kotoba2021年秋号 No.45
人類は「ニュータイプ」になれるのか 富野由悠季インタビュー71ページより

「機動戦士Zガンダム」の主人公であるカミーユ・ビダンを富野監督は「最高のNT能力者」と評されています。
ガンダムシリーズの中でもとりわけ強く屈折した少年がなぜ、「最高の能力者」なのでしょうか?

富野 
もちろんカミーユも全能型とはほど遠い人間です。ですがほんの短い期間ではありましたが、カミーユに全能者を目指させようと思ったことがありました。
だけど、現代の我々と大きく変わってないいない近未来の人間に、全能を目指すだけのキャパシティーはありません。結果としてカミーユの精神は崩壊しました。
カミーユ自身の意思で全能者を目指したわけでありません。少なくともそのような描写は劇中ではしていないはずです。
ただ明らかに戦闘者としての能力が傑出していたために本人の人間的な限界を超えたものを負わされ続けて人間としての成長過程も、
意思を強靭にするための時間的猶予も与えられず全能者への道以外の選択肢が閉ざされていきます。
同じニュータイプでもアムロ・レイについて考えたこととカミーユ・ビダンについて考えたことは、まったく別なのです。
アムロは戦闘者として成長しすぎてしまったことのよしあしはともかく、人間的にも成長する機会がありましたが、カミーユにはそれさえ許されていなかった。(全能者になる道しかなかった)

富野
では、何が足りないのか。それは我々愚民どもが毎日飽きずにやっていることを続ける力です。
自然の不条理の下で田畑を耕し、獲れもしない魚を追いかけなんとか食い繋ぐための忍耐を毎日続ける、その実行力です。
死ぬまで同じことを繰り返えしていられるのは、ほかに何もできない愚民だからです。
~以下略~
愚民の力は全能者をへと向かう道程でこぼれ落ちてしまう。
全能者を目指すためには全能であること捨てなければならないという矛盾があり、カミーユはそれに直面してしまった。これが僕がカミーユが最高のニュータイプと説明した理由です。そしてそれは誰よりもニュータイプになりたい僕自身の敗北でもありました。その敗北は今でも認めたくない。でも認めざるを得ないのです
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