琉球新報で100回以上にわたって連載された「道標(しるべ)求めて」にも書かれていたが、日本の初代首相の伊藤博文が首謀して行った韓国併合は琉球併合をモデルにしたといわれている。
幕末から明治維新にかけての日本の政治家は皆、異口同音に「琉球人は日本人ではない」と口を揃えて言っていたが、1874年の台湾出兵のときは急に態度を変えて「琉球人は日本人」と主張し始めた。
例えば、伊藤博文、大隈重信、大久保利通らがその代表である。
彼らがなぜ1874年になって「琉球人は日本人」と台湾側に主張したかというと、当時、日本の領土ではなかった琉球を日本に併合したかったから。
つまり、1871年に起きた台湾事件で琉球人54人が台湾の生蕃に殺害されたことを日本の明治政府は領土拡大のチャンスととらえ、日本の政治家や役人は「琉球人は日本人」と主張し、台湾に3000人以上もの兵隊を出すことになったというのが真相である。
明治政府が「琉球人は日本人」と主張したのは、あくまでも琉球という場所を併合したかったからで、「琉球人は日本人」と台湾に主張しなければ台湾出兵の名目が立たなかったからなのは言うまでもない。
要するに日本の明治政府は琉球を併合するにあたって台湾に嘘をついていたのである。