琉球史を知らないヤマトゥンチュ(日本人)は「琉球王国というのは摂津国や備前国や相模国や播磨国や出雲国などと同じで日本国内の一部だった」とネットの掲示板によく書くが、彼らは全然意味がわかっていない。
摂津国とか備前国とか相模国というのは日本国内の一地方であって琉球王国のような外交権を持つ独立国だったわけではない。
その証拠に琉球王国は主権国家としてアメリカ、フランス、オランダとそれぞれ国際条約(修好条約)を結んだが、琉球王国以外で諸外国と国際条約を結んだ国はない。
1854年3月31日にアメリカのペリー提督が日本と日米和親条約を結んだが、その4カ月後の7月11日にペリー提督は琉球王国と琉米修好条約を結んでいる。
そしてその翌年の1855年3月9日に琉米修好条約はアメリカ議会で批准されているし、同日、第14代大統領のフランクリン・ピアースによって公布されている。
アメリカは条約締結、条約批准、条約公布の3点セットで琉球王国を独立国と認めていた。