公式と悠久の少年少女で、夏咲エンドが本ルート扱いになってるみたいだけど、
これってケンは結局、国の変革に乗り出さず、厳しい束縛と法律がある中でも
幸せに暮らしていくことはできる、っていう生き方になるのかな?

でも、悠久の法月シナリオって明確にケンとの違いを対比させる描写になるから、
(法月がアリィと同じ方式にしてわざと同じ轍を踏んでいる、という形になるのだろうけど)
とっつぁんができなかったことをケンが成し遂げた、となるのであれば、
=傷ついた最愛の人を助けるため国家に屈服することなく、国家の犬にならず意志を貫き通す
となると、璃々子がみぃなのポジションにいる形になる。

しかし、三郎のように急激に国家を変える、国家転覆を狙う、というのは事実上不可能だ、
(なぜなら国=人はもっとゆっくりな時間をすごしているから)という
結論を璃々子エンドでとってて、失敗した三郎とは別の方法を取ろうという流れになってる。

となるわけで、璃々子エンドと夏咲エンドの折衷案みたいなのが
トゥルーっぽい気もするんだけどね。

おまえらはどう思う?