謎を解いていき、プレイヤーの影響などなかったということに気づいて初めて
あの終わりの真相と『未完などではなかった』『セルフ編なんてなかった』
ということにたどり着く物語

『そうではなかった』ということを知るためにも、あんな終わり方をしてるわけです。


でも謎の難易度が高すぎて、誰もそこにたどり着けない。

だから未完だったと言われたら、多くの人はすんなりそれを信じてしまうし、
いまだにセルフ編や最終章や完結編を望んでしまう人が出る。


謎と真相の構造上、そりゃそう思われてしまうよねという業の深い作品で、
中澤さんもそれをわかった上で>>125のようなコメントや、ご自身のサイト
http://blog.livedoor.jp/ta5d/archives/52328499.html
で、コメントを残したんだと思います。