369 :厳寒地仕様のNikon S:2006/09/02(土) 20:22:07 0
  ニコンの名前が世界に知れ渡ったのは1950年の事だ。
  当時、カメラとレンズはドイツ製が最高であると信じられ、
  報道カメラマンはライカやコンタックスを使っていた。
   日本製のカメラやレンズなどプロフェッショナルは誰も使わない。
  しかしLIFEのカメラマン、ダグラス・D・ダンカン(D.D.Duncan)は、
  同僚の日本人カメラマン三木淳を通じて、ニッコールレンズ
  (日本光学の写真用レンズのブランド)を知り、その描写力に驚いた。
  そして彼は自分のライカIIIcに、ニッコールレンズを付けて朝鮮戦争
  を取材した。
   ダンカンの同僚カール・マイダンス(C. Mydans)も、ニッコールレ
  ンズを改造し、コンタックスの取り付けて朝鮮半島に渡った(のちに
  カメラもNikonを使う)。彼らが取材した朝鮮戦争の写真は、1950年
  USカメラ賞を獲得した。その後、LIFEのハンク・ウォーカー
  (H.Walker)は、ニッコールレンズだけではなく、カメラ本体も
  Nikon Sを使い朝鮮に向かった。
   厳寒の朝鮮半島北部で、ドイツ製カメラは次々とトラブルを起
  こしたが、ウォーカーの持つ厳寒地仕様のNikon Sは何事もなく
  働き続け、戦場の姿を記録し続けた。

370 :伝説:2006/09/02(土) 20:27:36 0
  北部戦線の冬はマイナス30度まで下がり、他の戦場カメラマンたち
  のライカやコンタックスはシャッターが凍りついたが、マイダンス
  のニコンSは何事もなく動き続けた。
  ダンカンとマイダンスは貴重なスクープや記録写真をものにしてニ
  ューヨークに凱旋、二人でこの年のUSカメラ賞を受賞した。
  LIFE編集部は、すぐさま使用する全カメラをニコンに切り替えた。
  ニューヨークタイムズが「東洋の神秘」としてニコンの信頼性と
  ニッコールの描写性能を書きたてた。噂はあっという間に広がり、
  アメリカ東部の出版社はこぞって日本光学へ大量発注をかけた。
  伝説の始まりである。