0210名無CCDさん@画素いっぱい
2018/01/08(月) 20:41:06.47ID:vFyMvqm00ニコンの名前が世界に知れ渡ったのは1950年の事だ。
当時、カメラとレンズはドイツ製が最高であると信じられ、
報道カメラマンはライカやコンタックスを使っていた。
日本製のカメラやレンズなどプロフェッショナルは誰も使わない。
しかしLIFEのカメラマン、ダグラス・D・ダンカン(D.D.Duncan)は、
同僚の日本人カメラマン三木淳を通じて、ニッコールレンズ
(日本光学の写真用レンズのブランド)を知り、その描写力に驚いた。
そして彼は自分のライカIIIcに、ニッコールレンズを付けて朝鮮戦争
を取材した。
ダンカンの同僚カール・マイダンス(C. Mydans)も、ニッコールレ
ンズを改造し、コンタックスの取り付けて朝鮮半島に渡った(のちに
カメラもNikonを使う)。彼らが取材した朝鮮戦争の写真は、1950年
USカメラ賞を獲得した。その後、LIFEのハンク・ウォーカー
(H.Walker)は、ニッコールレンズだけではなく、カメラ本体も
Nikon Sを使い朝鮮に向かった。
厳寒の朝鮮半島北部で、ドイツ製カメラは次々とトラブルを起
こしたが、ウォーカーの持つ厳寒地仕様のNikon Sは何事もなく
働き続け、戦場の姿を記録し続けた。
370 :伝説:2006/09/02(土) 20:27:36 0
北部戦線の冬はマイナス30度まで下がり、他の戦場カメラマンたち
のライカやコンタックスはシャッターが凍りついたが、マイダンス
のニコンSは何事もなく動き続けた。
ダンカンとマイダンスは貴重なスクープや記録写真をものにしてニ
ューヨークに凱旋、二人でこの年のUSカメラ賞を受賞した。
LIFE編集部は、すぐさま使用する全カメラをニコンに切り替えた。
ニューヨークタイムズが「東洋の神秘」としてニコンの信頼性と
ニッコールの描写性能を書きたてた。噂はあっという間に広がり、
アメリカ東部の出版社はこぞって日本光学へ大量発注をかけた。
伝説の始まりである。