親父、お袋の思い出
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まだ健在だけどいつか来るその日が
怖い。
楽しかった思い出有難う。 夜空に浮かぶ 星に打ち明けよう
この世を去って行く 人々の愛情を
ある時は憎しみで 意識して遠ざける
狂い始めている 歯車に絡みつき
お父ちゃん、ありがとな 誰の言葉で喋ってんだよ
自分の言葉で喋れや、クソ野郎
自分の言葉すら持たないのか?いや、持てないのか
しょうもない奴だなあ >>201
実話として捉えると切ない話だな
けど優しい母親だね
心配かけたくないのと残された少ない時間に自分でなく子供に何かしてあげたいと
その血が流れているから後悔と言うか相手を思いやれる気持ちが湧いてくるのだろう コピペだから嘘ってことはないだろ
真実の話を最初に投稿した奴がいるわけだろ >>233
それをコピペしたやつ>>201の実体験じゃないだろって話だぞ
それぐらい分かれよ うむ
すまない
俺のせいだ
信じてレスなんかしたから 親父の兄弟は皆優秀で、SONY、日立製作所などで活躍し定年した後は悠々自適に趣味に生きている
兄弟の中で一番できの悪いといわれてきたうちの親父が結果的に親類で一番成功した。
郷里の寺の修繕費を住職にお願いされ全額負担した
技術者も親父の会社から海外に送り、その前の査察なのでアジアのほとんどの国に赴き業界では様々な協会の役員にもなり
10年前に天皇陛下から受勲もされた
「お前の親父さんて一代目なんだろ、そこがすげーよ」と大学時代の友人に言われた
そいつの親父さんが多角経営や投資もしてる大地主でいまだにそいつとプラべでも会員制クラブでもつるんでる
奴も俺も本妻がありながら愛人を数人囲っている 親父も叔父も優秀で寺に寄附したり退職後も余裕な暮らし
自分は地主の息子と連んで愛人数人囲ってやりまくり
羨ましいだろ? 別に。40代にもなってやりまくりなんて書くやつって・・・
10代20代でやりまくっとけよ童貞 俺の親父は遊び人でいつもフラフラしてるような人だった
商売はお袋任せで家事に育児にといつも忙しそうにしていた
親父は子煩悩でもあったから日中はよく遊んでくれたが酒飲みで夕方から深夜まではいつもいなかった
○さんいる?とよく店に色んな人が訪ねてきてたが子供の俺にはどうゆう関係なのかはわからなかい
そして中学の終わりに親父は突然倒れて死んでしまった
通夜葬儀は店を片付けて自宅でやったが近所の女性陣が手伝いに来てくれて料理を沢山作ってくれた
男性陣も段取りやら準備やら仕切ってくれて俺はただ見てるだけだった
おまえは親父の傍にいてやれと線香当番しながら何か俯瞰したように回りの大人たちを眺めていた
通夜が始まる前の夕方にはもう人が集まりだして酒盛りみたいな感じになっていた
次から次へと人が増え坊さんが供をあげる頃には店の前が人集りのようになっていた
相変わらず女性陣は台所と勝手口をせわしなく動き回り料理を作っていた
どこから持ってきたのか外には椅子やテーブルが次から次へと並び酒と料理が運ばれていく
子ども心に通りすがりの人まで飲み食いしてるんじゃないかと気をもんでいたがどうも知り合いらしい
通りがオープンカフェのようになってしまいパトカーが表れた
大変なことになってきたなと心配していると世話役のおじさんが警察官に何やら指示している
そして2〜3人のお巡りさんが交通整理をしてくれていた
それは朝まで続いた
そう宴会は明け方まで続いたのだった
せして告別式の朝になり坊さんが供をあげながら焼き場に出る出棺の時にはザッと千人単位の人々が見送る何か異様な光景となっていた
焼き場からお骨を持ち帰り家に戻るとすっかり片づけられた店の祭壇前に留守番の数人が陣取り談笑していた
世話役のおじさんがはいこれ香典と芳名帳ねとお袋に指差していた
おれはそのデパートの紙袋の山を見てこれ全部そうなのかと驚いた
何十袋もあるデパートの紙袋の中は全部香典だったからだ
世話役のひとりがじゃあこれでと帰りに際に言った
おまえの親父さんはこう言う人だったんだぞとこれだけ別れを悲しんだ人が集まったんだと俺に言った
他のおじさん達も如何に親父に世話になったかと話してくれた
俺もだ俺もあんな事があった助けられたと回りの大人たちが揃って言った
そしてその晩お袋に手伝ってと言われ香典袋から現金をだす作業でまた驚いた
3万5万10万と大半の袋に大金が入っていたからだ
中にはお世話になりましたと一筆箋が書かれていたり悲しい気持ちや関係性が書かれたものがあった
へーっと読みながら集まった金の束をお袋が輪ゴムで束ねるのを見てまたびっくりした
いちにいさんしとレンガのように置かれた束がそこにあった
百万を10コ束ねたものが何個もできあがる
お袋に何これどうなってんの?と聞くとこれがお父さんの人柄ってことかなあと
意味がよくわからなかったがそれから会う人会う人に親父のことを聞かされ理解していくことになった
おかげで我が家は路頭に迷うこともなく兄弟はみんな大学まで行けたし相変わらず商売も忙しく親父だけがいない日々が過ぎていった
今は俺の嫁が店を切り盛りし俺は親父のようにフラフラと街を彷徨っている
同じことをしながら ちょろっと書き込みあったから久しぶりに見たけど
>>224の続き書こうか?
こういうのを経験した人って結構少ないような気もするしね じゃあ続き書くよ
見つけた瞬間>>224な気持ちになってずっとぼーっと
親父の死体を見てた。けど報告は必要だと思い
母親に報告したんだが親父の死体を見た瞬間に
「これは首吊りじゃなくて病死にってことにしましょう」と言われた 死体を見て第一声がそれか?と思ったが
俺もこのままの状態で放置はできないと思い
とりあえず下ろすことを考えたが方法が分からない
「救急車呼ぼう」って母に言ったが
「病気で死んだことにするのよ!布団に運ぶのよ!!」
って言い出して聞かなかった そして親父の書斎にあったハサミを取り出して母が紐を切り出した
もちろんそんな物で切れる訳が無い。そしたら母が
「〇〇!(私の名前)台所から包丁持ってきなさい!」って大声で怒鳴られた
この人は一体何がしたいんだろうっていう虚無感に襲われた 色んな体液と汚物が出てる親父という屍を見つつ
台所に包丁を取りに行ったんだが
その包丁を持った瞬間にこれで母を殺すのも
一つの選択肢なんじゃないかと思った 包丁を持って部屋に戻ったんだが
必死にハサミを動かしてる母を見た瞬間に
この人イカれてると思った。このまま母を殺すことも
可能だったが、変に冷静になってこの先のことをまず考えた この先の事とは「このままここに住めるのか?」→無理だろうな
「学校は転校しないといけないのか」→転校だよな
「今の野球のクラブも退団しなきゃいけないのか・・」→退団するしかないな
そんなことを考えながら母親に包丁を渡した 包丁を渡したら母は狂ったように紐を切り出した
だが切れない。俺が親父の体を下で支えてたが切れなかった
そこから何を思ったのか母が首回りの部分の紐を包丁で切り出した
「何やってんだよ!傷つけるのかよ!」って言って母から包丁を奪った 書斎のテーブルを引っ張ってきてそこに親父の足を乗せた
「足を押さえといてよ」って母に言って俺が
紐の上の部分を包丁で切った。ドスンという音と主に床に転がった
もう死後硬直が始まっていたたので親父の体は棒のようになっていた 親父の書斎は中2階にあったので普段ソファーで寝てることもあった
だから母に「ここに寝かせたらいいのか?」と聞いたら
「違う。下の寝室に寝かせる」って言い出した
そこから親父の遺体大移動が始まる まだ両親生きてるけど親父はパーキンソン検査中、お袋は長いことガン闘病。
いまは少しずつ弱っていく姿をふとした瞬間に思う日々です。 お父さまの遺体を運ぶことになろうとは‥意外な展開で続きが気になります‥。 親父の首から紐を外しゴミ箱に入れた
(これが後で問題になるのだが・・・)
母に「じゃあ1階に運ぶわよ」と言われ親父というか屍を持ったのだが
「人間ってこんなに重いのか・・おんぶや抱っこは
持たれる側の協力があるから成立するんだな」って変に冷静になってる自分がいた 俺が上半身を持って母が下半身を持って階段を降り始めたんだが
あまりの重さにこれは2人じゃ持って下ろすのは無理だと感じた
だから「ここに毛布をひいて滑らせろう」って俺が提案したら
珍しく母が賛同し毛布を持ってきて階段を滑らせた もちろんスムーズにできる訳もなく
何度も親父は頭や背中や腰は階段にぶつけてたと思う
だがなんとか1階にはおろせた。寝室自体は近いので
そのまま毛布に乗せてフローリングを滑らせて運んだ 屍をベッドに乗せるのは二人でなんとかできたが、次は母が
「体を拭いて服を着替えさせましょう」って言い出した
親父の遺体ははカッターシャツとスラックスだったし
「上半身の着替えは無理だろ。もう固まってるし」って言ったら
母は納得したようだった 結局着替えは諦めて上から布団をかけた
初めは興奮?してた母だったがこのくらいから
顔がどんどん青ざめてきてほとんど話さなくなった。ぽそっと
「〇〇(私の名前)。救急車呼んで・・・」と言われ電話した >>264
何で最初からそうしなかったのか
不審死で警察が現場検証を行うのは確実だから、下手な偽装工作は犯罪を疑われるだけなのに
首吊りでは恥ずかしくて親戚や町内に顔向けが出来ないという思いがあったのかもしれないが >>265
それはそうなんだけどね
こっからまた色々あったんだよ。こっからの方があったかもね
今はちょっと疲れてるんでまた後で続き書くよ 電話をして15分ぐらいで救急車がきた
子供心に「そんなの首に跡がついてるに・・・病死って」
もちろん救急隊員は見たら一瞬で分かる。見た瞬間にどこかに連絡した
そして15分ぐらい経ったら警察が来た そりゃそうだよなそうなる
で警察が来れば特定するためにも各部屋を調べる
片付けたとしても糞尿の形跡は見つかるだろう
遺体からも
首に跡だけでもあれだが鬱血や皮下出血とか検死すれば更に確定的になる
で何故偽装したのかとなるがたいした理由がない
自殺だと保険金がでないと言うが確か何年か経ってれば出るはずだし
するとやはり体面的な何かを気にしたのかどうか
不思議だ >>268
そうだね。そうなったよ。では続き
警察は死体を確認したら家を調べ始めた
母は憔悴しきってた(後で思えばふりをしてた?)だったので
事情聴取にも俺が答えることになる。今じゃ中学生に
そこまで聞かないだろうが当時は何でも聞いてきた 遺体を発見したのも俺。ロープを切ったのも俺
首からロープを外したのも俺。運んだのも俺
質問には聞かれるままに答えた。だが、だんだん気持ちが悪くなってきて
「ちょっとトイレに行っていいですか?」と聞いて
警察官の監視のもとトイレで嘔吐した 事情聴取を受けている時に上に書いた遺体をベッドに乗せるまでの
母が言った幾つもの言葉はあえて警察には言わなかった
理由は分からない。言わない方がいいと本能的に思った
トイレから出てきたら女の警察官に「ちょっと休憩しましょう」
と言われソファーに座った 続きのストーリー考えてんのか?
さっさと書けよハゲ >>273
いやただのリアルストーリーだよ
こういう経験した人が他にもいるんじゃないか?
と思って書いてるだけだし(かなり稀だろうけども)
まだまだストーリーは続くよ。今もまだ続いてるぐらいだし 警察官に連れられてリビングのソファーに座って、ただぼーっとしていたら
次は母への事情聴取が始まった。けど警察と母が何を喋っていたのかは
なぜか興味も湧かなかった。だがふと視線を変えたら寝室のドアが開いていて
親父が全裸にさせられていて青い機械?で心電図?を取られてるみたいな
状態だった。検死官なのかなとは思ったけどそこでたずねる気力もなかった 通報したのが午後3時ぐらいだったので、救急車が来た時点で
近所の野次馬が凄かったのだが、警察が来てまた野次馬が騒ぎ出し
その後いきなりすごく騒ぎ始めたのを感じたので
窓からふっと外を見たらローカルテレビ局のカメラを持った人達だった 「自殺程度でテレビや新聞社?がくるのか?」とも思ったが
事件性(他殺の可能性も)があったから来たのかなとも思った
カーテンは閉めてたが少しの隙間から外を見たら
近所の人に色々インタビューしてるメディアはなんとなくは見えたが
流石にマスコミは家にまでは入ってこなかった そしてもう一度警察官に呼ばれ自殺現場の現場検証が始まった
俺はやったことをただ答えただけだったのだが、一つ
「首の紐を外したのは君か?」と聞かれ「はい」と答えると
「この結び方は知ってるか?」と聞かれ知りませんと答えた
実際知らなかったので その後また女性警察官とソファーに戻った
検死をしてた人たちが撤収を始めて警察官と話し始めた
なんとなく聞こえたのは死亡推定時刻は
午前9時から10時だということだった・・・気になる時間だった そのあと警察官に「9時頃どこにいた?」と聞かれ
「学校です」と答えた。(当時は隔週で土曜日の午前中に授業があった)
そこで警察官らが話だし、しばらくしたら撤収し始めた
帰り際に「これで終わりよ。帰るから」と女性警察官に言われた
なぜか涙が出そうになった。また母と2人になるのが怖かったからだ 警察が「自殺」と判断して撤収した後
すぐに前の家のYさんが入ってきて「○○ちゃん!」って
俺を抱きしめてくれた。涙がこぼれた
その人は息子さんを若くしてバイクの事故で亡くしていて
その頃から俺を我が子供のように心配して見てくれていた人だった 自殺を病死として見せ掛ける為の隠蔽工作については何も問われなかったの? >>284
まず遺体を見たる分かるってのもあるし
俺には聞かれなかったね。俺はやったことだけを答えた
母にはどんな質問をしたのかは分からない。のちに聞いてもいないし
警察からしたら自殺か他殺かって判断の方に時間をかけてたように見えた こういう話は全く信じてもいないし
信じようともしないという前提なのだが
なぜ死亡推定時刻の9時頃という時間が気になったかというと
その時間、学校で授業中だったんが体に変化があったからだ 中学時代、反抗期がハンパじゃなかった。家族の誘いも全て断っていたし。
それでも両親は怒らずに受け入れてくれた。
今でも親とは行動していないし、病院連れて行った事もない。まぁ親が病院行かないだけなんだけど >>286の続き
あとで思えばの話だが、当日授業中の朝9時ぐらいから体が重くなり
脂汗が出てきた。だが倒れそうにもなるまででもないし
我慢していたのだが、その後時間は覚えてないが頭に「バキ!」って
電撃?みたいなのが走ったのは覚えている。虫の知らせ?全く信じてないが 【長崎】親の遺体を放置する40代引きこもり…「人と会うのが怖かった。どうしていいか分からなかった」
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1576503972/
昨年8月、長崎市の住宅密集地で異臭騒ぎがあった。アパート2階の部屋のわずかに開いた窓から、鼻につく臭いが漏れ出す。
住民の通報で警察官が駆け付けると、部屋の中で70代女性の遺体が発見された。
長く定職に就かず、引きこもっていた40代後半の息子が、女性と母子2人で暮らしていた。
7月下旬、住民が見掛けたのを最後に、母は消息不明に。この後に倒れたとみられている。
息子は母親の遺体を自宅に放置したとして、死体遺棄容疑で逮捕された。
長崎県警によると、「亡くなったのは知らなかった」と話したという。
鑑定留置を経て約2カ月後、長崎地検は息子を不起訴処分にした。
近隣住民によると、息子はかつて父の仕事を手伝っていたとみられる。
父の死後、10年ほど前からほとんど外に出ないようになった。
アパートの外に大量のごみを山積みし、近隣とトラブルになっていた。
母子はSOSを発しなかったのか。
地元の民生委員の女性は、行政の支援を受けるよう声を掛けたことがある。
「そんなのは絶対、せんでよか」。息子は拒んだという。
2019年12月16日
https://news.livedoor.com/article/detail/17534412/
【神奈川】大人の引きこもり相談、2カ月間で計62件 大和市
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1576503215/ >>290
何だかマスコミは俺達の年代を標的にしてるな
10年前は30代、20年前は20代の引きこもりが問題になっていた
あの頃40代の男が引きこもるなんて想像さえされていなかった
絶対に存在していたはずなのに 佐々木朗希「気持ちが大事」忘れぬ小4母の日の記憶
ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)が10日、故郷岩手を巣立ってから初めて、母の日を迎えた。
球団を通じて「今、こうやってプロ野球で野球ができているのは母のおかげだと思っています」とコメントを寄せ、感謝した。
東日本大震災で父を亡くし、母陽子さんに女手ひとつで育てられた。
小学4年の母の日。
近所の100円ショップでタオルハンカチを買い、贈った。
恥ずかしがり屋だから、照れながら。
「とても喜んでくれたのを鮮明に覚えています。値段ではなく、プレゼントをするという気持ちが大事だと思いました」。 全裸にされてベルトで100発殴られたり、ヒステリ起こして玩具箱毎ベランダから外に捨てられた思い出しかない。 先月お袋が他界した。5,6年ずっと施設にお世話になっていた。
亡くなる数時間前に面会してた俺、、、手を握ったら細い腕で弱々しく握り返してくれた。どんな気持ちだったんだろなぁ、、。
お疲れ様、お袋。 幼稚園に入る前の事だったか、、。
シャボン玉で遊んでいたところ、お袋が「おかあさんにもシャボン玉させてー」と言ってきたがシャボン玉液がなくなってた。「もうないよー」、、、ちょっと残念な顔したお袋。シャボン玉せてあげたかったなぁ。(´Д⊂グスン 幼少の頃、家の裏山にお弁当作って二人でピクニックした思い出があるわ。
三角おにぎりがコロコロ転がって行ったのをお袋が取りに走って。
今は施設に入ってコロナ禍だから会えないけどね。
蒼い 夏に 寂しさあり。 お袋のあまーいスパゲティ食べたいよ〰(´Д⊂グスン 皆お袋の思い出ばかりだな
やっぱり息子にとっては親父よりもお袋だよな 小学低学年の頃、お袋とスーパーに買い物に行った。毎日のようにこんな遠くのスーパーに買い物に行って重い荷物ぶら下げて帰ってくるお袋って凄いなぁ、、、って思ったなぁ。 両親どっちも他界済だが
母親が俺の顔を拭くときに自分のハンカチに唾つけて拭くんだが
微妙に臭くて嫌だった思い出。 6年前に死んだ親父は最悪だったよ。会社は潰すし俺の母親は不幸にするしな。
死んだとき、一銭も残さなかったよ。 直葬した。 アンコが好きだったので親父の仏前におはぎをお供えした みんな親孝行って何かしたかい?
俺もこれといってないんだけど
トーチャンにはうな重を一緒に食べに行っておごったぐらいだな。
近所の隠れ有名店で単に自分が食べてみたかっただけなんだけど。
喜んでくれたかどうかも覚えてないしね。
本当は結婚して孫見せたり顔見せに家帰ったり旅行連れて行ったりできたら
良かったんだろうね。
カーチャンは大学生の時だったから尚更何も出来てないな。
まあおまいら両親が生きている内に何か親孝行しとけってそういう話さ。 実家。
近くて遠くていつもあったけど。
もう誰も住んでない。
これからも兄弟みんな別々のとこで暮らしてて、誰も帰ってこない。
お父ちゃんやお母さんはそこに居たのに、誰も居ない家。
小さい頃は長男のお前がここを継げと言われとったが、遠くで生活している。
帰りたいけど、帰れない。 >>296
液は食器洗剤なのにママはしらなかったのか・・・ 年々自分の顔が死んだ父親に似てくる。
おかげで鏡をじっくり見れなくなったわ。
世の中には托卵とか聞くこともあるが
俺はまぎれもなくあの人の子供なんだな・・・ 爺ちゃんになったお父さん婆ちゃんになったお母さん、歩くスピードはトボトボと
だけど覚えているんだ、若かった日の二人を
嗚呼、きっと忘れない >>315
別に大嫌いってわけでもないけど
なんか親に見張られてるみたいでいい感じはしないよ。
自分は>>309でもあるけどたいして親孝行しなかったからなぁ >>309
親孝行できればと思って
数年かけて嫁説き伏せて同居してみたが
一ヶ月も立たずに崩壊したでござる >>319
旦那の親と同居なんて嫁さんからすれば地獄でしかない
考えるまでもなく分かることだろうに 自分が子供の頃の写真、親が若かったころの写真まだ残ってるか?
うちは家を建て替えたあたりから見なくなった気がする。
あの時に捨ててしまったのだろうか。
当時は写真なんてと思っていたが、あんな写真でもいいからまた見たい。 >>321
ノスタルジー感ハンパないぞ
頑張って探してみよう
ただ、涙が出るかな… 七五三かなんかで神社で母親と手を繋いで写ってるのがあるなぁ
今ではその母親も痴呆寝たきりだけどね 写真とか何か残ってないか探したいが
コロナや仕事を理由にして家に帰ってない。
兄弟が残ってるが遺品の整理もしてないだろうなぁ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています