大量に持っているからメンテナンスしなくなるとは本人の価値観の問題であって
経済的な余力とメンテしなくなるとは関係ない話だ

「育てる」、「エイジングさせる」、「手入れする」
表現が異なろうとも結局は物を大事に扱いメンテナンスをするという趣旨には変わらない
各々、どんな言葉を使おうが大事にする手入れするという意味の表現技法でしかなく
はっきり言ってそこを批判するのはあまりに狭量だ

経済的にゆとりがあるから使い捨てやメンテナンスをしなくなるというのも違うと思う
例えば英国の皇室チャールズに関しては何十年も履いたいるであろうJohn Lobbを
ひび割れてもパッチを当てて修理し、つぎはぎだらけのBarbourを着続ける
手入れしながら着る そこには愛着の方が大事であり彼らにとってはそれが粋なんだと思う
経済的に余裕があっても無闇に使い捨てしない 
良いものを大事にする精神が伝統的に存在するのだろう
結果的に清貧のようなライフスタイルが今の時代、逆に美しく見える

女性が雑貨屋やペットショップで「この子とか連れて帰りたい」というのも
擬人化の比喩技法を無意識に使って愛情や愛着を表現する方法の一種でしかない

日本人が物を大切にする背景は一神教に比べて「森羅万象すべての物に魂が宿る」という考え方があり、
擬人化に違和感を持たない環境や風土があるからだろう

愛でる表現で育てるという人がいて、それをただ気持ちが悪いというのは簡単だけれども
物事の考察的に日本語の多様な表現手法や擬人化する伝統の背景や配慮が足らないからだと思う