>>2より
田嶋サッカー協会会長の恐怖政治
http://biz-journal.jp/2018/04/post_23144.html
>「以前、田嶋氏を含めた協会の体制批判を記事にした記者がいました。
>その内容が田嶋氏の逆鱗に触れ、その記者は結果的に閉め出されました。
>もともと、日本サッカー協会自体が、批判に対して強いアレルギー反応を起こす組織でしたが、田嶋氏の会長就任以降はその流れに拍車がかかりました。
>いわば“恐怖政治”といえる体制で、協会の人間も『不満があっても、田嶋氏は執念深い人なので、口に出せない』と怖れていました」

サッカーの活動における暴力根絶に向けて リスペクト・フェアプレー溢れる試合のために 〜暴力・暴言根絶:ゼロ・トレランスで臨む〜
http://www.jfa.jp/news/00023755/

>【報道の自由を】「リスペクト(大切に思うこと)」は、日本サッカーのバリュー(価値)
>サッカーを取り巻く人や物、環境、思想、価値観など、関わりのある全てを大切に思うことから、感動や希望、スポーツを通じた交流が生まれる
>リスペクトは、スポーツの尊厳を守る意味でも決して失ってはいけないもので、全ての根幹をなす
>【電通パワハラ】暴力等の事案がなくなっていないことは、非常に残念である。
>不退転の決意で撲滅に取り組まなければならない。
>これらを積極的に解決していかなければならない。
>【電通パワハラ】暴言であろうと、“攻撃”であることに変わりはない。
>「死ね」「ばか」「下手くそ」のようなものから、人格を否定する陰湿な言葉も放たれている。

>【サッカージャーナリストと田嶋JFAや】「指導者と選手の間に信頼関係があるから大丈夫」というのは違う。
>多感な時期に、理不尽な暴力や暴言で指導された子どもたちは、それらがあたかも正当であるといった価値観を持つ危険性もある。
>怖いことだ。
>報復や周囲の目を気にしてか、匿名の通報が多いということも気になる。
>怖がることなく名前を出し、実態を明らかにし、膿を出し尽くして、根本から解決できるような環境づくりも必要だ。
>暴力や暴言の発生要因は、指導者の個人的資質に大きく関係するのではないだろうか
>【田嶋会長は】「認知・感受性・判断能力が低い」
>【田嶋会長は】「受容力が低い」
>【田嶋会長は】「論理的思考能力が低い」
>【田嶋会長は】「コミュニケーション能力不足」
>【田嶋会長は】「分別がつけられない」
>【田嶋会長は】「多様性への対応能力の不備」
>【田嶋会長は】「旧態依然の思考(暴力是認)」といった人間力の低さに加え、
>【田嶋会長は】「怒りを理性で制御できない」ことで暴力や暴言に走ってしまう
>そのほか、「【電通利権】勝利へのプレッシャー(勝利、名声のみの追求)」に負け、
>「短絡的思考(目先のみを見て、選手育成という本来の目的を見失う)」などが考えられる
>【田嶋館長】指導者には、リスペクト・フェアプレーを正しく理解し、それを現場で具現化することに加え、“指導者たる人間性”を確保することが求められる
>そのためには、自己研さんのみならず、さまざまな研修プログラムの提供も必要だ。
>【報道の自由】指導者を取り巻く組織の脆弱さも気になる
>スポーツ団体、クラブ、各都道府県サッカー協会(FA)における縦社会の論理
>ガバナンスやコンプライアンスの低さに起因する「問題の見て見ぬふり」、あるいは「かばい合い」
>また、クラブ経営、学校の名声のための勝利至上主義で、指導者へ「何が何でも勝利」とプレッシャーをかける

>集団で規律のある行動をとることは、日本人のすばらしさではあるが、逆に自主性のない判断と行動が悪さをすることもある
>【田嶋会長】指導者への妄信、また手なずけによる旧態依然の思考の是認、あるいは勝利へのプレッシャーから暴力の受け入れなどの問題の解決も考えていかなければならない。
>【電通パワハラ】暴力や暴言が減らないのであれば、ゼロ・トレランス(絶対に許さない)のために、厳罰の導入というのも一つの手段
>一方、スポーツに関わる全ての人たちを大切に思い、リスペクト推進による環境整備で、誰もが「正しく行動(フェアプレー)」し、すばらしいスポーツ環境や文化が醸成されることに進みたい
>簡単ではないが、一歩一歩でも多くの皆さんと協働し、それが成し遂げられるようにしたい

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>「JFA田嶋幸三会長の辞任を要求する」!