自分に発する問いの絶対数がそもそも足りなかったのではないか、と思ってきました >>722の件ですが
答えは一つじゃなくてもいい、
そして答える時に現時点での可不可を棚上げにしてもいい、
というのは自問自答の有用な原則でしょうね? 問題解決法の有用性を確かめるのに、
ゲームほど適したものはないかもしれませんね?
ゲームというのはざっくり言うと問題解決を楽しむものなので >>723の件ですが
問いというのは行動が折りたたまれたものなので、
自分の中の問いさえ分かれば、自分が今どういう状態にあるのか、
簡単に確かめられますね? >>726の件ですが
逆も言えますね?
行動から、自分が自分にほとんど無意識のうちに発した暗黙の問いを突き止めることができる、と >>722の件ですが、
質問の技術についての本ないかな?と思って、
「すべては「前向き質問」でうまくいく 質問思考の技術/クエスチョン・シンキング」
という本をkindleで読みました。
(かつては良く読んでいて、今ではあまりいい印象のない)いわゆる自己啓発書ですが、
この本に書かれていることは、当たり前で、単純で、そして極めて効果的なことでした
一言で言うと、「質問には良きにつけ悪しきにつけ力がある」ということです
質問に力があることには、自分も気づいていました
もちろん、このスレを通していくつもの気づきを得ていたというのもその理由の一つです
しかし、質問に自分を損なう力があるとは考えてはいませんでした
自分を損なう質問とは、
「今がやるべき時なのか?」「なぜやらないといけないんだ?」「これ本当にやる意味あるのか?」
こういったものです
この本は、自分を損なう質問を、自分をエンパワーする質問に変えることを説きます
たとえば、「どうやればいいのか?」のような質問に。
たったそれだけのことですが、結果は180度異なります。
自分をエンパワーするための質問の後ろには、問題を解決する意志がありますが、
自分を損なう質問の背後には、できれば先延ばししたい、もうやめたい、放り投げたいといった気持ちがあります。
なので自分を損なう質問に「誠実に」答えようとすればするほど、問題は停滞していきます。
まぁ、当たり前ですよね?
つまり質問には、隠れていた事実を明らかにする力だけではなく、意志や願望を実現する力がある。
そしてより強力なのは、おそらく後者の力なのです。
したがって、損なう質問と、エンパワーする質問を見分けることが重要になってくるのですが、
これは難しくないですよね。
いわば「響き」の問題で、そういうことと格闘し続けるのが創作者というものなのですから。
質問、やばいですね? よし、答えてやろう。どうやら根本がわかっていないようだからな。
人は考える生き物だが、行動するマシーンでもある。
で、考えることと行動することは、相矛盾する。つまり、考えようとすれば行動が鈍る。行動しようとすれば考えがおろそかになる。
ようするに、「考えたら負け。」だ。
なに、これはホリエモンの言葉だ。べつにホリエモン信者ではないが、最近見かけて、これが的確だからこのフレーズを利用しているまでだ。
世の中あまり考えないほうがうまくいく。だから凡人よりすこし賢い連中ほど、生活にゆとりがない。というか、バカな奴ほど、金を稼いでいる。いい生活をしている。
成功したければ、まず行動しろ。あれこれ考えている暇があったら、やるべきことをやれ。――なのだが、頭が回る連中は行動しようとすると、不安になる。不安になって、考え込んでしまう。しかし、そこで、
考えたら負け、だ。
が、立ち止まるな、考えるな、行動を起こせ。といわれても、今ある「不安」を解消するために「考えること」がやめられない。そうだ、
「考えること」は一種の麻薬。
「考えること」は快楽だし、金がかからないから、最低限の生活ができていれば、人生、「考えること」のみで満足できてしまう。
だが、それでいいのか? よくないな? と、不安になると、またその不安が「考えること」をさせ、そこから「考えること」の連鎖が始まる。
この連鎖を断ち切るためには、「考えたら負け。」を意識しろ。わかるな? わからなかったら、おまえの時間はいつまでも止まったまま。 >>729
逆です。
たしかにクエスチョン・シンキングは表面的に考えると、理由や意味を問わずにとにかく実行するという
いわば「ホリエモン」的な態度になりがちです
ですが、ホリエモンシンキングとクエスチョンシンキングは決定的に違うところがあります
クエスチョンシンキングは、心の深い部分でそれをやることが正しいと知っていることを実行する、ということです
心の深い部分ではやった方がいいと知っているのに、つい避けたり先延ばししたりしてしまうことがありますが
クエスチョンシンキングは、そういうスタックから抜け出るための技術なのです
著者がそう書いていたわけではありませんが、自分はそう理解しました 外形的には「意味」や「理由」や「時期」を問うているようでありながら、その根底には「やめたい」という願望が横たわっているような、
そういう問いをやめる、ということです
ですから質問の外形からは単純に同定できないんですよね、
エンパワーする質問と損なう質問は。
でも自分の心の中のことなので、自分の質問の根底に何があるのかを見つけるのは、
さほど難しいことではないと思います 文学作品のテーマを集めた辞典はないでしょうか?
そういうのあるだろうと思って探したのですが見当たりません
「児童文学テーマ全集内容総覧」というくそ高い本はありましたが・・ テーマの面白さというのは、可用性の高さにあるのではないでしょうか?
テーマは一般的にジャンルを規定しないので、
同じテーマで、純文学も、サスペンスも、SFも、ホラーも、ラブストーリーも書けます
さらに同じテーマ、同じジャンルでも、時代の変遷によって描き方が変わります
そういう鏡のような性格がテーマにはあって、だからこそ面白いですよね? >>719の本が届きましたが
きわめて真っ当な本ですね
たとえば次のような一文の中に、その真っ当さと特別さが表れています
すぐれた脚本家は、その人独特の語りのスタイルを持ち、それは本人の思考のあり方と切り離せないばかりか、深い意味において思考そのものとなっている。
(ロバート・マッキー「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」)
その通りですね? >>721の件ですが、
極小バッテリーは見つかりませんでしたが、
OLAF Magnetic Cable For iPhone USB Type C Micro USB Cable 8 pin Fast Charging Adapter Plug Micro-usb Type-C Magnet Charger Cord
https://ja.aliexpress.com/store/product/OLAF-Magnetic-Cable-For-iPhone-USB-Type-C-Micro-USB-Cable-8-pin-Fast-Charging-Adapter/3626113_32868721015.html
このMicroUSBコネクタをMacBookのMagSafeみたいに磁石化&コンバーチブル化するやつを買ったら
ガジェットの充電が便利になりました
何も考えずにコードを近づけるだけで勝手に接続されるのでいいです ストーリーテラーは人生の詩人、つまり、日々の暮らしを、人生の内側と外側を、夢と現実を詩に変える芸術家だ。
その作品は、ことばではなく出来事を組み立てて生み出され、「人生とはこんなものだ」と二時間で語る隠喩である。
(ロバート・マッキー「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」)
ストーリーは、言葉ではなく出来事で語る詩だと。
その通りですね?
出来事の言葉化といってもいいかもしれません >>725の件ですが
以前はゲームをやっていて、出題の良し悪しが非常に気になっていました
問題の中に、出題者が信用に足る人物なのかどうかの手がかりを探して、
問題にどこまでコミットするべきかを測るようなところがありました
問題というのは出題者の思考とがっつり組み合うものなので、
出題者がそもそも信頼に足る存在でないと、
それに取り組む意義が根底から崩れる、と考えていました
いいゲームというのは、ユーザーにそういう不安を与えないものです。
が、クエスチョンシンキングを心がけるようになって気づいたのですが、
たとえ信頼できない出題者でも、歪められるのは解答だけなんですよね?
条件を探して、ルールに関する仮説を立て、あれこれ可能性を考えて、それを試すところまでは、
どんな問題でも同じです
であるなら、どんな問題でもそこまではできる。
結果的に間違っていて、そこにフェアネスの不足を覚えたとしても、
その問題に取り組んで考えたことは消えはしない。
ゲームの本当の果実というのは、正解することの中にではなく、
実はその、問題を解くために考える、ということの中にある。
そういうことに気づきました
そうすると、以前よりもずっと問題を解けるようになりました
これは大きな気づきですね? >>737の件ですが、
クエスチョンシンキングを心がけるようになって気づいたことのもう一つは、
自分は案外「問い」を発していなかった、ということです
「どうすればいいのか?」と問わずに、何も考えずに以前のやり方を踏襲することが案外多かった
そうすると、当然ですがそこに進歩はありませんね? 他人が見ることもあるネットに書くなら抽象的なことをうわ言のように書くのでなく
具体例を交えて書くように心掛けるといいですよ >>737の件と関連しますが
考えるための材料がその場に全て揃っている、
というのがゲームというものの大きな特徴ではないでしょうか?
中には単語合わせゲームのような例外もありますが >>714の件ですが
ロバート・マッキー「ストーリー」によると
ジョン・カーペンターが「映画とは精神的なものを物質的なものへと変えること」と言っていたとのことです
同じことですね?
逆に、小説はそこまでの物質化は求められないので、
映画で物質化された要素をふたたび精神化するようなプロセスが必要なのかもしれませんね? あけましておめでとうございます
2018年は大変お世話になりました。
2015年は物語というものを探求する年、
2016年は、目が世界に向いた発見の年、
2017年は、目が内面に向かった年と書いた者ですが、
2018年は、脳の使い方が変わった年と総括できる気がします。
デジタルペーパーを購入して、手書きをよくするようになったことがそのきっかけになったように思います
見えないものを見るために想像力を使うことを覚え、
そして「問い」というものには良くも悪くも大きな力があることに気づかされました
2019年は、実際に創作をする年にしたいです
今までは、創作するための資格がまだ揃っていない気がしていましたが、
そろそろOKサインが灯っている感覚がありますし、焦りもあります
ただ、それでも去年の年末に得た「問い」に関する気づきなどは、
創作者としてぜひとも知らなければならないものだったと思いますし、まだ足りないものがあるのかもしれません
いずれにしろ精進するしかないのでしょうね?
本年もよろしくお願いいたします。 純文学系の賞に応募して落選した作品を読みたいです。
kindleなどにないでしょうか?
ネットに掲載されている情報を教えてください。 応募して落選した、という条件だと探すのは難しそうですが
もし応募すれば落選するであろう、という条件なら、沢山あるのでは?
生まれる作品のうち圧倒的多数がそれに該当しますよね 中山七里「作家刑事 毒島」を読んで落選作品をぼろかすに言っているので、
落選作品を読んでみたくなりました。
最近、小説を書き始めたので、どんな作品が悪いと言われるのかを知りたいと思いまして。
どこかのスレッドでアマゾンのkindleに無料で落選作品を掲載しているのを見たのですが、
今更ながら探しても見つかりません。
もし手がかりがあればと思い、書き込みをさせていただきました。 Amazon KDP(Kindle Direct Publishing)で小説を出版した話
https://qiita.com/moriturus/items/b380e40693577a7492fb
>小説は昔書いて電撃か角川の新人賞に送って落選したものが手元に残っていた
検索したらこういうのが出てきました
スレに書かれてたというのはこの方ではないでしょうが、
KDPで落選作品を出版するというのはわりと行われていることなのかもしれませんね どうもありがとうございます。
アマゾンの方は消されてましたw
気が付いた時に教えてください。
わざわざ探さなくても結構です。 「育児に格闘」という言い方はありなのでしょうか?
自分は「育児に奮闘」はOKだと感じますが
「格闘」を使うなら「育児と格闘」と言いたい感覚があります
でも、それだと「育児」が何か敵ででもあるようなニュアンスが出るので、「育児と格闘」には違和感があります
とはいえ「奮闘」には、「陽」のニュアンスがあるので、「陰」の文脈では使いたくありません
検索すると、「育児に格闘」という言い回しも使われてはいるようですが・・ 「に格闘」ではなく「と格闘」と言いたいのは、
格闘に「組み合う」の意味があるからだと思います
「育児」は、ある対象とがっちり組み合うというよりも、多発的な苦労に対処していく、という感じなので
「格闘」は、ふさわしいとは言いにくいかもですね >>748の件ですが
ドタバタ感を出したくない時は「育児に追われる」ですね
「奮闘」とか「てんてこまい」とか「大わらわ」とか「きりきりまい」とか、
ドタバタ感のある言い回しが多いので、「追われる」の落ち着きは貴重です ふと思ったのですが、外国語のリスニングって水泳に似ているのではないでしょうか?
数メートル泳ぐのが難しくないように、ごく短いセンテンスの聞き取りは難しくない
泳ぎの得意じゃない人は、泳いでいる間ずっと無理をしているので、10メートルくらいで限界に達する
同様に外国語のリスニングが得意じゃない人は、聞き取りの間ずっと無理をしているので、センテンスが一定の長さを超えると限界に達する
ということは、無理なく25メートル泳げるようになったら、あとは50メートルでも100メートルでも困難さに大差ないように、
外国語のリスニングにおいても、一定の長さの文を無理なく理解できるようになったら、
あとはそれがどれだけ伸びても付いていけるようになるのではないでしょうか?
だとすると、重要なのは長さなので、
「簡単な長い文」を聴き取れるようにするのが上達の近道なのかもしれませんね? >>748
考えた事が無いけど
育児に奮闘するのは自然に感じられるけどどこか客観的
奮闘も格闘も結局どちらも戦ってる
その中でも格闘は具体的に物理的に戦ってる
つまりはオムツの装着交換方法やミルクの温度調節とか
げっぷの吐かせ方なんかは格闘のようにも見える
第三者が全体をざっくり説明するなら奮闘だが
育児当事者は格闘しているのかもしれない >>752
最初のニーズが概括だったのでそういう距離感で考えていましたが
視点を近づけて個々の出来事に注目するなら、「格闘」の方が「奮闘」よりぴったりきますね
ありがとうございました ☆★☆【神よこのようなクソ悪党どもを一匹残らず殺してくださいお願いします】★☆★
《超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪首謀者》
●井口・千明の連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−16
●宇野壽倫の連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202
【告発者の名前と住所】
◎若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)の告発
◎肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2)の告発
「宇野壽倫の嫌がらせがあまりにもしつこいので盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所を公開します」
【超悪質!盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所】
@宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い 悪魔のような形相で嫌がらせをしてくる
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている 「相克」というのはテーマなのでしょうか?
物語の基本構造としてあるものなので、テーマよりも大きな何かという感じがします
「男女の相克」のように具体化すると、それはテーマだと思いますが 他にも、「時間」や「存在」などが、テーマ以前のものとしてあると思います
「時間」は、テーマの一つとしてある気がしていましたが、
単なる時間は、テーマにはならないんじゃないか?という気がしてきました >>728の件ですが
このクエスチョンシンキングは日常のちょっとした失敗の時にも効果を実感します
以前は「何でやってしまったんだ?」「何をやってるんだ?」というような、
本質的には「嘆き」でしかない問いを発していましたが、
今では「リカバーするにはどうすればいいんだ?」
という問いがすぐに出てくるので、話が早いです >>728の件と関連しますが
ウォーレン・バーガー「Q思考 シンプルな問いで本質をつかむ思考法」という本を読んでいるのですが、
その中で「Q(クエスチョン)ストーミング」というものを紹介していました
普通のブレーンストーミングではアイデアを出しますが、Qストーミングは問いを出します
つまり問いだけをどんどん出していくブレーンストーミングです
これは良さそうですね? もうじきswitchを買ってスマブラでオンラインがしたい者です
家には回線工事をしてなくてHUAWEI Mobile WiFi E5577というよくわからん
Wi-Fiのやつがあります初めてのオンラインをするので
どうしてもさくさくにプレイがしたいですそこで調べたら
有線LANケーブル アダプタ で出来るらしくてやりたいのですが何か
契約とかするのですか?あと他の物もいりますか? >>759
有線でインターネットしたければ光回線を契約する必要があります
ただ、最近の無線は速いので、無線で十分という意見もあるようです
とりあえず無線で様子を見てから考えてもいいのではないでしょうか >>760さんありがとうございす泣
ゲーム機のオンライン?は初めてでラグは相手にも掛かるということを
聞いたので少しでも迷惑はかけたくないので質問してみました笑
とりあえず様子を見て遅ければ諦めます笑
(最近の無線は早いのか笑) 自分自身に発する問いが、人生を形作る。
このことに異存はないかと思いますが、
頭の中だけでこれをするのは限界があると思います
ちゃんと書いてみて、はじめて考え始められる種類の問いもありますね?
特に、大きな意味を持つ問いはそうだと思います >>757と関連しますが
何かをなくした時にも、
「もし、あるとすればどこにあるか?」と問えばすぐに見つかりますね?
まったくもって当たり前のことなのですが、
その当たり前の問いを発さずにやみくもに探すことがいかに多かったか気づかされました >>763ですが、
これも「何でなくなくったんだ?」という「不満」で「問い」のターンを消費してしまっていたので、
本来発すべき問いが発されていなかった、ということでしょうね? 人間というのは感情や意志を自由にコントロールすることは困難ですが、
「問い」だけは容易に、ほぼ完全にコントロールできるんですよね
だから「問い」こそが人生の鍵になるのは当たり前ですよね? いや
意思と感情をコントロールするし
それは最上ではなくて最低限 >>766
逆です。
志操堅固な人が存在しないとは言いませんが、非常に稀です
また志操堅固ならいいというわけでもありません
間違った方法に執着し続ける場合もあるので。
つまり、揺れるということもまた大切な資質なのです
クエスチョンドリブンなら、間違っていた場合の軌道修正も早いです
間違いを認めるという困難な作業も、クエスチョンドリブンならさして難しくありません お前の他人の言うことにすべて否定するというのが
幼稚園児でも分かる間違った方法への執着で
見る者に嫌ーな気分にさせ続けてることなんだけど
お前には修正が出来ない
お前は馬鹿過ぎるということですよ >>768
そうですか・・
アドバイスありがとうございます 正解を言おう
お前らめんどくさい
だから生きにくいんだよ 「生きやすさ」を求めているのならそういう風に生きればいいだけですよね?
そんなものは求めていないんですよ >>771
なら生きやすい方法を選んだ人間に絡んで引きずり込もうとするなw
決別しろwww
迷惑だwww あと、生きやすい方法を選んで生きる人間にダニのように寄生すな >>737の件ですが、
ゲームを真剣にやるようになったので、
分からずにネットで答えを見てしまい「そっちかー」ってなるのがめっちゃ悔しいです
ゲームの解き方について語っている本とかないでしょうか? >>774の件ですが
ギブアップする問題で多いのが、
複合的な謎で構成された問題で、謎を解く順番が間違っていた、というパターンです
問題に謎Aと謎Bが含まれていて、謎Aを解くには謎Bを解いて手に入れる情報が必要なのに、
先に謎Aに取りかかってしまい、えんえん悩んだ結果諦める、というやつです
原理的に解くことが不可能な謎Aが難しい問題のように見えてくるほど、後回しにしていた謎Bが視界から消えていくので、
余計にハマっちゃうんですよね
そういうことって人生にもあるかもしれませんね? >>775の件ですが
創作でも、分からないところがあって調べ始めたら、
その範囲が広すぎて、「調べ物沼」に足を取られている間に、最初の目的を見失ってしまう、
ということは決して少なくないですよね?
でも、こういう問題も、クエスチョンシンキングで解決できそうな気がします
クエスチョンシンキングが沼から身を引き上げるための命綱になるのではないでしょうか? グリム童話に、ねずの木の話(KHM47)というお話があります
男の子が継母に殺される話なのですが、この男の子は昼間に学校に通っています
昔話なのに学校制度が出てくることに違和感がありますが、
さらにこのお話は、「ずいぶん前のこと、二千年ほど前でしょうか」という言い回しで始まるのです
紀元前に子ども達が通う学校なんてあったのでしょうか? 30Wと32Wの蛍光灯で、30Wだけが切れたんですが、なぜ30WだけLEDに替えることはできないんですか?
ジャブ ∩∩~
~○゙≡⌒(・。・○゙
____ヽ`´、_)
 ̄ ̄ ̄ ̄ιγ )゙
 ̄ ̄ ̄ ̄ιι゙、
_____υ υ゙ キュッ >>778
本当ですか?
それは不可解ですね
ソケットの先が違うだけだと思うのですが・・ togglを使ってポモドーロ法をしていた者ですが、
ポモドーロを意識すると、「何を、何ポモドーロするか」が目的になりがちですよね?
しかもそれを繰り返していると、ずっと代わり映えのしないポモドーロのセットを繰り返している気分になってきて、飽きてきます
実際には、その「飽き」が疑問の起点になったのですが、
「創作」というざっくりとしたラベリングをするのではなくて、
具体的な小目標を立ててそれを目指すようにしたら飽きないんじゃないか?と思い、
ポモドーロにこだわらずに小目標をこなすように変えたところ、飽きが解消されました
ただし、togglでの時間測定は継続します
小目標の全行程に対して、どれほどの速度で進んでいるかを確認するために必要ですし
また適度な休憩を取る目安にもなるので。
ポモドーロテクニックは集中力を増す方法と言われていますが、
ただ漫然と行うだけでは「飽き」を呼び込んで逆効果なところもあるかもしれませんね?
繰り返しに必ず伴うのが飽きという副作用なので、
繰り返すのなら飽きないための強力な仕組みが必要だと思います 社会人の常識だと思うのですが、質問です
職場で故障した機器の修理に来てくれている人がいて
作業は完了しましたが、上司が不在でした
この時署名を求められたら、上司の名前を書く、で正解ですか?
郵送された荷物を受け取るときにも同じことを思うのですが、誰にも聞けないで悶々としています
よろしくお願いします そういったサインは責任の所在を明らかにするためにするものですから、
あなた自身のサインを書けばいいのだと思いますよ
もしも上司の名前を勝手に書いたとしたら、問題が起きた時にサインをしたわけではない上司に責任が行ってしまうので 「魔女の声だと見抜いた」という言い回しは、やはりおかしいでしょうか? >>776の件ですが、
>>719に書いたロバート・マッキー「ストーリー」に次のような下りがありました
注意すべきことがある。調査によって題材は得られるが、それは創造力の代わりにはならない。
(…)
調査は重要だが、出来事を作り出せなければなんの意味もない。
(…)
調査をいつまでも引きずるのもよくない。自信が持てず、書斎に何年もこもって結局何も書けずに終わる人も多い。
調査とはあくまで想像力や発想という荒々しい獣の餌であり、それ自体が目的ではない。
調査には守るべき順番もない。社会的、伝記的、歴史的調査に関するノートが完成するのを待ってから、
ゆっくりとストーリーを組み立てるなどというのはばかげている。
創造力とはそんな杓子定規のものではない。創作と調査は交互に進めればいい。
これは耳が痛いと同時に、励まされる言葉ですね? >>783
おかしな感じはするけど、間違いじゃない。
魔女の声を「聞き分けた」「聞き取った」では意味が変わってしまう。
「音を見る」と書けば別に不自然なことではないでしょ? 実際、音が見えてしまうという人もいるぐらいだし。 >>785
ありがとうございます
でもやはり違和感があったので「勘づいた」にしました 毎日掌編を書こうと思うんですが、お題が自動で生成されるアプリか何かありますか? お題 ジェネレータ
とかで検索したらいろいろ出てきますよ
ランダムテーマジェネレータ
http://therianthrope.lv9.org/dai_gene/
とか >>724の件とも関連しますが、ロバート・マッキー「ストーリー」に以下のような文がありました
独創性とは、ひとつの問いに五つ、いや、十か二十の答えを用意することだ。
(…)
創造性とは、独創的な取捨選択をすることである。
(…)
完成した脚本に、書きあげたすべてのシーンが残っている場合、
ひとつのアイディアも捨てなかった場合、
台詞を少しいじった程度で書きなおしをすませた場合、
それはほぼまちがいなく失敗作だ。
(…)
自分が成すことの九十パーセントはベストに及ばないことを、われわれは心の奥底で知っている。
だが、綿密な調査をおこなうことによって、ひとつの問いに対して十通り、
ときには二十通りのアイディアを出し、すぐれた選択によって、その十パーセントを選んで残りを捨て去れば、
すべてのシーンが魅力あふれるものとなり、世界はあなたの才能にひれ伏すだろう。
これは励まされますね?
アイデアというのは、出せるだけ出して、その中から選りすぐるものなのだと。
気負いが大きくなると、アイデアを出すことにすらためらいを感じるようになりますが、
ためらっている場合ではありませんね?
9割の確率で捨てられるものなのですから、気楽にバンバン出していくべきものがアイデアだと
マッキーに教えられました 何を捨てるか見極めて選べるのも才能のうちだよね。
俺なんかもったいなくて10思いついたら7は使っちまうけど、
それを1にせよってことだね。 「部屋が散らかった状態」とは、モノが直接床の上に置いてある状態だと気づきました
そう気づいてみると、部屋を片付けるための全くあたらしいプランが思い浮かんできますね?
沢山のプラグが刺さった電源タップの存在が部屋の乱雑さに度を加えていましたが、
この電源コード群を「床から離す」ことができれば乱雑さがめざましく低減します
具体的には、キャスターやテレビボードの上の見えにくい場所に、マグネットなどを使って電源タップを配置します
そしてその母艦的な家具をいわばハブにして、その周辺の電気器具を接続します
母艦への配線は、壁に沿わせます
こうすることで床を這う電源コードをほとんどなくすことができます
これは最近話題の「こんまり」も気づいてないメソッドではないでしょうか?
「散らかりとは、モノの床への直接的な布置である」 >>792の件ですか
建築やデザインにも通じることですよね?
何かを何かに直接配置することはできない、ということがある
そういうことに通じていない人がデザインをすると、素人の仕事になってしまう >>780の件ですが、
特定の作業の停滞が生活全体に波及するということがあります
ポモドーロテクニックにはタスクを隔壁に閉じ込めて、他のタスクに影響しないようにする、という意味もあったと気づきました
なのでポモドーロを崩すのなら、停滞の泥沼から自らを救い出す方法を見つけていく必要がありますね? >>795の件ですが
停滞というのは、ある目標に向かって進んでいるが、なかなか進まない、ということではなくて(もしそうなら、途中で切り上げることも可能です)、
終了条件がよく分からなくなって、どこにいるのかや、どこに向かうべきかが分からなくなっている状態ですよね?
一種の遭難状態といえましょう なので、作業を始める前に終了条件を可能な限り明確にしておく、
という方法がまずあるでしょうね? 今、スーパーで「熟成 ロース とんかつ弁当」というのを買って食べたら完全にチキンカツでした。どうしたらいい? こんまりメソッド、なぜ全米で大反響? 日本発の片づけ術が“セラピー”として機能する理由
https://realsound.jp/movie/2019/01/post-308353.html
>自分が持っているあらゆるモノの定位置を一つ残らず決めること。じつはこれこそが収納とは何かの本質なのです
同意ですが、その置き場所が「床に直接」では駄目なんですよね?
特によく使うものほど、とりあえずそのへんに、となりがちですが、
よく使うものの置き場所をちゃんと作ることが重要だと思ってきました >>741の件ですが
掃除していたら昔書いてた読書日記が出てきて、それを読み返していたのですが
ベラ・バラージュ「映画の理論」の抜き書きの中に
「映画の中では、一切の外的運動は内面の表現になる」という一文がありました
カーペンターの言葉はこういった先人の知見が下敷きになっているのかもしれませんね? 片付けの件ですが、
引き出しの中とかプラスチックトレイとかに、
色んな道具がごちゃごちゃ放り込まれてカオスになっていることがよくあります
自分でも何があるか把握してないので同じモノがいくつも入ってたりします
このカオスを文明化するためには、
フォルダの中のサブフォルダのように、コンテナの中のものを更にグルーピングするものが必要ですよね?
百均で売ってるチャック付きのビニールが適当だと思います、サイズ展開もしてるので。
基本的にコンテナに直接はモノを入れずに、全てのモノをグルーピングしてサブコンテナに入れておく、
くらいの感じがいいのかもしれませんね? こんまり氏は「捨て」を強調していますが
本当はその先こそが問題だという気がします
捨てるっていうのは、ある種気持ちよくて楽な作業なんですよね
だからこそ受けているのでしょうけど
捨てるわけにはいかないモノをどう配置していくか
これこそが問題です その虚栄心の塊みたいな文体は相変わらず気に入って使ってるんでしょうな >>804
虚栄心とは?
どのへんを見てそう思ったんですか? 片付けの件ですが、
すぐに使えるモノを置ける場所というのは稀少な資源なんですよね?
同じモノでも、ストック分とすぐ使う分(コンピュータ用語で言うキャッシュ)を分けて、
キャッシュだけをそこに置くという方策がいいのでは?と思いました
というかコンピュータ用語のキャッシュっていうのは、そういう比喩ですよね?
すぐに使える手持ちのデータを、すぐに使える手持ちのお金にたとえたのでしょう
逆に、「現金」っていうのはそういうものなんだな・・という理解があります
今までは頻繁に使うと判断したモノを全て手の届く範囲に置いていましたが、
キャッシュの概念を導入すれば、より多種のモノを置くことができます 世の中99,9%以上は凡人の庶民でいくらでもかわりのいる存在ですか? >>807
違います
決められた仕事を決められたようにならなければならないという条件なら、
そこに個人の創造性が反映する余地はさほど多くはありませんが
それは条件に規定されているだけのことです
そのような20世紀的な労働条件はもはや崩れつつあり、これからますます崩れていきます
この世界に同じ人間は一人もおらず、
全ての人が独自の経験や独自の視点を、そして独自の自我を持っていますが、
人類はその違いの中から価値を汲み出せるようになっていくでしょう ×決められたようにならなければならない
○決められたようにしなければならない
でした ジャンルに精通することによって、脚本家は時流を読むことができる。
ジャンルごとの約束事は不動のものではない。
社会の変化にともなって進化し、成長し、順応し、変容し、分裂していく。
社会はゆっくりとではあるが、確実に変化していて、社会が新しい段階にはいるにつれて、ジャンルも形を変える。
ジャンルとは現実を知るための窓であり、作り手はそこからさまざまな見方で人生を観察する。
窓の外の現実が変わるとき、ジャンルもそれにつれて変化する。
(「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」)
その通りですね?
こういうところまで踏み込んで書いている「書き方」本は記憶にありません
旧訳がAmazonで高騰していたのも納得です >>807
日本はそうだね
99%の人間が同調するのでそれが巨大なパワーとなり
99%がそれなりに幸せ
外国は違う
基本的に突出して生き残ったもの勝ちの社会なので油断してたら死ぬ
代わりに勝ったものは日本とは比べ物にならない王になる ふと気づいたのですが、
いつの間にかコトバンクで日本国語大辞典が引けるようになってますね
いい時代ですね? 好尚に投じる
という言い回しがあります
好尚に合わせる、のような意味で使われているようですが
何故「投じる」なのでしょうか? 今日エレメンタルナイツRを
始めたんですが
ログアウトってどうやるんですか?
メニューにたどりつきません
日記をやりたいんです
日記民になりたくて
誰か教えてください ありがとうございます
時好に投ずるという言い方もあるのですね
言われてみれば、見かけたのは時代の好尚に投ずる、という使用例ばかりでした
間違いではなく同じ意味ではないでしょうか
しかしなぜ投ずるなのでしょう
なんとなくこういう言い方は漢文由来の気がしますが 片付けの件ですが、
物とその置き場所について考えていて、
儒教の「長幼の序」というのは、人間を整理するためにあったんじゃないか?とふと思いました
人の「置き場所」が決まると、社会が理解しやすくなりますし、
特定の機能を帯びた人にもアクセスしやすくなりますよね?
社会を理解しやすいものとして構築したい、という意識が根底にあったような気がします
だからこそルース・ベネディクトが「菊と刀」で指摘したように、
他人の領分を侵すことへの非常に強いタブー意識があったのではないでしょうか?
よく儒教は支配者に都合がいいものだと言われますが、それだけだと腑に落ちないんですよね
社会をどういうものとしてデザインしたいのかというアジア人の感覚と合致していたという感じがします 「マクベス」を読んだのですが、疑問があります
バンクォー殺しの暗殺チームに、当日三人目が加わります
突然増えることになった謎の仲間に二人の暗殺者が尋ねると、マクベスに命じられたと答えます
いかにも伏線っぽいのですが、その後この三人目の暗殺者が誰だったのか明かされることはありません
この三人目は誰だったのでしょうか?
もう一つ、マクベス討伐に、ダンカン王の次男、ドナルベイン王子の姿がありませんでした。
ここも伏線っぽかったのですが、その後触れられることもなく。
ドナルベイン王子は何故マクベス討伐に加わらなかったのでしょうか? googleでレシピを検索すると、検索結果に調理時間とカロリーも含まれるようになりましたが
これに何人分かもあわせて表示して欲しいですね?
何人分なのかというのはレシピに重要な要素だと思うのですが案外軽視されている気がします
少人数用のレシピを大人数に適用する方が、大人数用のレシピを少人数用にするより簡単なので
少人数用レシピを基本にして欲しいです 昔話のおじいさんは山に芝刈りにでかけますが
日本国語大辞典の「芝刈り」の項目には
高さをそろえてきれいにするために、延びた芝を刈り込むこと。《季・夏》
?芝刈(1921)〈寺田寅彦〉
「まだ実際には経験しない芝刈の作業を強く頭に印象させながら」
とあります
なぜ山でそんなことをするんですか?
山の管理を任されていた? さらに気になるのは「芝刈り」の初出の新しさですね
昔話なのに20世紀とは?
昔話というか、桃太郎ですが。
桃太郎は国威発揚のために作られたというような説がありますが(もとになる伝説は昔からありますが)
「芝刈り」も捏造だったのでしょうか? 素人くさい漢字の間違いですね。
山で切り取るのは「柴」(雑木の小枝)で「柴刈り」です。 おかしいと思いつつ同音異義語の可能性をすっかり失念していました
ありがとうございました 柴の件ですが、
柴が燃料資源として使われていたという認識自体がなかったと気づきました
昔の燃料資源=薪と思っていましたが
薪というのは燃料資源としておそらく高価な部類だったのでしょうね?
材料、道具、労力などのハードルが高いので
貧しい人々は柴を使って煮炊きしていたのでしょう >>825の件ですが
恐怖を感じた時に鳥肌が立つのと同じメカニズムという気がします
それが感動であれ、恐怖であれ、感情が激しく動くと、何故か寒気を感じ、鳥肌が立つ
しかし何故感情が激しく動くと寒気を感じるのでしょうか?
逆に感情がゆっくり動くと温かさを感じますよね?
「ほんわか」「ほっこり」などと形容するように 「目を覚ます」は主に自動詞的に使われますが
他動詞として使ってもいいのでしょうか?
「彼女は彼の目を覚ました」など 「カクヨム」の
「注目の作品 最近注目を集めている作品をピックアップ!」は
どういう基準で選ばれているのでしょうか。
ほとんど宣伝していない私の作品がなぜか
2回ほど載っていました。
AIが判断するんですか。それとも人間が読んで
目を通しているのでしょうか。 単純に最近のアクセス数が多かったからでは?
その最近というのが、直近一時間なのか、三時間なのか、六時間なのか、一日なのか、三日なのか、一週間なのかは分かりませんが 電子ペーパーディスプレイのPaperlikeが壊れてしまいました
今朝は寒くて、ファンヒーターがいつもよりハイパワーで稼働していましたが
その風が当たるところに置いてあったUSB充電器が熱くなっていました
そのために過電流が流れたか何かしたようです・・
でも、これには伏線があって、日々のクエスチョンシンキングの実践の中で、
ファンヒーターの位置を変えてみたり、配線の位置を変えたりしたりしていて、それが故障の原因を作っていたのでした
おそらく何も改善していなければ、壊れていなかったでしょう
改善は、必然的に変化を起こすので、思わぬ結果を招くこともある、というのは重要な認識でしょうね?
ですから何かを一つ改善した時には、こう問うべきなのでしょう
この改善にはどんな副作用があり得るか?と
そして、たとえ失敗しても、不断の改善を続けることですよね?
改善すればするほど、それが引き起こす副作用とその予測にも慣れていくので >>830の件ですが
一日おいて駄目元で繋いでみたら、なんと直っていました
内部で何かがリセットされたのか、
あるいは一時的に正常動作するようになっただけでやはり壊れる過程にあるのかは分かりませんが
こういう場合にこそ気づきに真摯に対応しなければいけないでしょうね? ふと思ったのですが、本って机に向かって読みにくくないですか?
机に向かって本を読んでいると気が散るのは、元来作業をするための場所だからではないでしょうか?
もっとゆるい場所の方が捗りますよね
喫茶店とか風呂とか電車の中とか >>833
そうですね
目を覚ますことができるのは自分だけで、他人の目を覚ますことはできないようです 違いますね。
「目を覚ました」で正解です。ただし、その場合、当たり前ですが、比喩です。
睡眠から目を覚ます、という意味ではなく、今までが無知で、まるで眠っていたような感覚だった、という誇張表現をしているのです。
わかりやすく書くと、
「彼女の決死の行為は、彼の目を覚ました。」
日本語はこういった使い方をするのがほとんどです。
「彼女は冷たい人だ。」という言い方も、べつに彼女の体が冷たいわけではありません。
まただから日本語は難しいのです。
たとえば>>832で「机に向かって」なんていう言い方も比喩だからいちおう理解できますし、日常会話ではよく耳にするのですが、文章にすると「だらしない」印象を与えます。
うまく文章になじませないと「ヘタクソ」と思われるでしょう。
ちなみに本を読んでいて気が散るのは、自分にとってその本がつまらないものだからです。
つまらないけど、知識として必要だ、という考えで、義務で、読んでいるからです。 >>835
比喩にすると使い方の幅が広がるということですね
たしかにそういうこともあると思います
ありがとうごさいました >本を読んでいて気が散るのは、自分にとってその本がつまらないものだから
面白くても気が散りますよ
机というのは、本を読むのに最も不適格な場所ではないかと思います
試しに立ちながら読んだら集中できました >>837
いわゆる「立ち勉」ですね。古くはモーツァルトがそうでした。立ったまま楽譜を書いていたという話です。
何年か前に欧米の一部の学校でも授業に取り入れられ、今では「スタンディングデスク」というのもあるくらいです。
立つと血行がよくなり、血の巡りもよくなって、集中力が増すという理屈ですが、同じ状態はよくないそうです。
悪いのは「座ったまま」「立ったまま」という、同じ体勢をずっと維持している状態なのです。
何分かごとに体を動かすことが重要です。
散歩やジョギングを習慣づけている物書きはたくさんいますが、そういったことが嫌いな人は「スタンディングワーク」がいいでしょう。
ちなみにおもしろくても気が散るというのは、なにか「気がかりなことがある」ということでしょう。
しなければならないことから逃げていると、そうなります。 >>838
モーツァルトもですか
普遍的な方法だと分かり勇気づけられます
机についている時に気が散るのは、縛り付けられている感じにイライラして気が散るという感じです
机の上にPCがあるのが悪いのかとかいろいろ考えたのですが、
どこででもできるはずのことをわざわざ机に向かってしていること自体が気の散る原因だったようです ブクログのパブーの利用方法について
有料の電子書籍は、パブーの場合
コンビニ決済などできず
クレジットカードでないと読めません。
私はクレジットカードを持っていません。
この場合、デビットカードをクレジットカードの
代わりに使うことはできるでしょうか???
グリム童話賞の入選作品を読みたいのですが。
クレジットカードがないので困っています。 Visaデビットカードというのがありますよ
デビットカードをクレジットカードのように使えるようにするもののようです 「アイアイエー島」の読み方は
「アイアイエーとう」と「アイアイエーじま」のどっちでしょうか? >>842
「とう」だと思う
ウィキでアイアイエ検索したら「ロシニ島(とう)」とか出てくるから「とう」でいいんじゃないかな
「じま」だと日本語寄りになるし「ハワイ島(じま)」とは呼ばないし
カタカナ+島(とう)で統一すればいいんじゃないかな
>>ついでにコピペだけどこんなの見つけたからググってみて↓
日本の多くの島は、「島」を「しま」と読むのに、北海道にある「島」は「とう」と読むのはなぜですか? >>843
酷い反日教育ですね。
反日日教組の影響かなと回答者の身元を調べたら、「人権や反戦の市民運動を続けている」とありました。
悪名高き「市民活動家」です。日本を卑しめようとするこういう人たちは、本当に困りものです。
日本に文字がない頃からとか、どこの国に忖度しているのでしょうか。日本は神代文字などの古字がありましたが、縄文時代には文字はあまり必要なかったのでしょう。平和で、争いごとのない国でしたから。
余計な話になるので控えておきますが、単純に、訓読みと音読みの違いです。
たとえば日本語の熟語には「重箱読み」「湯桶読み」「混種語」という例外があります。例外があるということは、基本があるということです。
古来から存在する和語(やまとことば、日本語固有の言葉)、つまり、訓読みなら訓読み。音読みなら音読みでつなげるのが基本です。
ですから「しま」と読むのが日本人の本来の感覚です。
しかし、たとえば、「硫黄島」は「いおうとう」でしたが、日本海軍の地図では「いおうじま」でした。そのせいでアメリカ占領下においても「いおうじま」と読んでいました。
その後「いおうとう」となっていましたが、村民らが「いおうじま」と呼んでいて地図もそうなりましたが、再び「いおうとう」と変更されました。
結論をいうと、呼び方は自由なのです。たしか赤ん坊の命名もそうです。漢字には決まりがありますが、その漢字をどう読ませるかは、自由なのです。だからキラキラネームが流行って、子供にバカな名前をつける親が出てきたのです。
これも余計な話ですが、キラキラネームも、反日教育のせいのような気がします。 >>843
なるほど
子ども電話相談室の回答を読みましたが、納得の行く説明ですね
外国や外国の物語に出てくる固有名詞の島はトウと読むのが自然ですね
ありがとうごさいました シェイクスピアの「テンペスト」を読みましたが、疑問があります
一体どこまでがプロスペローの計画にあったのか?ということです
最初から船を無傷のまま残しておいたりするところから考えると、
許すことも計画にあったような気がします
ミランダとファーディナンドの恋はどうか?
どちらとも取れるような発言もありますが、やはり計画どおりの気がします
主人公であるプロスペローが、物語の経過の中で変化することなく、筋書通りにふるまうという、
なんとも不思議な作品なんですよね
なのに感動があるのがまた不思議なところで。
どうなのでしょうか? 「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」を読み進めていますが
これはブレイク・スナイダーの「セーブ・ザ・キャット」シリーズに対する一種の解毒剤として機能しますね
「セーブ・ザ・キャット」はあまりにも型にはめたものとして捉えているので、
既存の作品を解釈しようとした時に困惑することが少なくありませんでしたが、
マッキーは幕の数を三つに限定することもなく、インサイティング・インシデントの場所を固定することもありません
より現実に即しています
それでも「セーブ・ザ・キャット」シリーズも読む価値のある良書だと思いますが もし新訳が出ていなかったら、高騰している古本をわざわざ買おうとはしなかったはずなので、
今新訳を出してくれて良かったですね?
スナイダーの単純すぎる図式に呪縛され続けていたかもしれません 葛藤の法則はただの審美的な決まり事ではなく、まさにストーリーの魂だ。
ストーリーは人生の隠喩であり、生きるとは、
永久につづくかに見える対立や葛藤と付き合いつづけることだ。
(「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」)
その通りですね?
葛藤は単なるおもしろさのために物語に盛り込まれるものではなく、
それこそが人生の真実だから必要なのだと。
言われるまで気づきませんでした 今日
クラスメイトの人達と自分が殺されるゲーム?に巻き込まれる夢を
見たんですけど何かの予兆ですか?
夢の内容を詳しく書くと
なぜか学校の前にいて適当な人とグループを組まされていた
具体的な時間は忘れたけど制限時間内逃げ切れと言われる
よく通る道で殺人者から追い回される
制限時間が過ぎたところで目が覚める
長文&曖昧ですいません 「小悪魔」が人類の歴史の中ではじめに登場したのはいつでしょうか? pandoraみたいにある曲やアーティストを起点にして音楽を流すということを
amazon musicで出来るようにするアプリみたいなものはないでしょうか?
amazon musicにもラジオとかプレイリストはあるのですか、精度がいまいちな感じです
レコメンデーションは別サービスで行って、amazon musicはデータソースとしてのみ使うようにしたらいいのでは?
と思ったのですが、そういうものはないでしょうか? ふと気づいたのですが、「人魚姫」って本当に姫、王の娘なんですよね
若くて美しい女性だから付けられた「あだ名」のようなものかとずっと思っていました
自分だけでしょうか? アンデルセンは19世紀の人なので、時代的にもロマン主義の人ではないかと思ったのですが、
どうも明確にはロマン主義に分類されていないような印象があります
どうなのでしょうか? ある、ネットの小説講座で、
「そして」は使わない方がよい。有名小説家の文章には「そして」が一度も登場しないことも
あるくらいだ。
と書かれていました。また、自分の作品を、某小説講座に通っている友人に読んでもらったけど、
「そして」を使っている。これではダメだ、と言われました。
そうかな? あまり多いのは困るとして、「そして」は日本語として存在するわけだから、
それだけで悪いというものではないと思うけど……。
実際のところはどうなの? また、みなさんはどう思いますか? >>855
連続してなければ使って良いと思う。
上手く使えば効果的かも知れないと思うよ。 >>875
「使ってはいけない」と原則化する必要はないと思いますが
小説講座が言わんとするところも理解できますね
「そして」というのは音楽で言えば休符、しかも短い休符ではなく二分休符くらいの、長さのある休符だと思います
なので効果を分からずに使うと、文章を間延びさせてしまう感じがします 今日(2/27)発表の文学賞に何があるか知りたいです。
一週間以内に発表されたのもできれば。どなたか詳しい方居ませんか? >>853の件ですが
人魚姫の原題はDen Lille Havfrueで、Denは冠詞、Lilleは「小さな」、Havfrueは「人魚」という意味のようです
「姫」は日本だけの呼び方ですね
そうなると、王の娘だから「姫」というよりも、
「瓜子姫」などと同じように「女の子」の意味で「姫」と呼んでいる、という解釈の方が当たってそうですね ディズニーの「リトルマーメイド」っていうのは、
Den Lille Havfrueの直訳だったんですね >>858
太宰治賞の一次予選通過作品と筆者名
太宰治賞の公式サイトで発表されます。 「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」の中に
頻繁に例として出てくるので、ポランスキー「チャイナタウン」を再見しました
非常に評価の高い作品ですが、あんまり面白くないな・・っていう初見の時に持った感想が、もう一度繰り返されました
「ストーリー」に書かれていたノア・クロスの発言の周到なダブルミーニングなどには、「なるほど〜」と感心しましたが。
ピンと来ない一番の理由は、「何故近親相姦なのか?」ということです
ノア・クロスの異常性を描くためなのは分かりますが、
何かの象徴になり得ていますか?
象徴としての意味がない気がしますし、
水道利権という主線とも特に共鳴してないように見えます
ノアはイヴリンに続いてキャサリンまでを毒牙にかけようとしている、近親相姦の鬼のような男ですが、
そこに意味を感じないので、単なる理解不能な怪人に見えてしまうんですよね・・
人間としてのリアリティを感じないというか、記号的な存在に見えてしまう
ノアが近親相姦に異常に惹かれるようになったバックストーリーが設定してあるように見えない
自分が気づいていないだけで何か意味があるのでしょうか? ワードで縦書きの文章で「!?」というのを一マスで書けますか? https://ja.wikipedia.org/wiki/感嘆符疑問符
「!?」を一文字にした文字があるので
試したことはありませんが書けるのではないでしょうか >>862の件ですが
逆に言うと、「ストーリー」は象徴的意味、隠喩的意味にまで踏み込んでいない、ということですよね
もっとも、まだ進捗は半分を少しこえたあたりなので、後に出てくるのかもしれませんが >>863
Wordは知らないが、一太郎だと「縦中横」というモードがあり、半角の?!などを
1文字の中に書く機能がある。Wordでもそれがあるかどうか「縦中横」で検索してみては? 先月上旬、新人シナコンの一次通過者の発表があったようですが、二次通過者の発表は今月上旬ですか? わかった。前>>867五日の火曜日だ。
。゚。゚゚。∩∩゚゚。゚。
,〜⌒((-。-)゚。゚。
_υυ`υ~υ_~。゚
~~。~゚~゚。~~~。 ~~ >>864
>>866
横書きならそのまま普通にできるんですよね
検索してみます
レス有難うございました 前>>868
tanθ=(√7-2)/3のとき、
θが何°かは関数電卓があれば解けますか? ギリシア神話にはテューポーンなどの怪物も出てきますが、
もとをただせばそれらも神から生まれているので神ですよね?
神ではない異類って出てきますか? ケンタウロスやハルピュイアも、やはり神の系譜なんですよね
全ての存在を神のうからとして配置することが神話の特徴なのでしょうか?
造化の神のように、始源の存在は別ですが 小説とか戯曲を読んでいて、しばらく間をおいてから読むのを再開したら、
どういう話だったっけ?これ誰?となることが多いのですが
物語を覚えるコツありますか? >>874の件ですが
登場人物のリストを作っていく、というのは基本ですよね?
これだけでも大分違います
問題は筋の把握はどうしたらいいのかです >>875の件ですが
図を描いて理解する、というのは有用ですね?
文を読むだけでは把握しにくい意味合いも、図にすること一目瞭然だったりしますし >>876の件ですが
小説を見ながら図(ともいえないもの)を描いていっているのですが、理解の深度が変わってきます
図とも言えないような、単語と矢印を書き付けたものですが。
逆に今までは文章を読みながらあまり精緻にイメージできていなかったと気づかされます
文字を読み、文を理解することと、文が表現しているものをイメージすることはまた別なのですよね?
図というアウトプットをしようと思うと、イメージまで完遂することが求められるので、
読みが自然と深まります 今までもアウトプットによる気づき効果は認識していて
映画を観ながらメモしたりしていましたが、そのメモはあくまで文でした
図にすると、文よりも感覚的にすばやくメモできます >>877の件ですが
図を描くのに慣れると、多分頭の中でも図を描けるようになりますよね?
いつも読み上げソフトで本を聴きながら寝ているのですが、
今朝は夢うつつの中で頭の中で図を描いていました >>838
>ちなみにおもしろくても気が散るというのは、なにか「気がかりなことがある」ということでしょう。
>しなければならないことから逃げていると、そうなります。
たしかに、創作に取り組みだしたら、他のことでも落ち着きが出てきました
逃げてるという意識はなかったのですが、はじめてみると、今まで逃げてたんだなと気づきます
ありがとうございました シェイクスピア「夏の夜の夢」の、タイターニアとオーベロンが取り合った小姓の性別は何でしょうか?
妖精の女王タイターニアに仕えていること、
「かわいい子」「あんなきれいな子供は女王様も始めて」
「その子に花の冠を作ってやったりして、まるで舐なめるようなかわいがりよう」
などの表現から女の子だと思っていたのですが、
河合隼雄、松岡和子共著「快読シェイクスピア」を読んでいたら男の子と書いていました
そうだったの?と思って読み返してみたのですが、
やはり性別らしい記述は見当たりませんでした
どこかに性別を判定する手がかりはあるのでしょうか? 去年fallout4をしていた者ですか、今年はスカイリムをしています
スカイリムはいわゆる神ゲーの一つですが、バグが多いことでも知られています
かなり進めたところでバグで進めなくなって、一度はもういいわ・・となったのですが、
バグの原因になったダウンロードコンテンツを外してもう一度最初からやってみることにしました
やってみると新しい発見があります
一度目は「ドラクエのやり方」といいますか
サブクエストをこなしてキャラクターを強化してからからメインクエストを進める、というプレイをしていたのですが
同じことを繰り返したくはないので、今回はサブクエストはほとんど触れずにメインクエストを進めるようにしました
当然レベルは低いのですが、それで問題なく進めます
スカイリムでは、ドラクエのように敵の強さが固定されているわけではなく、
その時のプレイヤーキャラクターの強さに合わせて敵の強さも調整されるようになっているんですね
つまり、スカイリムというゲームにおいては、
プレイヤーは「クエストをこなせるかどうか」ではなく、「どういうプレイをするか」を問われている
言い換えると、プレイにおける創造性が問われている
ここにはきわめて重要な彼我の違いがありますよね?
方法を問わずに結果だけを問う傾向がきわめて強い日本人と、結果よりも方法における創造性をこそ重視する彼らと。
彼らのやり方の方が本質的かつ生産的なことは言うまでもありません
で、そういう根本思想を理解すると、プレイの仕方も当然変わってきます
なるべく低いコストで敵を倒すにはどうすればいいか?という問いが、
敵との戦いの中でどういう創造性を実現できるか?という問いに変わります
この問いは、ただスカイリムというゲームにおいてのみ有用な問いではなく、
人生というゲームにおいても限りない価値を持つ問いですよね? 今年は花粉症が酷くて、鼻炎だけでなくひどい頭痛にも悩まされていたのですが
二日ほど前からビオフェルミンを飲み始めたら嘘のように症状が軽減しました
偶然アレルギーのある花粉が消える時期と重なったのか?とも思ったのですが、
https://www.kyowa-kirin.co.jp/kahun/about/calendar.html
こちらのサイトを見ると、まだそういう時期でもなさそうです
花粉症に乳酸菌がいいと言われていますが、こんなにも効くものでしょうか?
飲む前の症状が100だとすると、今は10くらいです >>581の件ですが
googleがSTADIAというクラウドゲーミングプラットフォームを発表しました
以前からクラウドゲーミングが主流になると思っていたのですが、
発表を見ているうちに、
内蔵GPUで動く程度のゲームをわざわざネットワーク越しにするのはエコじゃないなぁと思ってきました
高価なGPUが必要な最先端のゲームをするなら、ネットワークを介してのハードウェアの共用に経済的合理性がありますが
ゲーム全体で言えば、内蔵GPUで十分に動くゲームの方が圧倒的多数です
そういったゲームをネットワーク越しにやるのはあまりにも富豪的
そう考えると、未来のゲーム環境というのは全てクラウドゲーミングに飲み込まれるのではなく、
もう少し多様性のあるものになるのでしょうね? >>884の件ですが
Googleの新ゲームサービス「Stadia」まとめ:これは歴史に残るぞ
https://www.gizmodo.jp/2019/03/google-stadia-unveil-summary.html
こちらの記事を読んで認識をあらためました
特に
>なんと、「無限の処理能力」があるというのです
>従来のゲームは、ゲーム機やPC一台分のスペック(主にGPUがボトルネック)でプレイでできるように設計されてきました
>Stadiaは、すでに高性能なひとつずつの処理インスタンスを、何個も何個も組み合わせられる
ここが最大のインパクトではないでしょうか?
ゲームからハード的な制約が消えるというのは、まさにパラダイムシフトという言葉にふさわしい進化です
無限のコンピューティング能力を前提に作られたゲームの存在は、
既存のあらゆるゲームハードを陳腐化します
ハードウェアの共用についての経済合理性や妥当性に着目していましたが、そこじゃないですね
ゲームが永遠に新しくなったという狼煙が、今日立ち上ったと言っていいのではないでしょうか? 初期コストをかけたくない人が、高めのランニングコストを払って使うもの、
という認識だったのですが、それだけだとつまんないんですよね
単なるお金の問題でしかないので。
ゲームを永遠に変えてこそ意味がある
ここにこれからのビジネスを考えるヒントもある気がします
単なるお金の問題なら、まだ足りないのですよね? >>883の件ですが
ビオフェルミンを飲み始める前に注文していた花粉症の薬が届いたので
ビオフェルミンと合わせたら更に万全だろうと思って飲んだところ
直後に花粉症特有の馴染みのある頭痛に襲われました
これは予想外です
花粉症の薬は整腸によるアレルギーへの耐性を崩すものなのかもしれませんね?
しばらくビオフェルミンだけ飲んで様子をみてみようと思います 「サブテクスト」って「メイン」に対する「サブ」ではなくて、
水面下という意味のサブなので、むしろテクストよりも重要さで言えば上ですよね? 誰か知ってる人いますか?
随分昔、今から20年位前かな。
当時は2ちゃんねるでJavaやモナーとかが全盛期だった頃。
音楽に乗せて暗い部屋でメガネの男がPCをタイピングしながら、
どんどん手の動きが速くなってくる動画?Java?
題名はラージャーシステムだったと思う。
音楽は「ラァ〜ジャ〜、システム〜」
とか言う歌の部分はしっかり覚えてるんだけど、
作り込みは随分ちゃんとしてたように記憶してます。
当時はいろんなスレに貼り付けられていたはずですが、
誰か分かる人いますか? それは多分javaではなくてflashでしょう
そのラージャーシステムについては知りませんが 「ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則」に
登場人物の台詞一つ一つのサブテキスト=真意を確認するというケーススタディがあって
衝撃を受けました
台詞をそこまで深く読み込むということをしていなかったので・・
たとえば登場人物が何かを告白する時、いきなり告白という摩擦の高い行為をできるはずがないんですよね
登場人物達の会話を通して、「告白」という行為を誘い出すような環境を作り上げていかなくてはいけない
それを可能にするためには、感情の力学に知悉して、
一つ一つの台詞の裏で何が起きているのかを良く分かっておく必要があります
でも、そこまでしてたの!?という驚きが大きいです
作家たるもの、やはり言葉のサブテキストを読み取ることを習い性にしなければならないのでしょうか? >>891の件ですが
登場人物の台詞のサブテキストを読もうとすると
映画の見方が変わってきました
今までは一番読もうとしていたのは作り手の意識で、
登場人物の心情にチューンしようとしてはいなかった
そして登場人物の台詞にさほどの重きを置いてはいなかった
これは作家としてあるまじき態度と言わざるを得ないですね?
作家たるもの、登場人物の心の中に飛び込まなければならない
もしも二人の登場人物が口論しているとしたら、
サーカスのように飛び移りながら、二人の心情を確かめなければならない
それができるようになれば、新しい世界が開けるという感触があります ミステリ推理小説の賞に応募しようと思って書いたんだけど推理小説の定義がわからなくなっちゃった
大まかなイメージは湊かなえさんっぽい感じで、自殺の真相を探る話なんだけど主人公は特に推理してないし解決せず嫌な感じで終わる
別の賞に応募したほうがいいですかね? 新元号は「光満」らしいぞ
日本中に光が満ちるようにだってさ 悪い作家とは、読者に理解できない自分の内部での文脈を考慮に入れながら書く連中のことである。 カミュ(小説家)
とアーティストの名言botが言っていました
なにか作家らしからぬ、すごく普通のアドバイスですね?
初心者向けの書き方本に書いてあるような
カミュほどの作家が・・
それとも「独りよがりになってはいけない」以上の深い意味があるのでしょうか? >>892の件ですが
サブテキストというのは言葉を素直に出しにくい、
制約の強い環境で増えるものだと思います
たとえばマッキーが例に挙げている「カサブランカ」では街はドイツ軍による被占領状態なので
率直な言葉は死を招きます
それで思ったのですが、女性の方がサブテキストというものには知悉しているのかもしれませんね?
やはり社会的に制約が高い環境に身を置くことが多いので
サブテキストが日常化しているのではないか。
というのも「カサブランカ」に限らず、ラブストーリーはそもそもサブテキストの嵐なんですよね
ノンバーバルな表現も駆使して、多種多様なサブテキストが繰り出されている
そういうある種の言語について、今までほとんど意識していませんでした ロダーリ「羊飼いの指輪 ファンタジーの練習帳」を読んでいます
違った結末が何種類か書かれた短い童話の短編集で、
どういう結末がありえるだろう?と読者に自問させる効用があります
これを読んでいて気づいたのですか、物語の結末の要件というのは
「葛藤が消えること」なんですよね?
葛藤が消えることが重要で、消える理由は問わない
そういう風に考えたことがなかったので新鮮でした 「モルガンは主に姓で使われ、日本で言うところの鈴木や山田みたいなもの。
しかもアラブ系アメリカ人の名前だ。名前として使用するのはおかしい」
と書いているブログを見ました。
確かに調べて見ると、モルガンは姓でよく使われます。
本当に名前として使用するとおかしいのでしょうか。 モルガン・デュブレ(Morgane Dubled)という人もいるのでおかしくはありません https://ja.wikipedia.org/wiki/モーガン
ここを見ると姓、男性名、女性名で使われているようです [ ̄]ド・モルガンの法則
 ̄ ̄]/\_____________!
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_____`‖_________‖/オーガスタス・ド・モルガンは俺らが生まれる百年ほど前に亡くなってる。モルガンは苗字じゃないかなぁ。 wikileaksの設立者ジュリアン・アサンジが逮捕されましたが
エクアドル大使館が彼を何年も保護し続けていた理由は何なのでしょうか?
wikileaksがターゲットにしていたのは、ざっくりいうと「体制」だと思います
エクアドルも国家である限り体制側なので、アサンジを保護する理由は特にないように思えるのですが。
アサンジかたとえば西側諸国に対してのみ選択的に攻撃していたとかなら分かりますが
特にそんなこともないですよね? >>905の件ですが
アサンジ容疑者の身柄、イギリスはアメリカに引き渡す?
https://www.bbc.com/japanese/47905237
>野党労働党のジェレミー・コービン党首は、
>アサンジ容疑者は「イラクとアフガニスタンにおける残虐行為の証拠」を明らかにしたと評価。
>身柄の引き渡しについて、「イギリス政府として反対すべきだ」と話した。
>エクアドルのレニン・モレノ大統領は、
>アサンジ容疑者の逮捕に当たっては「拷問や死刑を受ける恐れがある国には引き渡さない」との確約を
>イギリス政府から文書で得ていると述べている。
アメリカ軍の残虐行為を白日の下に晒したということで、アサンジを評価している政治家もいるのですね
エクアドルが保護したのは、時の政権が左翼的な政権だったとかかもしれませんね? >>906の件ですが
アサンジ容疑者は「大使館をスパイ活動の拠点に」 エクアドル大統領が非難
https://www.bbc.com/japanese/47931380
>同国のレニン・モレノ大統領は14日、アサンジ容疑者が大使館を「スパイ活動の拠点」として使っていたと批判
>エクアドルの前政権がアサンジ容疑者に対し、他国の内政に「干渉するため」の設備を提供していたと述べた
>2017年に大統領に就任したモレノ氏
>「エクアドルは政情不安を引き起こすいかなる行為も非難する。なぜなら我々は主権国家であり、どの国の内政も尊重するからだ」
エクアドルの現政権は前政権に批判的な政党のようですね
アサンジはエクアドルで政権交代が起きた時点で、
おそらくこのような展開は予想していたのではないでしょうか >>892の件と関連しますが
映画を観ながら、セリフと同時にサブテキストを聴く、という活動をしていると、
中にはサブテキストが読みにくい人物が出てきます
サブテキストが、その人物が生きてきた状況に多分に依存しているようなケースです
こういうサブテキストを読むには、その人物の過去や状況への深い理解が求められます
ステラ・アドラーの本を去年読んでいた時にも思いましたが、
作家たるもの、人間を理解する訓練、俳優的な訓練を、日常的な営為にしなければならないのでしょうね? 人間の多様な感情を二次元のグラフなどにマッピングした、
感情の地図のようなものはどこかにないでしょうか? >>909
感情の輪、プルチック でググってみてはどうでしょうか
少しは参考になるかも
「寝取らせ」や「カンダウリズム」を扱った話で
ふんわりとしたハピエンにしたいのですが何か参考になる作品があれば教えてください >>910
ググりました
これはおもしろいですね!
ありがとうございました 感情の輪についての記事をいくつか読みました
感情には強弱があり、その程度により異なる呼び名を持つこと、
感情は、それと反対の感情を持つこと、
感情は混じり合い、複雑な感情を構成することなどは、
経験的にも納得できます
またプルチックは隣り合う2つの基本感情が同時に起こった時には、
人間特有の高度な感情である二次感情が生まれるとしていて、これは非常に面白い考えだと思いました
理論化していたわけではありませんが、たしかに複雑な感情の方に魅力を感じていました
複合した感情のプルチックによる分類については、納得できるものもあれば、そうでないものもありますが、
感情について理解を深めていくいい出発点になるのは確実だと思います
ありがとうございました なに、まんだ寝とらすと? ♪……前>>903しんでれらごっざりありはっぴ♪ しんでれらあぁゆぅ……きんぐだむ♪ あぃうぉんなのぅうぇありずまぃ♪ はぴえぇ〜ん♪――――――。
[ ̄]
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 ̄ ̄|\_U,~⌒ヽ___/|
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_____`‖_________‖/ >>912の件ですか
単純な基本感情よりも、それが混ざり合った感情の方が強度があるというのは、
単純で直接的な表現よりも間接的、比喩的表現の方が力強いことと、
どこか類比的な感じがしますね? すみません。純文学について質問をさせてください。
純文学を読んでいて思うのは、純文学は謎かけと謎解きなのかと思いました。
作者が哲学的なナゾナゾを出して、読者がそれを読み解く。
村上春樹なんかについて評論家(内田樹)が語っているのとか、
アマゾンのレビューなんかを読んでいて、そう思いました。
このような理解で良いのでしょうか?
もしそうなら、純文学を書くにあたってはあまり自分の見解を書かない方が良いのでしょうか? 「カクヨム」に「ブルターニュのCagotsの母」という
タイトルで作品を投稿しました。
まだまだ推敲の余地はあると思います。
読みやすくて感動できる話を目指しています。
この小説の欠点は
1.主人公(母親)の目的が分からない。
運命に流されているだけ
2.昔のフランスの被差別階級とかキリスト教の
こととか普通の人は興味がない。
3.凄い事件がない。日常の淡々とした
労働と自然の描写だけ
それでも子どもを愛する母親の気持ちとか
ブルターニュの自然の中で生きる人とか
伝わるでしょうか??? なぜ欠点があると自覚しながらも誰かに読ませようとするんだと思った だな。前>>913ひとまず映画化してみっか。あぃうぉんな♪ のぅうぇありずまぃ♪ ふぇぁり〜てぇ〜ぃる♪――――――と思う○○ちゃんであった。
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ だな。前>>922しんでれらごった♪ ぷりんさんどきんぐだむ♪ しんでれらごっざ♪ どり〜むしゎずどり〜みん♪ あぃうぉんな♪ のぅうぇぁりずまぃ♪ ふぇぁり〜てぇ〜ぃる♪――――――と思うインクレディブルであった。
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >>915前>>925べつに堅苦しく考えないで好きに書けばいいんじゃないの? なぞを提示して著者の見解というか主人公の目から見た見解を示してあとは読者に任せるってのがいいんじゃないかな? と思う○○ちゃんであった。
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >>908の件ですが
人物を理解する訓練を続けていると、その洞察の対象が自分自身にまで広がっていって
自分の心の中の散らかりに気づきました
心の中が散らかっているということはどういうことかというと、
感情を強く刺激するイメージが、心の中にそのままごろごろと転がっているということです
以前から気が散りやすいことが悩みでしたが、その気の散りというのは、
他の行動を始めて感情の喚起をかき消そうとした結果生まれていたものでした
実際、他の行動を始めると、喚起された感情も、それを引き起こしたイメージも、瞬時に姿を消すので、
それらを同定するのが難しいほどです
では心の中を片付けるにはどうすればいいのか?
人物を理解する時のように、そのイメージに意識を向けて、時間をかけて心で受け止めていく
すると、そのイメージは心の中に定位され、感情をかき乱すことはなくなります
イメージが感情をかき乱していたのは、心がそれをはねつけていたからでした
心がイメージを勝手に受け止める、なんてことはないんですよね?
時間をかけて、意識的に受け止めなければいけない
心にはねつけられたイメージは、その位置を見つけるまで、活性酸素のように荒ぶり続ける
そういう大きな発見がありました
こんまりメソッドが話題ですが、本当に必要なのは心のこんまりメソッドなのかもしれませんね? >>927の件ですが
イメージを心で受け止める時の作業は、人物への理解を深めていく時の作業と、
ほとんど違いはないといっていいと思いますが、
そのための技術というものもありますよね?
ざっくり言うと、多様な文脈によって理解を深めていく、というようなことになるかと思います
ある意味で芸術も、その技術の一つと言っていいかもしれません >>927の件ですが
内的世界に限らず、外的世界でも同じことが言えると思います
テロリストとか、多くの犯罪者も、心にはねつけられたイメージが荒ぶるのと同じように、
世界にはねつけられて荒ぶるんですよね?
芸術には認識によって、その荒ぶりをおさめる力があると思います だな。前>>926いつまでも部屋でごろごろしてる場合じゃない。屋上だ、屋上。
 ̄]/\______
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >>927の件ですが、
他の行動をせずとも、イメージとそれに喚起された感情がかき消されることがあることに気づきました
喚起される感情がさほど強くない場合だと思いますが、
行動に走った場合と同様に、イメージと感情が瞬時に消えてしまうので、同定がさらに困難です
おそらく、心の片付け(心のこんまり)を進めていったら、
そういったイメージを捕まえられるようにもなるでしょうね? 悪魔の証明は、何故悪魔の証明と呼ばれるのでしょうか?
悪魔にしか証明できない証明、という意味でしょうか? ・話し手と書き手
・聞き手と読み手
をそれぞれ一語にまとめた語は何ですか? 現在どんな賞が小説の公募を行っているか
一覧できる雑誌やサイトはありますか? E.T.A.ホフマンの「くるみ割り人形とねずみの王さま」を読みました(光文社古典新訳文庫版)
この物語の最後に、ドロセルマイアーが甥(マリーの言葉によって魔法が解けた胡桃割り人形)を連れてきますが、
この甥が、人形の姿なのか人間の姿なのかが曖昧です
ドロセルマイアーの手に握られていたという記述や
皆の前で胡桃を口に入れて割ってみせる下りからすると人形の姿なのかと思いますが、
「その言葉のおかげで、たちどころにわたしは醜いくるみ割り人形から、もとの見苦しからぬ姿にもどったのです」
という台詞からすると人間の姿のように思えます。
わざと曖昧な記述にしてるのかもしれませんが、
だとすると子ども用の話としてはレトリックが高度にすぎる気がします
どうなのでしょうか? >>936の件ですが、
ドロセルマイアーの甥の、「醜いくるみ割り」に姿を変えられる前の描写が
「いまではクリスマスには、
金の縁をしたきれいな赤い上着を着て、腰には剣、小脇には帽子をはさみ、
きれいにととのえた髪を後ろで束ねてリボンでくるみ、
このきらびやかないでたちで父親の屋台のなかに立ち、
女性にたいする生まれながらの慇懃さで、
若い娘たちのためにくるみを?み割っている。
だから娘たちは彼のことを、うるわしのくるみ割り、とも呼んだんだよ。」
というもので、既に人形っぽいんですよね。少なくとも、普通の人間ではない。
ですから>>936の答えとしては、
人間でもなく、人形でもない、その中間的な姿だっだということでしょう
この作品は結構絵本にもなっていますが、
この曖昧さをどう処理しているのか気になるところです 映画「クレイマー、クレイマー」を観ました
この作品の中に、ダスティン・ホフマンが家でしている仕事を、息子が妨害するシーンがあります
wikipediaのストーリーの説明を読んでいると、
「順調に進んでいた会社の仕事も家まで持ち帰る羽目に」
とありましたが、映画を観ている時にはそういう因果関係に気づきませんでした
映像にも言葉では説明されないサブテキストのようなものがありますよね?
この映像のサブテキストを読み取れるようになるにはどうすればいいのでしょうか? >>941の件ですが
家で仕事をしているのを見て、普段からそうしているのかなと思ったんですよね
現実として考えたら、そういう可能性もある
ただ物語の場合にそうは言えないのは、
物語においては意味のない出来事がほとんど起きないからですよね?
なので、現実と同じ感覚で見ていてはいけない、とは言えるでしょうね? 相手の本音は自分に打ち明けたところではなく、打ち明けられなかったところにある。
ハリール・ジブラーン(詩人・画家・彫刻家)
とアーティストの名言botが言っていました
サブテキストのことですね? 「ストーリーテリング」という語に、「物語を語る能力」という意味はありますか?
「秀抜なストーリーテリングの持ち主」などと言えるのでしょうか? "ストーリーテリングの持ち主"でググると4件出てきました
この意味で使われてはいるようですが、例としてはかなり少ないので迷うところです 「別居に陥る」はおかしいですか
「別居状態に陥る」だとおかしくありません
この「状態」みたいな語の性質についてもっと知りたいのですが
そういうことを語っている人はいませんか? >>946の件ですが
「状態」のような語を端的にいうと、
それを挟み込むことで後続の動詞のバリエーションを増やす語、
になるかと思います 英語の件ですが、NHKラジオの英語講座を聴きはじめてもう二、三年になるかと思いますが
これらの講座はテキストを買うことが前提になっているんだなって今更気づきました
聴いて、文字として書いてみて、テキストでそれが正しいか確かめる、というプロセスを繰り返す方が、
単に聞き流しているより何倍も効果があります
テキストは熱心な人が買うものと思っていましたが、むしろ前提ですね NHKラジオの英語講座を聴いていたら,
「適切な言葉」と「ほぼ適切な言葉」は、稲妻と蛍の光ほど違う
というマーク・トゥエインの言葉を紹介していました
その通りですね? 英語の件ですが、最近リスニングに大きな進歩がありました
以前は耳から次々に入ってくる語を、分類したり構造付けたりして解釈しようと試みていました
一言で言うと英文を読む時にしていた作業をリスニングでもしようとしていたということです
でもそれがうまくいくことはなくて、それはそもそもリーディングが拙いからだろう、と思っていました
最近それが根本的な誤認だったと気づきました
きっかけは、「記憶をするにはイメージにすればいい」という暗記術の話を聞いたことなのですが、
耳から次々に入ってくる語を、一つ一つ真正面から受け止めて、イメージに変換するようにしました
すると、語の羅列が、イメージの羅列になるわけです
イメージは「意味」のように、頭の中からあっという間に消えたりしないので、イメージの羅列に対しては、ゆっくりと解釈することができます
これはおそらく母国語のリスニングにおいて脳内で行われている作業と同じだと思います
根本的な間違いは、語を「イメージ」ではなく「意味」に変換しようとしていたことにありました
おそらくですが「意味」というのは脳の浅い部分で扱われていると思います
抽象的で、実体性がない
抽象的思考は、脳の機能の中でも最も後から獲得されたもので、脳の働きのうちでも高度なものでしょうが、
使い所がそんなに多いわけでもなく、言葉を扱うには全く向いていない
言葉は、脳の深い部分で扱わなければならない。つまり、イメージです。
リーディングのようにリスニングするのは間違いで、
リスニングのようにリーディングするのが正しかったのですね? >>952の件ですが
聴いた語をイメージに変換するには、下準備として語とイメージを結びつける作業が必要になります
語の「意味」を「覚える」のではなく、
語を構成する字の羅列が表している「イメージ」を「再生」する作業です
イメージとして再生したものは、記憶に残るので
繰り返し手で書いたり、単語帳をやったりする必要はありません
ただ楽譜を見て曲を奏でるように、単語を見てイメージを再生すればいい。
これにより英語学習の中で一番退屈で荷が重かった「暗記」という単純作業から解放されました >>953の件ですが
英語の場合、字の音とそれが持つイメージがかなり結びついている感じがあります
たとえばfという音は、フッと吹く息、風のイメージと結びついていて、
そこから「気持ち(気体的なもの)」、「感染(気体が広げるもの)」といった派生イメージを持っていると思いますが
これらは感覚的に納得できるものです
中国語(音読み)で「風」を「フウ」と読むのも、ほとんど擬音語に近く、感覚的にしっくりきます
ですが和語の「かぜ」には、全然「風」感がありません
「かぜ」に限らず、多くの和語が「はて、どこから・・?」という感じがします
和語の根底に流れる感覚を理解するのは難しそうですね? >>954の件ですが
「ふく(吹く)」はfに通じる風感ありますね
和語でも動詞は音とイメージが近いのかもしれません >>955の件ですが
擬音や擬態と異なる法則で作られているのが名詞のしるし、という感じがします
擬音でも擬態でもないので、なんとなくぽってりした印象になる
そのぽってり感が名詞のしるしではないか・・ >>956の件ですが
名詞が擬音や擬態からは作られないというのは、
言霊信仰からかもしれませんね?
名前が特別なものだという意識が
あらゆるものの名付けに及んでいたのではないでしょうか? >>953の件ですが
語からイメージを再現する行為と、
想像力を使って人物を理解し、演劇的に再現する行為には、似たものがあると思います ボーイミーツガールものファンタジー書いてるけど
ラノベ的萌え要素もないしハヤカワほどファンタジーもしてない。なろう受けするほどチートテンプレもない
読んだことないからわからんけどたぶんひと昔ふた昔前のジュブナイル小説みたいなのになりかけてるんだけど
この感じで適切な公募先ってどこよ
ジャンプ小説?
なろうでちまちまやってく? は〜るかなじゅ〜ぶな〜ぃる♪ 前>>926
~∩∩ドラ〜ぇ ∩∩
((~e~)も〜ん (`) )
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 英語の件ですが、
ウワサになる予定の外国語チャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCYg9i0n1Vc4705rsYKJio9A
こちらの英語講座を観たらめちゃくちゃ勉強になったので有料講座にも入りました
ここ何年か英語を時には熱心に、時にはゆっくりと勉強してきて、
いくつかの重要な気づきを得ましたが、
そういう時間をかけてやっと獲得できる種類の気づきと同じ種類の気づきのエッセンスが、
この講座にはものすごい密度で詰め込まれています
英語という言語を、それを支えている感覚から理解しようとするというのがこのがっちゃんという方の基本姿勢です
感覚からの理解ほどインパクトの大きな理解はありませんよね?
知識からの理解だと、自分の知っている法則から外れたものに対してはお手上げになってしまいますが、
感覚からの理解があれば、ピースの欠けたパズルに対しても、推測を働かせることができます
この推測を働かせることができる、ということが語学においては決定的に重要だと思います
そういうことも、がっちゃん先生は熱く語っています
青少年期に出会っていたら僥倖に感謝するしかないような先生の教えを
誰もが受けられるというのは今の世界の良さですね? 英語に限らず、
1.法則を教える
2.その法則を適用させる
というのが日本の教育のベースだったと思いますが
ここには、その法則を支えている「感覚」がすっぽりと抜け落ちているんですよね
若い頃はそのことにずっと不満を抱いていましたが、その不満の正体にも気づくことなく、
ただつまらなさを感じていました
今なら、なぜ「感覚」というもっとも重要なこと、
いわば学問の魂がすっぽり抜け落ちていたのかが分かります
教えている人もそれを知らなかったからです
学問の魂を知らなくても、法則ならば教えられるからです
そして教えている人も「感覚」というものを教えられなかったからです
この表層をなぞる教育の連鎖の中で、
表層性こそがこの国の本質になってしまっていたと、言ってしまっていいと思います
そして安倍政権こそが表層の連鎖の帰結だとも、言っていいのではないでしょうか?
安倍政権がめちゃくちゃにしたこの国で、
我々が今克服しようとしているのは、まさにこの表層性だと、言っていいですよね? >>961の件ですが
がっちゃん先生の番組が更新されていました
今まで同様、分かっている人が分かりながら説明する時の力を感じます
身体にすっと入ってくるというか。
「頭に入る」という表現はよく使いますが、
身体に入ってくるというのはなかなかありません
そういう言葉を超えた何かが、教育にはきわめて大切なのでしょうね? >>691の件ですが
がっちゃん先生の番組が更新されていました
それを見て思ったのですが、
根源的に考えていくほど、
原理は単純になり、その数は少なくなり、
なおかつその知識が生み出す力は大きくなっていくのですよね?
がっちゃん先生は英語だけではなく、
根源的に考えることの力をも教えてくれます 格下の男性が格上の女性を呼ぶときは、どのように呼ぶのが適当ですか
(例えば男爵の男性が伯爵令嬢を呼ぶ) 純文学系の新人賞に応募しようと思っています。
参考文献などを記載したいです。
普通は記載しますか?
あるいは、記載すべき?
あるいは、記載すべきではない? >>885の件ですが、
Stadiaの詳細が発表されましたが
ネット上の評判は芳しくないようです
理由は主に、サブスクリプションに加入しても全てのゲームが無料でできるわけではなかったことのようです
自分もあんまりパッとしない印象を受けましたが、
よく見るとサブスクリプションではない、Stadia Baseという無料のプランがあり、
これはStadiaで購入したゲームを、1080p/60fps/ステレオサウンドという現在一般的なレベルの環境で遊べるというもの。
何気にこっちの方がすごいのではないでしょうか?
高性能なコンソールゲーム機やゲーミングPCを購入せずとも、ゲームソフトさえ購入すれば、
以後は無料で遊び続けることができる。
既存のエコシステムをもろに殴りにきているのはむしろこっちなのかもしれません
ただ、Stadia Baseはサブスクリプションへの加入を促す布石であるはずなので、
「ゲーミングPC、永遠にレンタルします。しかも無料で」という状態がずっと続くかどうかは分かりませんが 公募に出す原稿を印刷するとき、どのソフトを使ってます?
自分は書くときはテキストで印刷の時はWordだった
Wordは設定した行数や文字数がずれやすいんだけど今までは何とか合わせてた
でも新しいパソコンに入ってたOffice365は手に負えない
なんで行ごとに文字数が変わるんだ
禁則でもないし、Pフォントも使ってないのに 前>>960
最近はKOKUYOです。前はプラスでした。 スレチやったらすまんが、自分ではエンタメと純文の中間と思うんだが死をテーマにした主人公高二の作品てどこの新人賞が狙い目なんだろうか いまラノベ作家としてデビューするのと純文作家としてデビューするのと、どっちが楽なんだろうな
間口はラノベの方が断然広いが、流行り廃りが激しそうだよな どちらが「楽か」という基準で選ぶべきではないと思うよ。
おれはラノベに対する偏見や蔑視はないが、同じ収入を得ようと思ったら、どちらも同じくらい大変。
ラノベの間口が広いとは思わない。逆に狭いのでは?
「間口」をどのような意味で使っているか、にもよるが。 >>973
エンタメと純文のどっち寄りかわからんから断言できんが
主人公が高校生=思春期特有悩みもろもろがあるということで
すばる新人賞や群像新人賞あたりがいい気がする 英語の件ですが、
ほとんど聞こえない音が英語にはありますが、
たとえ聞こえない音でも、その音を発声しようとすることで、
その直前の音の調子が変わるのですよね?
つまり聞こえないことと、発声を放棄することは全く違う
聞こえないからといって発声自体を放棄してしまうと、直前の音に変化を加えられないので。
ほとんど聞こえない音は、もはや直前の音の変化が記号の本体になっているので、
聞こえるか聞こえないかが重要ではなくなっている、ということなのでしょうね? テレビアニメの『サザエさん』のエンディングで、サザエが、「来週もまた観てくださいね」と言ったあと飴玉かなにかを誤飲する。とその直後、「飲みこんじゃった!」と言うたはるみたいだ。ぜんぜんそうは聴こえないけど。
さて、サザエの苗字はどれ?
@河豚田A鰒田B磯野Cその他 >>979
正しいです。その「聞こえない音」も、ネイティブは聞こえています。若い頃、概ね12〜15歳
くらいまでにその言語に接していれば聞こえるようになるといわれているようです(諸説ありますが)。
自分は聞こえなくても、ネイティブは聞こえると考え、発音する努力をするのは有益です。
イギリス英語では特にそれが顕著なようで、アメリカ英語のネイティブでも分からないケースが多いそうです。
一方、わかりやすい例でいうと、(英米にかかわらず)、「L」の発音は、日本人には聞き分けが
難しいですね。日本語風に「ライス」というとシラミのことだと思われるとかで、日本語の「ラリルレロ」
は「L」の発音だと思っている人が多いようですが、これは明らかに誤りです。ラリルレロは、
LかRかで言えば、明らかにRに近いです。ヘボン式でもRになっているのがその証拠です。
日本語のラリルレロは、上顎と接触した舌が離れる瞬間、弾けることによって生じるのが特徴です。
一方のLは、「上顎の前端あるいは前歯に舌がくっついたまま、舌の左右の脇を空気が抜ける」
というのが特徴です。これは慣れないと日本人には聞こえにくいですね。
細かく言うと鼻に抜ける空気の音も影響するのですが、長くなるのでこの程度にしておきます。
>>980
コドモはこないでね、ボク >>982
あなたに他人の行動を制限する権限はありませんよ。
てか、ひょっとしてAKI ◆BJ/DbLEryQさんですか?
作り話なら何でも書いていいのかな [無断転載禁止]©2ch.net
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bun/1500476128/l50 そもそもappleの発音がアポゥなんてことは聴けばわかる。 母音をすべて日本語のあいうえおにに置き換えてアクセントなしで発音するのが一番いいだろうね。
英語なんて所詮田舎の方言だから。 oftenがオーフンだのオフテンだのなわけだから訛りも含めると何通りの発音記号になるかわからない。
特定の発音を正解とするよりも文脈から単語を補完できればそれでいい気がする。
タイポグリセミアみたいな感じで単語の並びさえ聴き取れれば文単位の意味は把握できるのではないか? 慣用句だったりよく使うフレーズなんかは一つの単語のように発音されるべきではないか?
want toがwanna、going toがgonnaなのは発音の変化を文字に書き起こしたのではないか? ve got toがgotta
kind ofがkinda
ofとかtoのような前置詞は元々アクセントが乗らないから消えやすいのか?
助動詞やbe動詞も文脈から明らかな場合は消えやすいのか? ain'tは方言由来らしい。なんJの猛虎弁みたいなもんかな。 ingのgはあえて発音に反映しなくても通じますよね? analを肛門という意味の名詞として使っても通じますか? このスレッドは1000を超えました。
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