☆創作とはあまり関係ないナマポの雑談スレ1☆
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生活保護よりも、生活保護こ人は医療費無料のほうが問題視されるべきだと思うけどなぁ
だから、生活保護から抜けるためには生活保護費プラス5万ぐらい稼がなきゃいけないと言われてる >>220
生活保護が必要ない者って例えばどういう人のことを言うの? 家がない人→必要
仕事がない人→必要
実家にいれない人→必要
病気で働けない人→必要
医者から就労不可貰ってなくても、病気を理由にって書類に書けば生活保護おります >>223
ただの働けないナマケモノとそうでない人はどこで判断すればいいの? >>225
それが判断出来ないようでは、君は仕事が出来ない無能なのだろう 正直に、生活保護が羨ましいって言えばいいのに
面白すぎていじりすぎたわ
反省反省
これ以上アホをいじると発狂しそうだからやめよ 生活保護が羨ましいから、5ちゃんで生活保護受給者を叩きます
中島じゃないんだから >>227
生活保護なんて月に7万円ほどしか貰えないのに、それを羨ましがる者がいるのだろうか >>228
そんな質問をしているようでは、君は仕事が出来ないのだろう べつにナマポを批判してはいないのだが
やはり、ナマポの人間は頭が悪いのか 月に7万円とか、生活費を差し引いたら小遣いも大して残らないレベルだろう ナマポを叩いてるような者は、生活保護で10万以上貰えると勘違いしている者であろう 完全に効いてる w w w w w w w w w w 大畑は、群像新人文学賞に何年も出して一次すら通過できずに創作やめた
つか大畑は群像ではなく文藝だろ 女子高生が見てるサイトで「オナニーしてるんだな、棺桶に入るまでな」はよくないだろ 女子高生があんな日本語もどきのクソブログ見てるわけないだろ?
中島の名刺なんかもらってすぐに捨ててるよww 大畑って帰省中の事を小説にするってほざいてたけど、音沙汰なしだな
やっぱりもう書けなくなったんだな 中島も予告ばっかりで全然書いてないよな
毎日土方がきつくて小説どころの話じゃないんだろうな 読書ばっかしても無意味っていう中島の説を大畑が実証してみせた 中島は他人の作品読まないから
文章が壊滅的に下手くそじゃん
あれでいいんかい? >>254
本人が人に笑われてもいいと思ってアレ書いてるんだからいいんじゃないの? トリップがバレたやつのままであった。
めんどいな。 中島はモジョさんに文章指南を受ければいいんだよ
他人の意見を聞き入れることも時には必要だと思うけどね しかし、ナマポ連中の言い訳で、
「俺たちは闘病生活だからナマポ受給は正当な権利」
あのー、世間にはナマポ受給していないで闘病生活している人ってかなりいるのですが ミラもナマポっぽい
あの連中、ナマポを否定すると自己否定になるから、
お互いをけん制しあうように見せかけているけど、
アウトになるボールは投げない ライブでMCはできても、一般就労はできません
だから、ナマポでないと生きていけないです
いい加減にしろよと思う 「健康で文化的な最低限度の生活」は義務化すればいい 理論体系をゼロから作らないとオリジナリティがないとされるなら
オリジナリティなんてなくてもいい 政権交代しても何も変わらないのが立憲民主主義というもの 作家志望の書いた小説だけは絶対に読まないことに決めた 森博嗣が日本のアニメを見ない理由
「まず、いつも書いていることですが、声というか、しゃべり方が、
どうも芝居がかっていて、あまりに感情が込められすぎで、
歌舞伎や時代劇の舞台演技を見ているような感覚になり、リアルに認識できないのです。
あまりにも叫びすぎ、あまりにも声を震わせすぎ、あまりにも息遣いが激しくなりすぎ」
「それから、次は、やはり絵でしょうね。絵が、結局漫画なのです。
漫画の場合は止まっているから、小説のように頭の中で場面を展開し、
そのときに映像が自分なりにリアルへ近づきます。漫画の絵は、実物を写実していません。
ドラえもんののび太君みたいな実物の人間はいませんから、漫画を読む人は、それを頭で展開して読みます。
ところが、アニメは動くわけで、その展開の必要がない。そうなると、絵が漫画的なのが、ネックになります。
たとえるなら、漫画のお面をつけた人がお芝居をしている、ような感じですね」 この話で引っ掛かるのは、やけに「リアル」にこだわっているところだろう。 ルー=ガルーという漫画に出てくる「形状認識異常」という
世界がデフォルメされて見える認識障害を思い出した。 形状認識異常者にとってはアニメもリアルに映るのだろうか。 というかドラえもんを読んでのび太をリアルに展開することはできるだろうが、
ドラえもんはどうするんだ。どう想像すればリアルなドラえもんになるんだ。 まあ、それは置いとくとして。
マンガ絵より文章の方が頭の中でリアルに近づけやすいという説はいい線行っているのではないか、と。 サピア=ウォーフの仮説、言語的相対論、とかその辺も思い出す。
「言語は認識に影響を与える思考の習性を提供する」 思うに漫画を頭の中で展開するならアニメで展開される方が多数派だろ。 漫画をリアルに展開するというのを前提にしているのが違和感の正体か。 時代劇でも海外の古い小説でも頭の中でリアルに展開できるのか。
こいつにとってリアルってなんだ。 どのような人間の心理であってもリアルに展開できるのか。 アニメでも漫画でも場面を認識するときは、
一旦頭の中で文章に変換しているのではないか。 小説の場合は変換する必要がないのでそのまま理解できるはず。 「フィクションを頭の中で展開する」という個人的な習慣を、
一般化してしまっているのがおかしい。 おそらく、マンガ絵より文章の方が頭の中でリアルに近づけやすいというのは、
文章の方が言語化しやすいということでしかない。
つまり当たり前のことを言っている。 現実世界をどう認知しているか思い出してみればいい。 形状認識異常者は「形状」を記号として認識しているのではないか。 誰だって一度くらいはドット絵の夢を見たことあるだろう。
要するにアニメが見れない奴は想像力が足りないんじゃないか。 「形状」という記号の集合がある種の言語を形成している。 「形状」という記号の集合が形成する言語を「形状言語」とする。
アニメーションとは形状言語に書かれた文章である。 演出は形状言語に含まれるということにしておいて、
漫画のコマとアニメのカットというのは
形状言語によって書かれた一文ということにする。 声優の演技がリアルかどうかなんて考えたこともなかったわ。
棒は気になるけど。 風俗動画って嬢が辞めると削除されてもう二度と手に入らないわけで
賢者タイムに削除したことが通常の三倍悔やまれる。 ある動画でしか得られない体験というのは、
他の類似した動画をどれだけ見ても再現できない。
まさにノスタルジー。 リアルというのは単なる相対的な写実とは違う。
絶対的な現実だ。 リアルにこだわるならフィクションなんて見なくていいよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています