邪馬台国は流石に畿内説
パセリ農家の精神力は異常。捨てられるために育ててどんな気持ちなの 邪馬台国の記録は中国の歴史書にしか存在しない
それに関する国々の比定地はほぼ北九州で
距離の記載のない投馬国・邪馬台国を
皆好き勝手な場所に比定してるのが邪馬台国論争
外国の歴史書(爆笑)と言っておきながら
邪馬台国(海外に認められた日本の国家)はここですと
都合よく持ち出してるだけの笑えないコメディが邪馬台国論争
主に海産物で生活していると記載されている国の場所を
その規模から大規模な稲作の痕跡のあるところと決めてかかってるのが考古学(笑)
結局ヤマト王権の成立を解き明かしたい連中に利用されているだけなのが邪馬台国と卑弥呼
多くの場合これらは結び付けられてそこがヤマトの始まりにされる 『もういちど読みとおす山川新日本史』 山川出版社 2022年
古墳が成立する時期を3世紀とする研究が進む中で、
「ヤマト」を中心とするヤマト政権に邪馬台国連合が直接つながる可能性が高くなった。
邪馬台国の中心部とされる候補地の一つに、纏向遺跡がある。
この遺跡は奈良盆地の東南、三輪山のふもとに位置し、大量の土器が出土し、大型建物跡も発見されている。
巨大な運河などの土木工事がおこなわれた大規模な集落であり、政治の中心的地域だったと考えられる
『高等学校 日本史探究』 清水書院 2023年
史料2に倭の女王(卑弥呼)が魏から銅鏡100枚を授けられたことがみえる。
また、史料1に、247年ころに卑弥呼が死去し、直径100歩あまりの塚をつくったことがみえる。
その有力候補に、奈良県桜井市の三輪山のふもとに立地する箸墓古墳がある 長浜浩明の本を読むと関西系のアホ考古学だけで考えちゃ駄目だってことがよくわかる。
いろいろな学問から光をあてないといかんのよ。
学者はポジショントークで畿内説なので、嘘ばかり。
実際のところ、九州説でしょ。 韓国が方四千里(周囲は一萬六千里)で女王国の周囲が五千里ばかりなのだから女王国は韓国の1/3ほどの大きさ。九州がちょうどあてはまるから魏志倭人伝の女王国は九州で間違いない。また卑弥呼の都は会稽東治(蘇州の東)の東だから南九州。