首相経験者の暗殺だと226事件の斉藤實元首相まで遡るなあ

【226事件】
日本の歴史上、最後の大規模クーデターであり、
現状に不満を持っていた陸軍の青年将校らが、内閣閣僚を次々と襲撃して暗殺、
永田町などを占拠し、昭和天皇への親政直訴を行った事件である。
この事件により、元内閣総理大臣の高橋是清(当時は大蔵大臣)、斉藤實(当時は内大臣)、
渡辺錠太郎教育総監、松尾伝蔵秘書官事務が暗殺され、
後に内閣総理大臣になる鈴木貫太郎(当時は侍従長)も重傷を負った。
一方で、最大の標的とされた当時の内閣総理大臣、岡田啓介は、
義弟である松尾伝蔵が岡田と誤認されて殺害されている間に難を逃れている。

青年将校達は昭和天皇に親政を呼びかけたが、
反乱の第一報を聞いた昭和天皇は非常に激怒し、何度も早急な鎮圧を命令。
青年将校達に同情的な者が多数存在し、対話での説得どころか、
「彼らの意見も聞いてはどうか」という声まで存在していた陸軍に対しても
「陸軍が動かないなら私が直接討伐軍を指揮する」とまで告げたという。
こうして、天皇陛下に訴えれば革命は成功すると信じていた青年将校達は、
そもそもから昭和天皇の心を読み違えていた事で反乱軍に堕ち、
一部は自決、主だった首謀者は逮捕された上で死刑に処された。
なお、「せめて自決の勅命を天皇陛下から頂けないか」という青年将校の提案には
昭和天皇は「死ぬなら勝手に死ね」と吐き捨てたという。

一昔前は、当時の陸軍内部の「統制派」と「皇道派」の思想対立が原因、と言われていたが、
ぶっちゃけ青年将校達にはそんな高尚な思想すらなく、
功名心などの軽い気持ちで決起を起こしたという説も最近出てきている。