文學界新人賞141
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有名人のは出版社社員が書くの手伝ってる。
出版社が勧誘した中高生の作品も社員が手伝ってる。
本当のことです。 綿矢も小学生のころに出版社が勧誘して育てた。
いきなり出てきたのではない。 通過作と受賞作含め応募作は全部どんぐりの背比べ。
通過、受賞した理由は作文として少しだけ出来がよかったから。
内容は関係ありません。
本当のことです。 出版社の言う魂が揺さぶられるとは技法のことです。
内容は関係ありません。 文藝春秋社が嫌いすぎて小説以外の出版物を見るのさえ嫌 文章修行とは最も時間を無駄にする行為の一つだと思う >>148
古市を見てると本当にそう思う
新人賞を目指していて辛いのは
時間を無駄にしてるんじゃないかっていう葛藤 古市氏のツイッターに冒頭出てるけどくだらんな
10ページ以内にセックスしろ、ミステリーなら人を殺せ
セオリー通りってやつだわ 「ふたなりくん、左様おなら」でも書いて対抗するかな 技術をプロレベルまで洗練さしていくことに疲れた。自信作を読み返すとやはりどこか拙い。文芸は趣味に決めた。普通の仕事を頑張ろう。
頑張り続ける人は凄いと思う。ワナビって馬鹿にする文化は下品なことだとよく思う。 少しは古市を見習えよ
あんな舐めた態度でも
作家先生って呼ばれてるんだぜ >>152
Twitter見に行ったがそんな呟き見つからなかった。
かなり遡ったtweet? 新人賞やらな持ち込みすれば良いだけだがその根性は無いな。 才能なんて全員にあるけど、プロの規格に合わせて作品を研ぎ澄ましていく。それは大変で、ああ!もうあかんなと消耗していく。 持ち込みと言うが、一体本当にあるのだろうか。そもそもどうやって持ち込みするんだ? >>162
古市 文學界でググった
女がアマゾンでヴァイブレーター物色してる出だし これか
ttps://twitter.com/poe1985/status/1026383381150351360
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>165
持ち込みって言ってもコネがある奴だろ
西加奈子がそんな感じ 根本教室に通うと、才能あれば、根本先生が懇意の出版社に推薦→受賞。コネはあるが、才能も必要。 根本教室に行きたいけど、常連ばかりで新参者枠少ないから入れない。 >>166
応募作原稿裏面すべてに万札を貼り付けろ
別な意味で編集部に呼び出される
あとは話術と交渉力の問題だ
機に乗じて編集部に乗り込みができて、自分を売り込めるかは君の営業力の問題だ
健闘を祈る! 持ち込みって怖いよね。
編集者の顔色で失望か興奮かという反応がその場で見れる。賞だと恥をかかずに済むから精神的には楽だ。 プロ志望の人と記念受賞したい人でメンタルが違う。プロで生き残れる人が同人やネット投稿してたら、草野球にプロ野球選手が混じる状態になってサクッとスカウトかかかるよ。 >>178
純文学系でネット投稿する場所がないんじゃないかな? クソ忙しいのに、持込なんかされたらかなわん
どこも受け付けない。そのための新人賞 アルファポリスってどうなの?誰か知ってる人、わかる範囲で書いて欲しいな。 アルファポリス、知らないの?
webに投稿されたライトノベルの人気作を編集、書籍化し出版、という東証マザーズ上場企業だよ。年商40億だよ。 アルファポリスは、純文学の人がどうこういうところじゃないよね。聞きたいなら他の場所を探した方がいいよ。 純文学って音楽で言えば浪曲とか民謡歌うようなもんやろな。かつて流行ったが市場は縮小したジャンルで。記念受賞したらそれなりに人生に箔がつくのはよいか。 縮小しているという点ではそうだね。
ただ文学は世界共通の文化だから、そこが局地的な文化の浪曲とは違うよね。
細くとも世界と繋がってる。 >>193
批判だけなら馬鹿でもできる
どこが的外れであるのか? 川端、三島、村上春樹の方がどう考えても世界での知名度も評価も上だと思うけど もうちょいお洒落にジャズかテクノDJやるようだ。今時純文学やるってのは。
浪曲と民謡をジャズとテクノに変えたらなんか満足してそうなのが純文学界の軽さ。 ジャズやテクノDJという喩えで満足してしまっている198の薄っぺらさ、
というブーメランの恐れがあります 横から。
根拠も示さず他人の見解を批判したり、揶揄だけしているのは浅ましいよ。
このスレも社会もつまらなくなるからやめるべきだ。 >>201
そういうのは「横から」とは言わないのよ
どう見ても>>198 = >>201だからね
それと>>198の文章はもう少し推敲してから投稿ボタンを押すほうがいいね
読みにくいことこの上なし そもそも小説って薄っぺらいものじゃないの。漱石、三島からして。 近年、どの賞も、受賞作つまんねえのは、編集者や下読みのせいなのか、書き手がつまんねえのしか書けないのか。
面白い話が読みたい。 >>202
>どう見ても>>198 = >>201だからね
ちがうよ。
念のために言っておくと、俺は音楽も文学もさほど好きではない。 わかった。前>>125
((-.-)じゃあ俺が
(っu~) 俺が書く。
「 ̄ ̄ ̄ ̄]
■/_UU\■ 書いた私小説を知人二人に見せたら、二人とも疎遠になった。ドン引きされたようだ。一次落ちか鬼才かどちらかだな。僕は。 ツイに添削で直すところなし、と太鼓判押されたって人がいる。すごいな。
俺は自信作をせいぜい一次通過だと判定された。 ツィって何?
Twitterrでそんなことやってる人いるの?
どっかの教室? 売れない作家に教えてもらってるバカのコメントなんかどーでもいい >>209
是非読みたいな。掲載されたら読むよ。
落選したらアップしてくれ。
>>210
ツイッターにアップしたものを投稿してよいの?
未公表云々という規定には触れないの? 直すところなしでせいぜい二次通過が関の山
それが新人文学賞の競争率だぜ >>214
確かにそうかもね。手直しするところがない作品は多いんだろうね。
たまに新人賞や芥川賞受賞作を読むけど、文章の完成度は高いよね。
ただそれだけなんだよなぁ……。 >>214-215
直すところがないのと、作品が面白いか、つまり読むものを惹きつける何かがあるかは別問題だもんなぁ
内容そのものの魅力は芯の部分だから、作者以外にいじりようがない 金、暴力、セックスがあれば人を惹き付けられると知った
今度からそれ書こうっと >>217
そこに重きを置いていくとエンタメ小説になっていくのであった
寒い冬の朝であった 限りなく透明に近いブルーとかそうじゃね
やっぱり金、暴力、セックスだよ >>217
そういう考えで書かれた小説は弱いのであった。つまり、浅はかなのである。 俺も昔、公募の添削を依頼したら、散々だったから、なおす箇所がない、の講評はマジですげーと思うよ。
一次も無理って手厳しかったが、出してみたら、その通りだった。 >>220
確かにそうなんだけど、昨今の受賞作を見ると方言だけじゃないかとか……。
村上春樹・村上龍ほかを見ると、やっぱ暴力とセックスなのかとか、色々と思ってしまう。
僕が表層だけを見ているのかな……。 要は面白いかどうかだろ
ただちんこまんこにいれてるだけじゃだめだろうよ 最近のものは逆にセックスも暴力も金もドラッグも描かれてないものが多いけど 暴力とドラッグは一部の輩以外は無縁だけど
性と金は誰でも多少は関心あるだろうし、テーマの料理の仕方によっては読みたいな 文章の完成度が重要で内容はどうでもいい。
これは確度の高い情報。 文藝春秋社の社員に気づかせてあげる小説というのも難しい。
文藝春秋社の社員はそこまで頭が良いわけでもないし物知りなわけでもない。
文藝春秋社の社員に理解できないのはだめ。
だからといって説明的でもだめ。 説明的なものはダメなの?
村上春樹を見ていると、むしろ説明しないものこそダメなんじゃないかと思う。
僕は表層しか読まないのでセックスの話にしか読めていない。
よく村上春樹はポストモダンとか言うけど、僕の中ではセックス=ポストモダンになっている。 デイジーが綺麗に並んでるワイシャツを見て涙を流すところがいいんだよ
あ、それはフィッツジェラルドか >>229
説明的というのはどういう意味だろ?
描写としての説明だったら村上春樹はかなりやってる
もし、「私の文学はポストモダンです」と宣言するというような意味だったら、そんな無粋なことをする作家はほとんどいない >>231
>>228の以下の部分に対する問いです。
>だからといって説明的でもだめ。
村上春樹がポストモダンだと言われている理由が知りたくてネットで検索をしていたら、
黎明人の日記というブログを見つけました。これが今まで読んだ中で一番納得できた説明でした。
抜粋すると以下のとおりです。 彼の作品はまた、特定の時代状況に置かれた人間像の剔抉を試みるという点では、
近代小説の一般的な役割も果たすものであるが、そこで描かれる人物に対しては、
生きる意味や価値といった問いに関して一義的な回答を与える類のものではなく、
むしろそのような答えの不在こそが中心に置かれているようにも思う。
いや、答えだけでなく問いそのものの解釈までが読者に委ねられているように思わ
れる点など、いかにも現代的と呼べるところだろう。このような姿勢は、あまりに
問題を投げっ放しにするものだとも評価できるし、明瞭な希望も絶望も
――つまるところ明瞭な思想を提示しない点とも相俟って、村上文学のある種の
「ぬるさ」、「物足りなさ」を構成する要素であることは間違いない。
まあ本人はおそらく、これについて自覚的なのだろうという気はする。
自分は意味や価値や自己の探求は描くけれども、探求されている当のものについては
レディメイドに用意されているわけではなく、読者自身がそれを形作っていかねばならない
――彼はそんなスタンスにずっとこだわり続けていくのかもしれない。
作品に意味を与えるのは作家ではなく読者であり、村上春樹は作品を書くことによって、
読者の意味形成能力を涵養しようとしている。要するにかれがやろうとしていることは、
ポスト冷戦時代における啓蒙のプロジェクトである。
これが村上春樹についての、ぼくの一つの解釈である。 問題はこうしたやり方が成功しているのかどうか、ということであるが、
村上春樹文学というものが完全に消費アイテムと化して流通してしまっている現状では、
答えは否定的にならざるをえないだろう。
この状態を覆すには、村上春樹はこれまでの書き方と袂を分かち、
間接的・批評的な作風から自らの思想をより前面に打ち出す直接的・論争的な作風へと
スタイルを変える必要があるのではないかとぼくは思うのだが、 要は小説になっているかどうかで、大半はゴミ箱行きの小説になっていない文の羅列に過ぎない
文學界新人賞は貰ったぜ。 >>231
村上春樹のあの文章を読んで、ただのエロ小説ではないと思えるのは、
最初に答えがある人か、よほど文学に通じていないと無理だと思います。
上記のブログを読んで村上春樹=ポストモダン論がなんとなく私も分かったような気がするのですが、
それでも村上春樹を評価する気にはなれていません(別に私の方が上だとは言っていません)。
その理由はたぶん、小説の設定と似たような境遇になることはないし、なったとして果たして葛藤が生じるのか……
私もブログ主の言う通り、もう少し直接的・論争的じゃないと心が揺さぶられません。 ポストモダンというのは非常に曖昧なコンセプトで、例えば風の歌を聴けだったら、それまでの日本文学の主流であった硬質な文体からの脱却や、君が感じたのと同じように非現実的(に思われる)世界観なんかがポストモダン的と言われたんじゃないかな
近代小説の主流であったリアリズムからの脱却と言うものをポストモダンと呼ぶなら君が感じた通りで合っていて、それがポストモダンと言えると思う。だからもちろん、村上春樹も高橋源一郎も評価は別れた 村上春樹って適当に見えて凝りに凝って文章書いてるんだよね。風の歌の冒頭は凄いと思った。 うまいよね
軽いんだけど、浅くないんだよね
普通は深いと重くなるんだけど
だから、一般受けもよくて、かつ、エンタメと違って深くて議論の余地があるから人気が出るんだろうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています