>>81
それは違うよ。ジーコが闘莉王を呼ばなかったのは、2004年のアテネオリンピックにさかのぼる…。

あの頃ジーコ率いる日本は、強いんだか弱いんだかよく分からないチームだった。
2004年アジアカップも、優勝はしたがヨルダンやバーレーンにも大苦戦。
結果良ければすべて良し!、のマスメディアの風潮にも流されていた時期だった。
年末のドイツとの初親善試合なんかは、0−3の完敗でどうしようもない体たらく。
ただ、チーム間のまとまりはすごく大事にするジーコというのは、よく分かった。
『和』を大事にする指揮官であるということもね。

闘莉王がやらかしてしまったのは、浦和移籍なんてもんじゃない。
アテネオリンピック初戦で、開始早々にディフェンス仲間の那須(当時、横浜FM)がやらかしてしまい、
あっけなく失点…。その時に、闘莉王は那須を励ますわけでもなくフォローするでもなく、感情にまかせて怒りまくってしまった。
叱咤激励のつもり、ハッパをかけるつもりだったのかもしれないが、それが映像を通してジーコにはセルフィッシュ(自己中心的)に映ったんだよ。
結局、パラグアイとの初戦では追い上げむなしく3−4で落としてしまった。
ジーコがこの試合後、すごく闘莉王に怒った論評をかましていた。
きっと、チームなんだろ?、仲間なんだろ?、まだ始まったばかりだろ?、どうしてお前は那須を励まさない、フォローしないんだって。

こういうところは頑固というか、すごく根に持つ感じのジーコだったから、闘莉王が2004年や2005年のリーグ戦で、浦和でMVP級の働きをしても決して代表には呼ばなかった。
まぁ、それがドイツ大会でのディフェンス崩壊の、ちょっとしたケチがついた形になってしまったんだけれどね。
何で闘莉王を呼ばないんだよ。同じブラジルつながりじゃないか、と。
(実際、浦和と当時好敵手だったジェフ市原・千葉に所属していた、ブルガリア代表のストヤノフは、『闘莉王を日本代表に呼ばないなんて、あり得ない!』ってコメントしていたくらいだ。)