何処が底辺か、それは他人が決めることではない、と言ってみる
ヒエラルキーを気にして窮屈さから逃げられない人生が幸福と呼べるのか
「最近、いいね、が減った私のFBの為に、頑張って一時間かけて話題のパン屋さんに赴いてみる」
みたいな価値観で溢れている昨今の風潮に「待った」を言うのが文士の仕事だろう
誰が自分より下か、誰よりましか、そんな詮索は「いいね」乞食の思考と同じだろ