http://news.denfaminicogamer.jp/interview/181108/5

私は富野さんと面識はないし、影響はそんなに受けていないんです。
同業の大先輩に対して語ることは失礼になるかもしれないけれど、あくまで傍からの感想ということであれば話します。

『Vガンダム』になると、そのときはもうサンライズで演出をやっていたので、当然観るわけじゃないですか。
そこで、主人公のウッソが母親の吹き飛んだ生首の入ったヘルメットを持っているカットがあって、気持ち悪くて吐きそうになりましたもん。
よくこんな不気味なものを作れるなって。
実の母親の生首が入ったヘルメットを手にして、人間はあのように動けるのか? そこの思考回路がよくわからない。
まずショックのほうが大きいですよね。で、受けたショックは咀嚼するまでに時間がかかると思うんですよ。
しかも、なんで持たせるのか。もしくは、彼がショックのあまり麻痺していたのなら麻痺していたのだとわからせてほしい。

私、あの当時の富野さんの作る絵作りが、逐一、理解できなかったんですよ。「なんでこんなことする必要あるの?」という。
表現の一つとしてそれを否定するつもりはないんだけど、自分は感情的に乗っかれない。良いも悪いもない。
それは、私自身が培ってきた生理感覚や倫理観なりに、そういったものが抵触するからだと思うんですけど。

これは技術論の話ではないし、そもそも私のレベルが低すぎるというのがあるから理解できていないということもあるので誤解なきようにお願いしますね。

私が富野さんと面識があれば質問とかもできたのかもしれない。でも、そういう立場ではなかったので。
ああ、同じパーティー会場にいたとか、そういうのはいっぱいありますよ。挨拶や話をさせていただいたことは一度もないということです。

たとえば、『デビルマン』の場合は生首を持っていたのは、主人公じゃなくて別の人間たち。
主人公は結局、その人間たちの行為に対して怒って、最後に抱くわけですけど、それは人間の尊厳の行為としてはわかるんですよね。
死んでしまったということを最初に見ているわけだから。永井豪さんの表現は人間の尊厳としては理解できる。

富野さんは、時々そこをポーンってすっ飛ばしてきちゃうときがあるんです。
富野さんの中ではつながっているんだろうと思いますが、方法論として
「AからBに来たら、次はC、せめてDだよね」というところを「いやいや、Gです」とか飛んでいっちゃうときがあって。
で、それは富野さんのレベルだから理解できるつながりなんだと思うわけです。
でも、不勉強な私にとっては、『OVERMANキングゲイナー』も『Gのレコンギスタ』もわからないところがあっちこっちに……。
人を殺したのに、ニコニコして帰ってきたりとか。