>>643
 人に依つて「はねる」と平假名表記にて常用する人もゐれば、「撥ねる」と漢字表記する人もゐる筈である。
さうすれば人に依つて常用の價値は區々となる。
 では常用とは唯内閣訓令告示を前提とした者なの歟。
さうであるのだとすれば、「撥ねる」は疎か「演繹」すらも表記出來ぬと云ふ縡になる。
亦逆に「撥ねる」は許容出來るが「發」は正字なので許容出來ぬと云ふのも意味が不明である。
「繹」は許容出來るが「驛」「譯」等々は駄目と云ふのも意味が判らぬ。
 何うして斯くも「常用」を金科玉條の如く祀り上げてゐるの歟意味が解らぬ。