悲しいなぁ。2000人、悲しいなぁ。

2000作品から3〜4編に絞られるまでが、3ヶ月強。3〜4編から受賞作の有無を決めるまでが、1ヶ月。

受賞者が、次の作品ひとつだけ書いて消える確率が90%。消えず10%のなかに残っても、生活できるだけの稼ぎを得られる確率は5%以下。


文藝賞に限らず、小説の新人賞は、悲しいなぁ。選ばれた人が消えてゆき、選ばれなかった人が耐えてゆく、そんな印象がある。

選んだ人に、先見の明があるなら、受賞者を、きちんと育ててほしい。年一回、話題づくり、伝統縛りの出血イベントのつもりなら、もう、やめませんか。

編集者、下読み、選考委員。ちゃきちゃきの識者たちの厳しいふるい分けのすえに、ようやく選ばれたはずの受賞作、受賞者が、次から次に、消えてゆく。

このことに対して、たとえば、表向きに顔をさらし言葉を投げかけうる立場にいる選考委員が、なにか改革や懺悔の必要を、思いとして発した例は過去に、どれくらいあったろうか。

新人がひとり実質的引退状態になることなど、歯牙にもかけない些事だと開きなおる選考委員がいるなら、その人は選考委員を降りるべきだ。

反対に、新人の育成に強い意欲を持っているなら、「自分たちをふくめ、この選考システムは、果たして才能を見つけられているのだろうか」と自省していただきたい。


複数の新人賞ないしは文学賞の選考委員を兼任している作家には、たとえば堀江敏幸のように、大学で創作を教え、たえず新しい書き手とふれあっている時間が、それだけの熱意が、欠かせないだろうと考える。

この考えかたこそが、甘えなのだろうか。