「貫通」という言葉で思い出したことがある。
最近、井上荒野『切羽へ』(平成20年直木賞受賞作)を再読した。
この小説は、「男女が何も進展しない中で恋愛の本質を突き詰める小説」という触れ込みで、ほとんど性愛表現がないという珍しい恋愛小説なのだが、なぜ再読する気になったかというと、性愛なしの恋愛は可能なのか?をもう一度、マジメに考えてみたくなったからだ。

物語は、九州のさびれてしまった離島で暮らす既婚女性のお話で、主人公の既女は夫を愛してるのだが、東京から赴任してきた独身男性に惹かれていく。
普段は土地の訛り言葉を話すのだが、独男と話すときは緊張して標準語になってしまうし、独男の行動がいつも気になる。
だが、焦れったいくらい2人は進展させないw ハグ・キスはおろか手を握ることさえしないw
過疎の村では人間関係が濃密だから、絶えず人の目があり、なかなか進展は難しいという事情もあるのだろう…。

前に読んだ時は、純文学性が高く難解だなぁという感じだけだった。
主人公の既女と独男には本当に何も起こらない。これで恋愛なの?焦がれる想いなんて何も書かれてないじゃん!っていうのが初読で感じたこと。
再読しても「何も起こらない中での恋愛」はよくわからなかった。性愛なしの恋愛も答えは出ていない。再読後もモヤモヤしたままw
だが、これは恋愛小説というより実は社会派小説なのではと読みながら気づいた。
実際、過疎化や孤独死の問題を考えさせられるし、夫婦愛や家族愛を感じることもできた。そしてなにより、前回よりも物語を楽しむことができた。
夫以外の男性に心惹かれたことにより、よりいっそう夫や今の生活を愛おしく思うことができた!、よかった!、ハッピーエンド!などという、そんな単純な話ではないだろう。いや、そういう一面は確かにあるだろうし、平穏な人生とはそういうものなのかもと思う。

読者によって自由に解釈できるのが小説や映画の面白いところだと思う。
興味がある人、読んでみて!読んだら感想聞かせてください。