日本代表への「手のひら返し」に映る真の衆愚
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180712-00229004-toyo-soci&;p=1

 なかでも強烈なバッシングを受けたのは、長友佑都選手(トルコ・ガラタサライ所属)と、本田圭佑選手(メキシコ・パチューカ所属)。
「負け犬の遠吠え」「口だけの人間」「人としてどうかしている」「老害」「ゴミ以下」「ボッコボコにしてやろうか」 まさに人格侵害や名誉毀損にも該当しそうな言葉が、個人に浴びせられ続けていたのです。

6月19日のコロンビア戦に勝利すると、世間の空気がガラッと変わり、25日のセネガル戦で本田選手がゴールを決めると、多くの人々がもろ手を挙げて称賛。
「バッシングなんてなかった」ような手のひら返しで、個人のツイートも各メディアも、大フィーバー状態になりました。
彼らのすがすがしい表情を見た個人とメディアは、さらに「ごめん」「ありがとう」という手のひら返しの言葉を連発。

問題は、なぜここまで批判が大きくなり、無責任な手のひら返しをしてしまったのか?
ここに「結果オーライ」で終わらせてはいけない由々しき現象が見られるのです。
その顛末をあらためて振り返ってみると……まずは一般の人々が、ネット上で批判を展開。
ネット、テレビ、新聞など、すべてのメディアが、そんな批判の声をビジネスに利用するべく、トピックスにして次々に記事化。
横並びのように一斉報道したことで、批判が世論のようになってしまいました。
一般の人々も加害者の1人になってしまったことは疑いようのない事実。
「自分は発言の責任を取らなくて済む」「自分もそう思うから批判してもOK」「流れに便乗してストレス発散しよう」。
このような意識こそ、目先の数字が欲しいメディアに付け込まれ、利用され、実際の感情を上回る批判的な世論がはびこってしまう根源だったのです。

「パワハラの話題になると強烈に批判する」という人が多数派を占める世の中になりました。
しかし、一方ではアスリートや芸能人に対して、パワハラに似た批判をしてしまう人が少なくありません。
特に今回の日本代表に対する批判は、一般の人々とメディアが手を組んだ“集団パワハラ”の図式に近いものがありました。
「『スポーツだから』『サッカーはそういうもの』『海外よりはマシ』という主観で片付けていいのか?」
「普段のパワハラ批判と矛盾はないのか?」、やはり自問が必要でしょうし、少なくとも批判の流れに加わらないのが得策。
どんな大義名分があったとしても、批判に加担してしまったら、「自分は絶対にやらない」と思っていてもパワハラをしてしまう人のメンタリティと変わらないのです。

(笑)