((4X5 8X10等大判フィルムカメラとデジの解像力)) [無断転載禁止]©2ch.net
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デジタルカメラの画素数が上がる中でフィルムは不要と言う理論もあるが
どうしても出せないフィルムの味、またそんなものは関係ないぞ!と言う
互いの意見の相違を討論しよう。ちなみに篠山紀信はデイアドルフの愛好者
宮沢りえもデイアドルフで撮影した
http://www.m-camera.com http://fotomutori.com/blog/
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Y98 鈴木特殊カメラはすごい、プリコラージュ工房NOCTOはすごい 8x10 1600dpiで、10400x13006画像をやってますが。 これが芸術だ!
532 衆静7/8区社民当確政権交代対死刑囚内戦中!! ◆/Pbzx9FKd2 [IQ140理系200万人世代中7千位京大1/200位!内戦だ!新・学生運動!!] 2021/11/02(火) 16:29:36.25 ID:EkHQ6B0q
http://2ch-dc.net/v8/src/1635837435960.jpg
ニッコールM300F9(F16半)
http://2ch-dc.net/v8/src/1635837471991.jpg
ニッコールSW90F8s(F32・1/)
http://2ch-dc.net/v8/src/1635837534601.jpg
M300(F11)
http://2ch-dc.net/v8/src/1635837563353.jpg
T-ED500F11(F16)
http://2ch-dc.net/v8/src/1635837585346.jpg
SW90F8s(F11・1/2)
http://2ch-dc.net/v8/src/1635837624513.jpg
ニッコールW135F5.6s(F8)
「良いから大判写真画像を上げろ」と事ある度にクレームが有ったようなので本当に上げてみた
前言った通りD5300+タム90F2マクロなんだが
何度やっても右側特に右下がボケるんだがテストなのでおおめに見て
レンズデータも入れて置いたので元版のコントラスト再現等の参考に 8x10の
13000x10000 by 1600dpi
ぐらいやってみろよ。 気が向いたんで拾った画像で8x10、4x5、full、aps-cの解像度対決してみた
よろしかったらどうぞ
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坊やはそれで勝ったっつもりになれるのか
幸せだなあ
10年くらい経ってもうちょっと君が成長して、自分の書き込み読んだら、みっともなさに死にたくなると思うよ
まあがんばれ 本当にこの板のカメオタどもは情けない
カメオタだからカメラの知識や技術の貪欲かと思えば全然そんなことはない
自分が使ってるメーカー以外を腐すとかそういうことにしか興味がない
まさにゴミ
いくら蔑んでも蔑みきれないほどのゴミ人間たち
ここまで言われて悔しいか? じゃあもうちょいまともになれ まぁ、ここで人けなしなんて馬鹿なことよりも、撮影しろよ。
今の時間なんか、撮影場所に向かって運転中だったが。 いよいよ大判カメラも終わるのか、中古屋でレンズや本体を見かけることが増えてきたように感じる そろそろリンホフ売るかな
つか、売れるのかな?インテリアにしたほうがいいかな? 売っても二束三文で買い叩かれるぐらいなら部屋に飾っておけ んだね。
一緒に山に登ったり、海に行ったり、川に入ったり、凍えたりした愛機もとうとうお飾りか。感慨深いな。 私が当時、東京芸術大学の学生だった今の家人と付き合っていた頃に、女子大生の決まりファッションというのがあれは一体どういう理由なのか知らないが朝日ジャーナルを小脇に抱えて表紙が見えると言うスタイルだった。
家人は音楽学科の学生だったから、楽譜を抱える事はあったかもしれないが、そういうスタイルは馬鹿にしていたのである。
朝日ジャーナルは女子大生が抱えるものと言うイメージがあった50年前である。
1983年の終わりにニューヨークから帰ってきて、筑紫哲也さんが朝日ジャーナルの編集長になった。紙面を一新して週刊誌の真ん中の4色のページは写真家が担当することになった。
東京キーワード図感と言うのである。
私と同じサイドにいる写真家、つまり、鈴木靖さん、山崎博さん、そして私と言う3人の写真家が交代で連載をしたので、私は張り切って8 × 10インチのデアドルフカメラで撮影をした。大型カメラであることを表現するために、わざと8 × 10インチのフィルムのNotchまで製版してもらった。
この連載で面白かったのは、何しろ大新聞社の雑誌であるから、普段ちょっと考えられないようなところまでカメラを持ち込むことができるのだ。これは全日空が今ではお馴染みになってしまった新しいペインティングを始めた。1番最初の機体なのであるが、ここに立ち入るまでの許可が大変であった。
普段は整備士さんが見ることのできるアングルと言うわけだ。そのジャンボも今は退役して、全日空ではカーゴでは使われているけれども、旅客機として見る事は無い。
他に撮影場所で、面白かったのは、自衛隊の儀仗兵が整列したところを撮影したりした。儀仗兵の1番偉い人に8 × 10インチのカメラのほうに向かって敬礼してくださいと言ったら、トップの偉い人は儀仗兵は自分に対して敬礼をするのであるから、カメラに向かってはできませんと言われた。なるほど、なかなかいろんなしきたりがあるのだな。
この東京のシリーズで夢の島を取りたいと言うので、東京の関連部署に朝日新聞から撮影依頼を提出して断られたこともある。要するに、環境汚染をやっているわけだからそういうのは探られたくないと言うことなのであろう。
もう一つ、私が取りたかったのは、天皇陛下がなさる皇室の儀式としての田んぼである。これも朝日ジャーナルから宮内庁に撮影依頼をしたのだが、許可されなかった。 極悪リンク https://sorkab.com/grotesque-warning/54452
原発危ないよ、ゴミ焼却型発電の進化は昔だと考えられないくらい凄い
ゴミ焼却所で発電できる https://response.jp/article/2013/09/13/206318.html
各自治体のゴミ処理場を発電型にすれば電力はかなり安くなる、ゴミ出さないの?
ゴミ収集日にごみ出すでしょ?それ燃やして発電可能、日立造船が作った余熱利用型発電
昔は温水プールに使われたりしてたゴミ焼却の熱が発電に
イギリスの巨大ゴミ発電所なんて50万世帯供給。燃料がゴミだから安い。 四谷荒木町のガラクタ屋さんのホームページは、1日も欠かさず毎日連載されているので、見るのが楽しみである。この間登場したものにけしからんレンズと言うようなタイトルがついていたのは、これは最初アサヒペンタックスあたりが出したのだと思うけれど、レンズの前に2世のレンズをつけて、90度左側が設営できると言う隠し撮り用のレンズである。
我楽多屋のにだいめさんは、正義の人であるから、そういう隠し撮りをするけしからんレンズを批判しているが、写真界の巨匠ポールストランドは、100年以上前にこのレンズの付属品で傑作を撮影しているのである。
当時の写真家が使っていた機材は4 × 5インチの大型の一眼レフカメラであった。そのカメラのレンズの前に隠し撮り用のレンズをつけて横向き撮影を可能にして撮影したモチーフがこのブラインドな女性と言うのもかなり複雑な撮影環境だと思う。
この写真は、メトロポリタンミュージアムのコレクションとして、オンラインとして見ることができるが、日本語版だとこの作品が最初に掲載されたのが1917年のアルフレッドスティグリッツが発行していたカメラワークと言うことになっているが、これはカメラノートの間違え。すなわち、私のカメラノートと言うのは、アルフレッドスティグリッツからそのタイトルをいただいているのである。
アルフレッドスティグリッツはニューヨークカメラクラブの創始者でもあった。それでカメラノートのバックナンバーが揃っているので、偶然セントラルパークサウスで出会った写真付きのゼントルマンがニューヨークカメラクラブの副会長であることがわかったので、色々と資料を見せてもらいさらにニューヨークで撮影した8 × 10インチの仕事を有名なニューヨークカメラクラブで個展も開催できたのである。
その意味で言うわけでもないが、ポールストランドが使った隠し撮りの90度レンズアタッチメントと言うのは、にだいめさんが言うにはけしからんレンズと言うわけだが、これは非常にシリアスな写真撮影の道具と認識すべきなのであろう。
ただ、日本の場合は、その使い方が問題だから、2代目さんに言わせるとけしからんアクセサリーと言うことになるのだな。 写真家の須田さんは神田富山町25番地であるから、神田駅周辺が彼の陣地なのである。それで須田さんとずいぶん若い頃はこの界隈を歩きまわったので、このMilk Hallはお馴染みの風景であった。
何しろ、私が22歳で須田さんは29歳で1970年のカメラ毎日の1月号に登場した時は、20代の目と言うタイトルなのであるから大変な昔の話であることがわかる。それ以来、このMilk Hallは前を通過するだけでいいなと思っていたのだが、中に入ると言うアイディアは全く閃かなかった。
それが2015年の8月の終わりと言うショットを撮影したときに、なぜかお店に入ってみたのである。なぜお店に入ったかと言うと別に空腹であったとかそういうことではなくて、このミルクホールのインテリアが草色に塗装されているのではないかと言う期待感から初めて中に入ったのだ。
1981年に8 × 10インチで東京のシリーズを空で撮影するようになって、そのシリーズの1部は朝日ジャーナルに連載したのであるが、当時のガールフレンドが女子美術大学の学生であった関係から近くのお店をよく見て歩いていたときに、ライトグリーンに統一されたMilk Hallというのがあって、そのインテリアを8 × 10インチの大型カメラで撮影して、その作品もどこかに発表したのである。
そのような環境に対する思い込みと言うのは、なかなか凄いものがあって、私の脳内ではMilk Hallはライトグリーンのインテリアと言う設定になっていたのだ。しかし、神田のこのMilk Hall別にそんな色材にはなっていなかった。
今になって気がついたことだけど、Milk Hallのインテリアがライトグリーンと言う思い込みは、この典型的な建築のファサードが緑色になっているというところの連想から起こったもののようである。
このMilk Hallはもう存在しないらしいが、看板の局番の3桁というのがクラシックでよろしい 1930年代半ばに撮影されたウォーカーエバンスのアメリカの応用保全局の仕事がパブリックに公開されているので、それを見るのが楽しみである。
これは1936年に撮影された8 × 10インチカメラによるミシシッピーのバーバーショップである。実際にこういうところで写真を撮っている。私の経験からすると、道の反対側に座っている男性は、最初に私のカメラに対して何らかのリアクションをしてくるはずである。
おそらく写真家がその最初のリアクションを通り越して、彼らがまた日常のポーズに戻ったところを撮影したのではないかと思う。ニューヨークのファイヤーデパートメントでなかなか良い建築物があるから、ファイヤーファイターが仕事をしているときに、8 × 10インチのカメラで彼らを撮影した。これがなかなか良い感じなのである。
それで1936年のカントリーのエントランスでリラックスしている男性のスタイルを見ると、それぞれ彼らが座っている。椅子の具合によってリラックス度が違うと言うところが面白い。
ニューヨークのウォールストリートあたりで私が観察していて、いつも面白いのはトレーダーなどがランチのときには、そこら中の階段に座ってリラックスしながらハンバーガーか何かに食いついているのである。
マンハッタンの首都はそこら中にある建築の1部分の構築物をそのままリラックスできるチェアの代わりに利用しているというのが凄いと思う。建物のエントランスに続いている低い窓枠なども彼らが座るのには格好なチェアなのである。
ところがビルの管理者の方からすると、これがセキュリティー上面白くないと言うことで、そこに座らせないように、鉄の棘が生えた金属板が永遠と窓枠に沿って並べられているところもある。
消火栓なども座るのには格好な、椅子代わりと言うことでよく使われているのであるが、よく観察すると、消火栓の上の部分に鉄の棘が生えている物件もある。そこら辺を観察して歩くとなかなか楽しめる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています