1429年中山王尚巴志(ちゅうざんおうしょうはし)は北山、中山、南山の三つの王国を統一し、首里(現在の那覇市)に首里城を築いて琉球王国を作った。
16世紀後半から豊臣秀吉や徳川幕府は琉球王国に対して支配下に入るよう圧力をかけていたが、明との関係を重視して歴代の王はこれに対してはっきりとした態度をとらなかった。
しかし1609年、第7代の尚寧王(しょうねいおう)のとき幕府の許可を得た薩摩藩は3000の兵力によって琉球を制服し、首里に在番奉行所をおいて琉球の内政と外交を監視した。薩摩藩は明貿易の管理権をにぎり、年貢を薩摩藩に上納することを義務付けた。
これによって琉球王国は薩摩藩主の島津氏属国として支配権をにぎられ、幕府体制に組み込まれた。
1872年明治政府は琉球藩を設置し、19代目の尚泰王を琉球藩王に任命して琉球が日本の領土であることを内外にしめそうとした。
しかし琉球が清との関係を続けようとしたため1879年に、明治政府は軍隊や警官を送り廃藩置県を強行して琉球藩を廃し沖縄県を設置した。