さて高橋ナツコの「言い方!」騒動やけもフレ騒動を眺めてみて、
脚色屋が異常な権力を持っていることに気づく。
・著作権を盾に一字一句改変を許されず、脚色屋が拒否したらプロジェクト全体が頓挫する
・一緒のチームで仕事してるのに、脚色屋だけ別に印税が入る
これは本来は脚本家にだけ許されるべき事であり、
脚色屋が脚本家だと詐称して色々保護されているのはおかしい。
法改正して、脚色屋の印税は全部没収して原作者に回すべきだ。

この特権(じみたもの)が必要かは、結局の所、「神の視点」なのか、「人間の視点」なのかによる。
・神の視点…登場人物全員の秘密も未来も全て知っている
 ある意味、神が事後に顛末をおもしろおかしく報告しているだけ
・人間の視点…現在、過去は知ってるが、登場人物の秘密は知らないし、未来も見えてない
 基本的には物語主人公の現在目線

分かりやすい例が進撃#5で、
エレンが喰われた後にライナーとベルトルトとアニが集まって「どうする?」と相談をしてるシーンだ。
後でそういう事だったか!と判明する訳だが、これを人間の目線で採用するのは不可能だ。
巧い作者ほど自然と溶け込ませ、伏線と分からないようにしてる。
上手い脚色屋ほど、どうでもいいシーンは適切にカットして見せ場に注力する。
だから巧い作者+上手い脚色屋のタッグなら確実に落とされるシーンで、
「これはそういう意味だから絶対に落とさないでくれ」と指示を出せるのは神の視点の原作者だけだ。
だから未完成のオリジナルでは、
原作者にシーンの取捨選択において絶対的な力を行使させることは、合理的だ。
(勘違い脚色屋がここで出しゃばるのが間違い。
どんなに腕が良くても人間の視点ではどうにもならない事をわきまえるべき)