【女に】 ミソジニー女装 HOSSY様 【憧れて】
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>>1
なんでこんなクソスレ立てちゃったの?
過疎るわよ? 入院したけど、なんの病気なのかしらね
この人、素顔は超絶ブサイクよ。
高卒だし頭も悪い。
コンプレックスすごいんだと思う。 >>4
化粧しててもなんとなくすっぴんは分かるわ・・・。 コスチューム作れるのは立派だと思うわよ、ただひたすらクドいのよw
ついでに口パクの練習もやればいいのにって感じね。 ツイッター見て嫌いになった。
僻み妬み嫉みが半端ない。 510 名前:ひろゆき@てすとくん ★[] 投稿日:2014/04/15(火) 01:40:46.04 ID:???
>>500
例えば、ファイナルファンタジーをスクエニの社員が作ったって証明書とか無いですよね。
裁判になって、こうやって作りましたとかで証明しますけど、
「あなたがファイナルファンタジーを作りました」なんて紙は無いわけです。
んで、任天堂がファイナルファンタジーはうちの会社に譲渡されたんだ!って言ってたら、
スクエニが、証明書を出すんじゃなくて、「任天堂にその契約書出してよ」
って裁判所が言って、終わりですよね。 >>4
女装じゃなかったら誰も寄り付かない程度のブスよね
顔よりも中身の方がもっとブスだけど 女装ってなかなか引退しないからなかなか下が育たないわよね。
イベントは限られてるから必要な人数は変わらないし。
だからある程度の歳になったら空気を読んで引退してほしいわ。 目立つだけでダサい洋服を作ってる。それだけのドブス。
なのに、ファッションに一家言あるような勘違いは死ぬほどダサいわ。
デザイナー、スタイリスト、エディター、プレスみたいな、ファッションを語れる釜なんて腐るほどいるのに…。
あと、やっぱり学歴ないとカッコ悪い。男の低学歴って育ちが悪いこととニアリーイコールだから。 50過ぎのホッシーとマーガレットは老害でしかない。 50過ぎのおっさんが「きゃわわ」って頭悪すぎだろ。 1 (‘▽‘)ノ ◆Xcyqi7cPhU 2018/04/28(土) 08:36:48.89 ID:R7CnoqS80
毎日かならず誰かの誕生日です。
ここへ書き込むことで申請した人を
アンカーでHappyBirthdayを送り祝福します。
ちなみに、今日4/28は(‘▽‘)ノ の51回目の誕生日です! hossy
2ちゃんとかで自分の事書かれてる時に、当然負の書き込みだらけで最初の内は面白がってるけど
負のパワーって馬鹿に出来なくて瘴気にあたるので見ないようにしました。
鮫島
俺も根も葉もないこと書かれて最初はウケてたんですけど、だんだん瘴気にやられてから見なくなりましたw
hossy
書く人のエネルギーには敬服する。行動は軽蔑するけど。
鮫島
巡りめぐって少なからず影響出るもんだから、書いた時点で勝ち逃げ同然なのが腹立ちます。
hossy
荒唐無稽すぎてびっくりしたのは、一時期ちょっとの間、前歯が欠けちゃった事があって、
そしたら“中卒で自動車工場で働いててそこでトルエン吸いすぎて歯が溶けた”って事になってました。
鮫島
俺は性病だの金盗むだのよりも「ブスのくせにブスに厳しい」ってかかれてたのが一番響きましたw
hossy
あー。厳しいのは本当ですね。でも大概、イケメンも美人もブスもブスには厳しいわよねー。
hossy
でも今日たまたま知ってしまった、書いた事も言った事もないむしろ好きな人の悪口言ってた人。
て事になってるってのはちょっとなー。やだなー。
鮫島
hossyさんお優しい。。ブスが一番ブスに厳しいのは身をもって知ってますが、
2ちゃんに悪口かく人よりかは幾分かマシだと存じます。
ナヲト
矢◯真里さんも昔 同じこと言うてた
マサト@街角ピエロ
ダメよ!あの胆力ありそうな剛力彩芽さんですら2ちゃん見てご飯たべれなくなるっていうんだから!
hossy
ほんとよね。匿名のくせにパワーはあるのがクヤシイのよね。
鮫島
匿名だからこそ出せるパワーなのかもしれませんね。
誰か分かったら鼻で笑えるのに。
hossy
それ!!
えいじ(水曜日)
そう言うしょうもない人を相手にしてるだけ時間の無駄ですよね
面と向かって言えもしない
その時点で罵ってる相手より格下と自己紹介してるようにしか見えなくて
お疲れ様〜って感じ
hossy
そのくせ変にパワーはあるから厄介なのよねー。
えいじ(水曜日)
人生の半生虐められてきたら
気にならないですよ 面と向かっていちいち言うほど価値もないし、
別に書き込むことにエネルギーも使わないわよ。
だって思ってること率直に記すだけだもの。
誰から見たって、激ブスで知性も教養もなく、趣味の悪い服作ってるだけの人じゃない。
あと、
当人の存在ではなく、当人が目立ってしまう、ゲイコミュニティの空気というか、構造が嫌なだけよ。
頭が悪くてセンスが無くてお金も無さそうな人ほど支持してそうじゃない?
バカが循環してるっつーか。悪趣味の需給均衡っつーか。
そういうのが不愉快なんだわさ。 hossy無断欠席なのに、誰も打ち上げ中に電話もしてくれなかったって事?
どんだけ嫌わ‥ry
hossy
打ち上げ渋谷とか。渋谷こわい。渋谷迷子になる。
乗り換え間違えたし。
ライン連絡で打ち上げ28日(日)ってなってて、気付かず今日来たら店員さんに昨日ですよって言われたの巻!
今日は29日の日曜! 曜日だけみてて連絡が間違えてるのに気付かなかったよ。
可哀想なワタシ。渋谷まで来ちゃったよ!スゴい人ごみだよ!
めっちゃ恥ずかしかった。
て、ことはワタシ昨日連絡もなしでブッチしたって事になってるって事?!大変! >>18
まあわざとだしね
他の人たちは別のライングループで正しい日付のやり取りしてたし すごくおもしろいPCさえあれば幸せ小金持ちになれるノウハウ
一応書いておきます
グーグルで検索するといいかも『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
X5VUM むかーし、青山のドレスキャンプで店員してたわよね、ギャルソン本店の近所のすぐ潰れた店 店員wwww
ダッサw
ツイッター、女装業のことだけ呟いてりゃいいのに、私的なことも書いてるのが駄目よね。
素顔じゃ匿名性の高いSNSすら出来ないってのが、本当に哀れ。 ちょいちょい滲みでる学の無さ、学歴低いんだろうな、ってところがステキ。
今時、高卒で美容師なんて、なかなかいないからね。いいわアー!!(笑)
カタコンベって、高校世界史で習う基本中の基本用語よ。 Misiaのコンサートの賑やかしドアガールで女装四人が呼ばれて
コンサートの打ち上げの連絡もLINEグループで案内があったんだけど
ホッシーの入ってるグループLINEはわざと日付間違えて案内したの
本当の打ち上げは土曜に終わってんのに
間違って日曜日にノコノコと渋谷まで文句言いながら出てきて
打ち上げ会場のスタッフに「Misiaさんの打ち上げは昨日終わりました」って告げられるホッシー
嫌われ松子の哀愁が漂って
嫌いじゃないわ笑笑
(ただし好きとは言っていない) スレ立て10日でこの過疎りようw
誰も50の女装に興味ないのよ
女装業界がオワコンなのに
何でまたこんな嫌われ鼻つまみ高飛車婆の単独スレなんて立てたの?
スレ主バカでしょ? このスレに書いてあることは概ね同意だわ。
でもあれだけのモノを作る(手間の意味で)人だし、モノを作る人は何を言ってもいいと思ってるから、生暖かく見守ってるわ。
ダブスタどころかトリスタ、クワスタくらいの自分基準でかわいいじゃない。
ただ、若い子の流行りにいち早く文句いうのは、老害感を強めてるだけだからやめた方がいいんじゃないかなーと思うのよね。
SNSが向いてないのよ。
ツイッタじゃなく、インスタとかタンブラとか、発信メインのものに変えられたらいかがかしら。 打ち上げ、わざと違う日程で呼んだって、
あたしも聞いたわ。嫌われてるのねー。なのに、いそいそ出かける寂しいおばちゃんなのね 正直言って、これは周りが陰湿
ホッシーがうざくて嫌いなのはわかるが
仕事でやってんのにフェアじゃない
人を騙したりハブったりしてると
いずれ自分も同じ目に遭うわよ? >>27
あたしもそう思うわ
衣装やイベントのアレコレなんかはまあ面白いのにスイッチが入ると他人を卑下するツイートで埋まるのが面倒くさいわw
たまに5chネタみたいなの引っ張り出してツイートしてる時もあるしね。
そこ5chではないのよー?5chやってるのってマイナス要素なのよー?って誰か言ってあげればいいのに
混同してるあたりもSNSに向いてないんだけどね というか今の同性愛3板って実際めちゃくちゃ過疎ってるからネタも5ch内でしか広まらないしそれをツイッターに持ってくると大体あーここ見てんのねってなっちゃうからとっても危険よ?
東京レインボープライド関連スレがおハマスレしか無いのも驚いちゃったわw
数年前に見てた頃は数百スレ消費とかしてたのにね。まあ結局は内部の人たちが憂さ晴らしでやりあってただけなんでしょうけど。 ブルとツイッターでよく絡んでるけどこの2人って褒め合い依存よね?
曖昧なことしか言わないおばさんの絡みって見ててツラいわ〜 ブルとは仲良しごっこしてるだけよ。
内心絶対嫌ってると思う。 女装は好かれてるのと嫌われてるのと両極端だわ。
ホッシー、ブルはほんとに嫌われてると思う。 ドラァグってビッチで孤高で強いイメージだったんだけどブルやホッシー見てるとその辺のオヤジが化粧してるだけなのねって現実が見えてちょっと哀しくなんのよね
東京の他のドラァグにはあるものがこの2人にはないなあって思うこと多いんだよな ブルはいまはいいひとキャラで売ってるけど、バディ時代はマツコをイビリまくったあげくヤクで捕まってクビになったし。 >>41
性悪さがもう顔に出てんのに、よくいいひとキャラで売るわよね。 ブルは未熟なのよ
子供っぽいことばかり言ってるイメージ 早稲田とか嘘だから。
あれいい加減やめたほうがいいと思う。
学歴詐称になるよ。 >>49
名古屋大蹴って早稲田行って中退だっけ?笑
その割には文才ないわね爆笑 アタシはキチガイ顔文字51歳です。
特技は荒らし、なりすまし、機械的コピペ、罵詈雑言。
嫌われ、虐げられながら、51年生きてきました。
人の不幸は蜜の味。恵まれたgogoが憎くてたまらない。
10年も皆さんに愛され皆さんを守ってきたけど
もう疲れたわ。今日で引退します。
今までありがとう。これから中央線に飛び込みます。
死んだら化けてツマのスレを荒らします。 ブルこと岡田は岐阜高校→早稲田一文・中国文学科中退よ。名古屋大蹴ったのは多分本当。勉強はできるけど、センスはない人って感じかな。
岡田ってダサすぎない? と、当時の大学生ゲイにはよく言われてた。
その頃の大学生ゲイは、ミニシアターで映画観て、WAVEでCD買って、代官山や裏原で服買って…みたいなのが急増してたから。
クラブで岡田見かけると、場違いねー、ってよく噂したもんだわ。 >>52
ブルボンヌって
斎藤靖紀
が本名じゃないんだ?
早稲田除籍って事は
学費払えなくなったのね ブルって犯罪者なのに、なんでNHK出てんの?
なんか忖度(笑)でもあるんじゃないのお? >>52
大学生の頃の斉藤靖紀って
>その頃の大学生ゲイは、ミニシアターで映画観て、WAVEでCD買って、代官山や裏原で服買って…みたいなのが急増してたから。
このまんまだったじゃない
ヒステリックグラマーとか着てた気がするわ >>55
ヒステリックグラマー?せいぜいアニエスbでしょw >>56
え?アニエスベーの方が値段は高いし
そもそも方向性が全く違うわよ? アニエスb着るオカマはヤバい笑
今の気取ったブルなら着そうだけど。
ヒスグラは高校生が着るチープファッションよ。 アニエスbてダサイわよ?
ハイブランドでもない半端ブランドだし。 90年代にアニエスbブームってあって、似合わないのに限って着てたのよw >>60
あなたが心配しなくても大丈夫よ鏡ご覧なさい >>61
そんなあなたは似合いもしないヘルムートラングでも着てたのかしら >>62
>>63
つまらない返しは不要よ。
句読点もろくに使えないなんて三国人かしら。 >>55
ヒス着てたかもね。丸井で買って。丸井でしか買えないというか。
そういうのが死ぬほどダサい、とされてた時代よ。
映画や音楽の知識やセンスはゼロだったわ。
同年代ゲイと馴染めず、自らアッパーキャンプ立ち上げたんじゃないかな。
性格はめちゃくちゃ悪いわよ。
なんつーか、悪人って感じ。
モラルと良心がなく、ひたすら計算高い。 >>68
この辺のピューピルとか高山三姉妹とかロシア留学してたの誰だっけ
斉藤靖紀と仲良かったデライト組はみんな
>性格はめちゃくちゃ悪いわよ。
なんつーか、悪人って感じ。
モラルと良心がなく、ひたすら計算高い。
な感じだったわ >>54
逆にNHKをなんぼのもんだと思ってんの?
紅白すら犯罪者だらけだけど? ブルボンヌの狡猾な悪人っぷりと比較すれば、ホッシーなんて、ただの愚かな更年期ババアよ。
ブルって父親が前科者で、母親が水商売だと、のちになんかの記事で読んだけど、
血は争えないと合点がいったわ。
不思議なのは、早稲田に入れたこと。中退してるから結局高卒なんだけど。
ホッシーとか熊田プウ助が、ツイッターで必死に学あるアピールしてるのを、ブルはせせら笑ってそうだわ。 斎藤靖紀(岡田)のコラムの文体も、宝島に書いてたカーツ佐藤のマネでしょ。 ブルってほんと小汚いシワシワの爺さんね
https://i.imgur.com/bO3QW6o.jpg
https://i.imgur.com/1i5Qkoc.jpg
「クィア・ジャパン・リターンズ」vol.0(2005/ポット出版)
● 斎藤靖紀(さいとう・やすき)
1971年、岐阜県生まれ。蠍座。早稲田大学第一文学部除籍。ライター&エディター。
作品に「デジバディの仮面」「オタクモゲイ」「突撃!! ゲイハンター」など。
ドラァグクィーン、ブルボンヌとしてお笑い女装集団、UPPER CAMPを率いてクラブシーンを席巻。
90年、ゲイのパソコン通信、UC-GALOPを主宰。
94年、クラブを借り切ってのパーティ、CAMP ‘94を開始。
96年、二丁目初のオープンカフェを催し、クローゼットな街に風穴をあける。
現在、『バディ』誌の編集者としてゲイメディアの一線で活躍している。
斎藤靖紀(33)は90年代のパソコン通信時代に、現在のネット状況を先取りしたゲイのコミュニティ活動を展開した。
クラブシーンにお笑い系ドラァグクィーンの文化を確立した立役者でもある。
作家としても『バディ』を中心に漫画+コラム「デジバディの仮面」「オタクモゲイ」
といった作品で人気を博し、ゲイ的なキャムプのテイストと、
日本的なサブカルの感性をミックスした独自のパロディ表現を追求してきた。
また、ゲイエディターの立場からも、ゲイ雑誌で初の読者顔出し記事を
企画したり、「ヤリ部屋」などの言葉の流行を生み出し、つねに時代を牽引する役割を担ってきた。
その存在感は圧倒的で、ドラァグクィーンの追従者を生み出したばかりでなく、
今日では、彼のテイスト自体がゲイシーンのすみずみまで覆っている。
個人サイトの日記で、無意識に彼の「一人突っ込み文体」や、お笑いエロ日記を
模倣しているものは後を絶たない。また若い世代のゲイたちの映画や漫画の嗜好にまで
その影響力を及ぼしている。ゲイクリエーターとしてこれだけオリジナルを持った表現者は、
他にいないだろう。今回、その天才の原点を探るべくインタビューを実現した。
マッキー世代のフロントランナーとも言える斎藤靖紀のこれまで歩みを、じっくりとたどってみたい。 伏見 では、あなたの子どものころの話にしましょう。ブルちゃんはやっぱ育ちは悪いわけでしょう(笑)。
斎藤 なかなかいいエピソード満載ですよ。母のお腹にいるころに、彼女がイレブンガールズで、11PMでシャバダバ踊ってたんです(笑)。
伏見 実のお父さんははっきりわかってるんですか?
斎藤 うん、多分ヤツだと思うというのが1人いて(笑)。イレブンガールズを卒業した母親は結婚したわけです。
2人でスナックを始めました。でも、パパはロクデナシだったので、すぐにママだけが働く店になったんです。
ゲイ的なことにつながるエピソードとしては、幼稚園時代に、パパが持ってた無修正洋モノエロ本を見つけて、夜な夜なそれを見てましたね。
伏見 あんた…そのころから性欲というものが明らかにあったわけですね。
斎藤 そうですよね。意味はよくわからないんですよ。写真の中に「不思議な白濁液」があったけど、それはなんだろうとか。
チンコも自分についてるモノとは全然大きさも形も違う、洋物だからとくに(笑)。
それでも、エロいもの、秘められたものにすごい興味があったんですね。
伏見 子どものころから性欲過多という。
斎藤 そうですね。ニンフォマニアな感じで。
伏見 親には一応愛されてたの?
斎藤 うん……。パパは自分勝手な愛だったかもしれない。小学校の2年生ぐらいだったんですけど、パパに2回ぐらいフェラチオされたんですよ。
でも、当時「もっとしてほしい」と思ってたのはすごく覚えてます(笑)。やっぱり、男にやられてたっていうのが輪をかけてたかも。
お母さんにやられてたら、ちょっとイヤだったかもしれない(笑)。
伏見 お父さんがフェラチオしたっていうのは、ゲイだったということ?
斎藤 いえ、あのただ、自分は、すごく美少年だったので(笑)。かわいかったから勢いあまった感じじゃないでしょうか。
ただ、性のグラデーションだと、8対2でノンケのような感じかも。
伏見 ブルちゃんは今でも実はかわいいって自分のこと思ってるでしょう。
斎藤 当たり前じゃないですか!(笑)
伏見 幼少時代、女の子っぽいとかオカマっぽいって言われるゲイは多いと思うけど、ブルちゃんはどんな感じの子だったの?
斎藤 もちろんクラスじゅうに「オトコオンナ」って(笑)。
本名は「おかだ」というんですが、日直当番で黒板に名前を書かれると、「おかだ」の「だ」の部分を「ま」に書き換えられて、「違うもーん」って言いながら消したりしてました(笑)。
伏見 いつごろから女の子っぽかったんですか。
斎藤 小さいころって無防備に出ちゃいますよね。中学生ぐらいから隠し始めて、「俺」とかがんばって言ったりして。
いじめられてはいなくて、逆にかわいがられてた。ジャイアン系の男の子に、よくわからないけどちょっとかわいいところもあるヤツだな、と思わせておいたりして。
伏見 愛されていた子どもだったんだね。
斎藤 とりあえず母親にはよくしてもらいました。サバサバした母親だったんです。
パパにフェラチオされた時代、我が家は家賃や光熱費は滞納しまくりだったんです。岐阜だったんですが。
ふつう、電気やガスは止められても、水道はライフラインなので止められないらしいんですけど、うちは止められてたんですよ(笑)。
トイレの水も、バケツに入れて流してて。電気も止められてたから、薄明かりを頼りに戦時中のような暮らしをしてた。
水は本当にないと困るので、お隣りの洗濯コーナーに忍び込んでバケツで水を汲むのが自分の日課だったんです(笑)。
ある日、隣りのおばさんに見つかって「あんた、なにやってんの!!」と怒鳴られちゃったんですよ。
でも、おびえた眼差しの小2がバケツ持ってたら、だいたい状況を察したらしくて、「好きなだけ持っていきな」って言われた(笑)。そんな泣けるエピソードも。
伏見 ロクデナシのお父さんのご職業は。
斎藤 スナックの経営をしていたので、母親も一緒に働いてたんですが、父親は共同経営者のはずなんだけど遊んでばっかり。
外で使うから出ていくほうが多かったんですね。母親はスナックをやり続けてはいたんですが、でも、小2、小3のころは本当に貧乏でしたね。 伏見 それは今の性格に影響してますか?
斎藤 貧乏女装を始めたのも、影響してるかもしれませんね。それで、そのころにパパがシャブ中になっちゃうんですよ(笑)。
夜中に目をさますと、玄関に父親がずっといるんですよ。のぞき窓を見てて、「靖紀、人が立ってるんだよ」と言うからのぞいても、誰もいないんです。
最初、パパは霊能者なのかなと思ってたんですね(笑)。ある日、ハゲたおっさんと一緒に注射を打ち合ってる現場を目撃しちゃって。パパは「病気で栄養剤を打ってもらってるんだ」って言い訳したりして(笑)。
日曜日に父親に連れて行かれるところは、遊園地ではなくて競馬場。パパの友達は、背中に龍を飼ってたり小指がなかったりする人たちで(笑)。
子どもだから「おじちゃん、どうして指がないの?」って訊くと「坊主、犬に噛まれちまったんだよ」。あとで考えると自分のへまだろみたいな(笑)。
伏見 周りの同年代の友達とのギャップって、すごくあったんじゃないの。
斎藤 すごくズレたところに存在してたと思うんです。当時は自分の中のオトコオンナを隠すことよりも、貧乏やパパの犯罪を隠すとか、そっちのほうが大事だったんだと思いますね。
小4のとき、ある日家に帰ると、部屋の真ん中でママが肩を落として座ってるんです。「パパが…警察に連れてかれちゃったわ…」って(笑)。
伏見 なんだかだんだん会場の笑いに憐れみが(笑)。
斎藤 自分はそれを聞いてちょっと良かったって思った。だって困るじゃないですか、そんな人がずっと家にいると。
実際、暴れることもあって、ママはDVやられていたので、ちょっとかわいそうでしたよね。意外と自分はそれを助けるタイプじゃなかったのですが。
伏見 全然意外じゃないけど(笑)。
伏見 パパが捕まって、そのあとどうなったの?
斎藤 「岡田君のパパいないけどどうしたの?」って聞かれると、「パパは海外で仕事」とかウソついて。
ママもけっこう強い人なので、さっさと地元の会社の社長の愛人になった。ママは本当にカッコいい女で、すごくいろいろと教わりましたね。
社長とママと3人で食事に行くと、会うたびに千円をくれるのですごく好きだったんですね(笑)。
自分はそのオヤジとママのセックスを薄い壁ごしに聞いてドキドキすることもあって。そういうのって普通汚いと思うみたいなんですけど、自分はただのオカズでしかなくて興奮してました。
伏見 え、ママでもイケたの?
斎藤 いや、そのオヤジのほうに……。愛人囲ってヤるオヤジって、基本的にエロい感じがするじゃないですか。 伏見 そのころはゲイだっていう自覚はもうあったんですか。
斎藤 ゲイだという自覚はなかったんですけど、とにかく好きなものに興味があっただけみたい。
それって小学校5〜6年生のころ、すごく興奮したのは覚えてますよ。でもまだオナニーとかは知らなかった。
伏見 意外とからだのほうは遅かったんですね。
斎藤 もう頭ばっかり発達してて。オヤジは自分の中のセクシュアルファンタジーの一番最初にインパクトのある存在だったような気がします。
伏見 オヤジ専はそこから?
斎藤 あのー、専門ではないんですけどー(笑)。でもたまに場末のハッテン場でオヤジに犯されたりするのは、それかも。
週末に母親と2人で買い物に行ったとき、そのオヤジが同僚と一緒に歩いてて、いつものように「おじちゃーん」って言おうとしたら、母親が「今はダメ」って(笑)。
当時はわからなかったんですけど、今考えると夜10時台のドラマみたいな良いシーンだったなあと思いますね。
伏見 それですさんだ子にはならなかったの?
斎藤 全然。母親がやってることがむしろ好きだったから。
その「今はダメ」も、今考えるとすごくイカすんですけど、たとえば授業参観のときも着飾ってきれいにして来るんですよ。
伏見 ケバいってこと?
斎藤 そう、ケバくてゴージャスな感じで。でも、他のお母さんと全然しゃべらないんですね。
いつも1人でポツンとしてたので、子どもながらに心配して、「他のお母さんとしゃべらなくていいの?」って聞いたら、「私、群れるの嫌いなのよ」。本当にカッコいい。
オカマ好きする女の像っていうのが、母親にはありましたね。スナックに入ってからもそれなりに人気あったらしく、客からプレゼントもされてたみたいなんですが、
「指環くれるって言ったけど断ったのよ」って言ってて、「なんで? もらえるものはもらえばいいじゃない」って返したら、「靖紀、私が指環をもらったら、返さなきゃいけないものもあるのよ」。
要するに一発ヤらせなきゃいけないということなんでしょうけど(笑)、そういうこともちゃんと教えてくれて。
伏見 ははは、そういう意味じゃお母さんはブルちゃんと違って、体にプライドがあったんですね。
斎藤 はい、自分と違って誰かれ構わずヤるタイプではないみたい。
伏見 カッコいいお母さんだったんですね。今のブルちゃんが表現してることの原型の部分があるのかな。
斎藤 オカマの強気な感じとか、スレてるけどそれに対してプライド持ってる感じとかは、母親からきてるのかもしれませんね。 伏見 ゲイのめざめというのは?
斎藤 中学生のとき、同級生を好きになったころでしょうね。中1からは毎年同級生を好きになってました。
クラス替えのたびに、クラスの中に1人好きな子がいて、新しいクラスの中で一番を見つけてました。
伏見 その恋は実ったの?
斎藤 中学のときは全然ダメでしたね。母親ネタに戻りますが、地元の会社社長から別の男にパトロンが替わったんです。母親の高校時代の同級生らしく、またしても妻子持ちだったので愛人状態。
中1ぐらいのとき、家に1人でいたら電話がかかってきて、ババアの声で「お母さんいるかい?」って言われたんですよ。
「外出してますが」って言うと、「そうかい……」って困った感じで、ちょっと迷ったあとで、「あんたのお母さんはね、恐ろしい女だよ!」って言われたんです(笑)。
要は男の母親か奥さんの母親かどっちかみたいで、文句を言おうと思って電話したけど母親はいなかったから、息子のほうにグチったと。
みのもんたじゃないんだから(笑)。本当にみのもんたぐらいのあしらい方で話は聞いたんですが。
伏見 それは傷つかなかったの?
斎藤 それも母親が悪いとは全然思わなくて、男をとられるあんたが悪いのよぐらいな感じ(笑)。
母親と父親がそんな感じだったので、エロに対しては独特の発達をしてたんですけど、逆に学校の場では自分バリアみたいのがあって、全くエロいことがダメだったんです。
色気づき始めると、みんないやらしいこととか話すじゃないですか。
そういうグループには絶対自分は属せず、真面目っこグループでした。今の自分は頼まれもしないのに「マンコ」を連呼してるんですけど、当時は「マンコ」とか言っちゃう子がいると、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
「コンドーム」も言えなかったし。今ではパッケージの表に女装顔が印刷されちゃってるのに(笑)。 http://www.pot.co.jp/fushimi/img/2007.9/buru1.jpg
http://www.pot.co.jp/fushimi/img/2007.9/buru2.jpg
http://www.pot.co.jp/fushimi/img/2007.9/buru3.jpg
伏見 大学は現役でお入りになられたの?
斎藤 そうそう。また偉そうですが、受けたの全部受かったんですよ。早稲田と名古屋大学。
伏見 あら、すごい。でもなんで貧乏なのに国立に行かなかったの?
斎藤 東京に行きたかったから。
伏見 アッパーキャンプのメンバーっていやがらせのように高学歴が多いよね。
斎藤 昔、ネットのいやみで書かれてたんだけど、「そういう子たちって、デビューしたあと気持ち悪くはじけちゃうんだよねー」って。すごく的を射てる(笑)。
伏見 当時はまだ今のようなゲイの状況ではないですね。
斎藤 現在のゲイメディア系の衝撃を最初に受けたのって、テレビ朝日の深夜番組「プレステージ」。
斎藤綾子さんもタックさんも伏見さんもみんな出てた。あれが今に通じる「ゲイ」という言葉と出会った最初の衝撃でしたね。
そのころはパソコン通信の人だったので、高3の時点で、東京にいくつかあったゲイのパソコン通信ネットに入ってたんです。
そこで知り合ったのが、その後ずっと続いている同居人のおまこさん。本名じゃないですよ。
それで受験のときに受験パックのホテルを蹴って、おまこの家に泊まりに行った。受験の前夜、おまことヤッてたんですよ(笑)。
今思うと気持ち悪いんですけど。そのまま受かって東京に住むことになって、同居を始めたんです。
だから独り暮らしをした経験はないんですよね。一緒に住みたいと思ったのは、人柄も含めて、一緒に住んで間違いない人だと思ったから。
勘だったんですが、全然抵抗なかったです。守ってもらえるかどうかに対して、本能が働くんですよ。生きる術(笑)。
伏見 いよいよ大学時代ですが、ブルさんは現在、ゲイ業界では一番の権力者でいらっしゃいますから、怖がってなかなかブルさんの過去の証言をする方がいらっしゃらないんです。
1人だけ、覆面ならばブルさんの過去を話してもOKという人をやっと見つけました。Mさん、どうぞ。音声も変えてるんですけど。 (覆面のエスムラルダ登場)
伏見 早稲田のGLOWというゲイサークルに入ったんですよね。
斎藤 最初はパソコン通信側で遊んでたんですけど、2年のころに遊び仲間で知り合った子からそういうサークルが存在するのを知って入ったんですよね。
メディアがゲイブームになっていたので、色々な場所で露出が始まって。
伏見 そのころはゲイということに肯定的だったんですか。
斎藤 本当に伏見さんに教え込まれた世代ですよ。
伏見 また姑息に持ち上げようとして(笑)。あのね、会場のみなさん、僕は昔からブルちゃんの大ファンなんですよ。
でも、ブルちゃんが僕のファンだったことは一度もないの! 本なんて読んだこともないでしょ、あんた。
斎藤 『プライベート・ゲイ・ライフ』は本当に読みましたよ(笑)。でも文字に弱くて、一番最後に読んだ小説が『バトル・ロワイヤル』なんです。
伏見 当時から今のブルちゃんの原型はでき上がってたと思うんですが、エスムラルダさん、斎藤さんの第一印象を教えてくれますか。
エスム 最初に「ブルってどういう人?」って聞いたら、みんな口を揃えて「かわいいけど怖い人」って言うんです(笑)。
初めて会ったのが、パソコン通信のオフ会で鵠沼海岸に行った日。
当時から私は、性に対して頑なというか、オクテなところがあったんですが(笑)、ブルの口からは「穴がどうこう」みたいなセリフがポンポン飛び出して、「この人、性に奔放だ。怖い!」と思いました。
自分とは違う強烈な人がいるというのが、第一印象でしたね。
斎藤 会う前に友達に聞いたエスムの噂は、「文通欄で知り合ったんだけど、1通送っただけなのに、向こうから“生き別れた兄弟と知り合ったみたい”って言われて、ちょっと大げさで怖いんだよね」って(笑)。
しかもその子とエスムが一橋大学の生協で会ったとき、クネクネしながら手を振られて、「井田真木子の『同性愛者たち』読んだー?」ってデッカイ声で言われて困ってた(笑)。お互いエロとリブに暴走気味だったね。
伏見 エスム、デビューはアカーなんだもんね(笑)。ギョーカイ的にいうと、僕のイメージでは、小倉東さんがブルちゃんを拾ってきたんだよね。
斎藤 正確にはライターの萩原まみちゃんがうちのネットの会員だったんです。それでオフ会に来てくれるようになって。
あとは溝口彰子さんとか、レズビアンでメディアに強い人がいっぱい入ってきてくれて、そっちから小倉さんを紹介され、伏見さんを紹介されたんですね。 伏見 当時、あなたがやっていたのはUC-GALOPでしたが、あれ、なんだったんですか?
斎藤 UC-GALOPって、アッパーキャンプ・ゲイ&レズビアン・オンライン・パーティの略なんですよ。
伏見 そこでなにを話してたの?
斎藤 よた話だよね。
エスム あと、ブルのパーソナリティが変わるとネットの雰囲気も変わる、というのが端から見てるとあって、
初期のころはオタク系でほのぼの牧歌的な感じだったのが、ブルがクラブに行くようになって、ずいぶん変わりましたね。
斎藤 オタク女がちょっと気取り始めたっていうやつ(笑)。
エスム ブルの中にパソコンネット・オタク・リブみたいのが芽生えてきて。「パソコン・オタク=ダサい」というイメージを変えたいという気持ちがあったんだよね。
ほのぼのしたものから、言葉にすると恥ずかしいんだけど、都会的な方向性に(笑)。
斎藤 思い出した! 最初はアッパーキャンプじゃなくてアーバンキャンプだった(笑)。
エスム そのころはGOLDやイエローが華やかで、アフター・アワーズとか朝方にやるパーティもありました。
みんなではしゃいで遊んでて、「あの子たち、絶対薬やってる」って陰で言われたこともあります(笑)。
でも都会的な匂いのするネットに変わったことで、ほのぼのした雰囲気が好きだった人は、大量に辞めたよね。
斎藤 ただ、あれは作為的だったかも。オタクを排除したかったかも。それが93年か94年ごろ。
伏見 今聞いていて感慨深かったのだけど、ブルちゃんたちも青春を語る年頃になったんだね。
90年代はアッパーキャンプがゲイシーンを席捲したという感じが僕の印象としてあるんだけど、最初はマイノリティな感じで始まってたんだね。
エスム 94年の9月に UC-GALOP の周年パーティを Delight(現在のACE)でやったんですが、
そのころニューヨークでルポールというドラァグクィーンが流行っていて、「こういうのおもしろいからやりたいね」という話になった。
ブルはクラブ系の情報も早く入手して、ルポールのミュージック・クリップを見ていたんだよね。
斎藤 UCのメイクは関西系の先輩に習ったんですよ。東京系はきれいでそつのないメイクで、関西系はやりすぎメイクなんです。
UCはそれを真似て、しかも技術は拙かったので、本当に汚くなっちゃったんです(笑)。
伏見 最初は「ドラァグクィーンになるんだ」という志しでもなかったんだ。
斎藤 なんとなくパーティで楽しいかもということで。
伏見 ゲイムーブメント的な意味では、どんな意識だった?
斎藤 あんまり対社会は意識しなかったよね。
エスム 自分たちがやりたいことだけやってた。
斎藤 当時のUCに共通するのは、学生時代は真面目なむしろネクラぐらいの優等生系が、「大学でゲイ」というキーワードではじけて、というのがほぼ共通していたので、
そういう特殊な環境下で育った人たちのいびつさが、業界的に珍しくてインパクトが強かった、ということだったと思う。
要は鎖国状態だったところから生まれたことで、バーやクラブの中で培われたのとは違ったヘンなことをしてる人たちがいるって、おもしろがられたのかもしれない。
伏見 94年にパレードがあって、ブルちゃんは参加してないんだよね。
斎藤 当時はゲイだっていうことで表を歩くなんてとんでもないと思って(笑)。
伏見 でも、翌年は女装して堂々歩いてたよね(笑)。
斎藤 OKが出たら早いタイプで、最初にリスクを負うことはしたくないんです(笑)。 エスム 次の年ぐらいにはドラァグとは何なのかがだいぶわかり始めて、みんなで衣装を揃えて歩いたんです。
伏見 当時、パレードに出るのはまだまだ敷居が高かったけど、ブルちゃんがやろう!と言うと盛り上がる感じだったんですか。
斎藤 閉ざされた世界って、その中で盛り上がったことに対して異様な情熱を見せるパワーってあるじゃない。宗教団体みたいなもので。
伏見 元UCって巷にいっぱいいるわけですよね。メンバーはどれくらいだったのかな。
斎藤 3〜40人が中心メンバーだったのかな。
伏見 その3〜40人が真面目に勉強して大学に入っておかしくなっちゃったという感じなの?
斎藤 ベースは真面目なんだけど、ひと癖、ふた癖抱えていて、それを出せるきっかけとなったところがたまたまうちだった、という感じの人は多かったみたい。
伏見 出会ったときから年齢差もあったので、ブルちゃんは僕には腰が低い感じで、しばらく謙虚な人なんだと思ってたけど、あとでいろんな人に聞くと、本当はそうじゃない人なんですよね(笑)。
斎藤 相手に合わせてるみたいで、「この人には腰を低くしなきゃ」というのがわかるみたい。
エスム やっぱりリーダーなんだと思いますよ。あと、自分が攻撃される前に、人を攻撃するタイプ(笑)。
たとえば、ショーで同じ服を何回か着てると「またそれ着てる」って。自分も何回も同じの着てるくせに(笑)。
伏見 当時のあなたたちのDelightのパーティって、歌をうたう人がいたり、コントみたいなものがあったりで、いろんなことをしていたよね。
斎藤 ゲイの、なんでも表現したい人どうぞということをやってたので、珍しかったんじゃないですかね。
とにかく余興の場だったんですよ、オフ会が。女装も強く出てましたが、なんでもよかったんです。
伏見 当時の仲間の多くは就職したんだよね。
エスム そうだよね。私は一度就職して最近脱サラしちゃったけど。
伏見 ブルちゃんはゲイメディアにいてゲイにこだわっているけど、他の人と方向のズレっていうのはあった?
斎藤 はっきりしてるのは女装サークルになっちゃったとき(笑)。パソコン通信コミュニティからお笑い女装サークルになって、しかも汚い系っていう(笑)。
最後はゲイがパソコン通信で集まる感じではなくなっていたので、女装のほうが旬のネタだった。やりたいことがたまたまそっちに向かっていったんですよね。
エスム ちょうどインターネットが普及し始めるのと同じぐらいかな。
伏見 90年代半ばから定期的にパーティをやってたんだよね。
斎藤 二丁目のレインボーカフェだったところが空いてたから、月に1回貸していただいて。
伏見 当時、二丁目にオープンカフェなんてなかったじゃない。クローゼットな街で外に向かって開かれたイベントをやるというのは画期的だった。
斎藤 それも二丁目に出てる子が始めたわけじゃなく、突然変異的に始めたので、結果として伏見さんに「あれが二丁目初のオープンカフェだった」と言っていただけるものをやったんですけど、
あんまり意識してなくて、外にもテーブルを置いたらいっぱい人が入れるね、ということで置いただけなんですけど(笑)。
伏見 ドラァグはどこがおもしろかった?
斎藤 なんだろうね。
エスム なんだろうねえ……ここまでやってる2人なのにわからない(笑)。最初は本当に楽しいねということでやってたんだけど、私、96年ぐらいにUCと距離を置いた時期もあったんです。
でも久しぶりにDelightでのパーティに復帰しようかなと思ってたときに、ブルが「エスム、最近ショーやってないし、おもしろいのできるかね」って言ってたという話を聞いて、「負けるもんか!」って思った(笑)。
要するに、ドラァグをやる原動力は、「楽しさ」と「悔しさ」だったんですね。
伏見 ブルちゃん周辺って、ブルちゃんに対する愛憎、すごく世話になったっていう恩義と、相反するような怨念が渦巻いているように見えます。
エスムさんが一時離れてたっていうのは、やはり憎んでたんですか。
エスム そう(笑)。でもそれはやっぱりブルが優秀だったからだと思うんですよ。はっきり言って嫉妬してました。
ブルは話すことも書くこともおもしろいけど、自分はブルほどはじけられない。ブルって本当にいい加減なところが多いんだけど、でもなんとか生きていけるところも憎い(笑)。
「同い年なのに、この違いは何?」って、いつも思っていました。だけどブルに会わなかったら、自分は全然違う人生を歩んでいたと思うので、本当に愛憎混ざり合ってましたね。 伏見 ご本人、憎まれてる部分についてはどうですか。
斎藤 知らなかった……(笑)。最近けっこう言われるんですけど、当時は本当に自分、性格がキツかったみたいなんですよ。
外部の人に腰が低いのは変わらないんですけど、自分がやってるもの、UCの人なんかにはすごくキツいことを言ってたみたいで。
伏見 アッパーキャンプって1人ずつきちんとキャラが立ってるじゃない。
でも、ブルちゃんって性格すごくだらしないでしょう(笑)。よくまとまってたよね。
エスム でも、キャラを立たせるのも、ブルの遠隔操作があったんですよね。その人に向いてるものをさり気なく提供してたから。
伏見 育ててる感じはあったんだ。
エスム 本人にその意識があったかどうかわからないんだけど、狡猾にやってましたよ。
私は最初ホラー女装をやっていて、でも怖いだけじゃイヤだと思って、少しキレイにやろうかなと血迷った時期があったんですけど(笑)、そんな中途半端なことじゃダメだっていうのも遠回しにブルに言われた。
伏見 ブルちゃんの中でアッパーキャンプというコミュニティ意識はあったの?
斎藤 自分のホームのような気持ちはあったと思う。そのあとのゲイのこだわりにもつながるんですけど、多分寂しがり屋さんで(笑)、家族的集団のようなものに憧れているんです。
パソコン通信のネットのときもそうだし、中学時代のパソコンオタクというアイデンティティだったときには、MSXパソコンのサークルをやってて、
全国に会報を書いて送ったりしてたので、パソコンオタクでも女装でもそういうマイノリティは、身を寄せ合って集まるということが大事だと思ってたみたいですね。
伏見 今はアッパーキャンプという共同性はブルちゃんの中ではどうなの。
斎藤 もめて女装たちのアバレでほぼ解散。『女囚サソリ』とかに興奮してた時期で、女囚たちが「アバレだよ!」と脱走するシーンがあって、だからその時のことをアバレって呼んでます(笑)。
要はUCをしきってたわりに、あまりにも自分がいい加減だったので、ギャラの支払いとか適当だったんですよ。
ギリギリで脚本を渡されるとか、連絡が直前とか、そういうずさんな態勢に対して、「こんなんじゃやっていけません」みたいなのをいっせいにやられてしまった。
まあ、全部自分が悪いんですけど、すっごい落ち込んだんです。3日ぐらい、ホントに落ち込んだ(笑)。
自分が招いた結果というのはわかっていたんですけど、ショックでしたね。ある意味寂しさを元に集めた集団なだけに、それがダメになっちゃったのは、トラウマになってますね。
伏見 反乱? 組合争議? それで活動が休止したんですよね。みんな大人になって、難しくなったっていうこと?
斎藤 それはクラブ女装論になるんですけど、女装は最初は楽しいんですが、登るべき山としてはそんなに高いものではない。
巧い人は1年ぐらいでトップに立てちゃうんですよ。地方にあるポンポン山とかレベルで、エベレストじゃないんですよ。
だからその先、どうしたらいいのかっていうのがあって、別にそれで食っていけるわけでもないし、なにを楽しみにやるのかで迷いが生じるから、あとは人によって選択が分かれるんです。
エスム 私も、アバレの時はこっそりみんなを煽ったりしていたんですが、今考えると、ちょっとかわいそうな部分もあったと思います。
伏見 子どもたちの親に対する反抗期かな。
エスム それもあるし、女装仕事自体への不満もあったと思う。UCってイベントに呼ばれても1束いくらの扱いだった。
苦労したわりには…っていうストレスもあって、それがまとめ役だったブルにぶつけられた感じがありましたね。
斎藤 芸人として求められることが多くなっていった時期で、毎月新しいネタで笑わせなきゃいけないというようなしんどさがあって、
楽しい時期が終わって、期待に応える時期に入っちゃった。
伏見 エスムさん、ブルちゃんに対する愛憎というのは、今はいかがですか?
エスム 今は適度に距離置いています、憎しみ合わないように(笑)。距離は大事だよね。
あと、お互いに年をとって、それぞれキャラクターは別なんだということが自分でも認識できるようになったのが大きいですね。
人は人自分は自分だと、ちゃんと思えるようになった。
伏見 ブルちゃん、最近、女装はあんまりしてないでしょう。
斎藤 そうですね。オファーがあって、それが納得いく内容、相手に恩があるとかギャラが高いとか、自分がこれをやったら得だなと思ったらやるという感じ。 伏見 今は『バディ』を中心に書きつつ、やっぱり、トレンドメーカーな仕事をしていますね。
斎藤靖紀が作ってることが流行りになってる。「ヤリ部屋」っていう言葉もあなたが作ったんでしょう。
斎藤 アメリカ的には「クルージング・スペース」とか言ってたけど、長いじゃないですか。
特集のタイトルを考えてたときに、「ヤリ部屋とかどう?」みたいに言ってたら流行りましたね。
伏見 ゴメオも?(笑)
斎藤 自分はネットでもマニアックな掲示板やいやらしい掲示板とか大好きなんです。「え、こんなフェチがいるの?」っていうような。
クラブ21とか見てると、風船フェチの部屋もあって(笑)。そういうのをチェックしてたら脱法ドラッグ(※現在ではゴメオは違法)が流行り出していたので、『バディ』の危険地帯特集でとり上げた。
でも、自己弁護じゃないですけど、あれは自分の記事以上にネットの口コミパワーで広がったと思いますが。
伏見 斎藤さんは普通に就職しようと思ったことはなかったの? 最初から『バディ』に就職しようと思ってたわけでもなかったんでしょう。
斎藤 就職活動とかしなかったですからね。
伏見 それはゲイに対するこだわりで就職しなかったわけ?
斎藤 いや、それも含めていい加減。なーんにも考えてないんですよ。
『バディ』もすごく昔からやってるけど、社員になったのは3、4年前。それより前はただの外注さんだったんですよ。
伏見 ゲイのことで食べていこうという決意があったわけでもなく。
斎藤 はい、なんとなくです。
伏見 みんなよく言うんだけど、斎藤さんぐらいの才能があったら、もっとメジャーなステージでもやっていけるでしょう。
なんでゲイのことだけをやっているんだという疑問がある。
斎藤 そんなことないです(笑)。なぜIT方面に行かなかったかということと同じで、自分はエロとかゲイに対しての引力が強すぎるから。
伏見 どのへんにゲイに対するこだわりがあるの?
斎藤 悩んでるわけではないんですけど、ホモフォビアが根強く、いまだに、「ゲイ」って書いてある本があったら、電車の中ではカバーをかけなきゃ読めないですね。
伏見 それは僕もそうだけどね(笑)。 斎藤 女装は鎧を着てるから大丈夫なんですが、普通の状態でゲイの私として存在するのがすごく怖くて、
そのギャップを埋め合わせるかのように、閉ざされたゲイへの思いが高まるという感じですね。
伏見 じゃあ、古式ゆかしいリブガマの動機と近い。
斎藤 昔の怨念系ですよね。女装のキャンギャルをやったことで、女装で外に行くのはOKになって、
女装してノンケに対して何かを言うというのは、楽しい作業に変わったんですけど。
あとは壇上とか守られた立場で素顔でゲイを語るのも多分OKなんですけど、普通の人としているときは、やっぱりまだ怖いんじゃないかな。
伏見 ゲイの共同性の中でヌクヌクしてるわけね。怖いから外に出られない。
斎藤 怖い、ノンケ怖い! 本当にノンケ、怖いんですよ。
伏見 『バディ』では下の世代に向けてメッセージしていますが、違いは感じますか。
斎藤 怖さみたいのはなくなってる人は多いですよね。KABA.ちゃんみたいな素晴らしいキャラのお陰で、クラスでオカマキャラとしての存在が許されているような、
そんな世界が広がっている気はするんですよ。だから防御壁を張らなくても良くなっていて、以前よりはガス抜きされてるのかも。
自分はこの防御壁のお陰で、ドラクエで言うと気合いをためた状態だったんですね。自分が突拍子もないことができたのだとしたら、気合いをためていた期間が長かったから。
逆に今のゲイの子がもしたれ流しのようにガス抜きができているのなら、強烈なゲイ性のおもしろみにはなっていかないのかもしれないですね。
伏見 エイズ・アクティビズムについて違和感を感じるって言ってますよね。
斎藤 えっ、そんなことないです(笑)。
伏見 『バディ』でいやがらせのように「危ないセックス特集」するでしょう。
斎藤 あれは違いますよ(笑)。団体系の方だと、お金が出ている先が国だったりするので、いわゆる社会運動的な立場からのアピールしかしにくいと思うんです。
真面目な団体が発行するものも大事なんですが、世の中の考え方の作られ方って、週刊誌とかバラエティの影響がすごく大きいじゃないですか。
商業誌がもしそこに食い込むなら、要は人の興味をそそるということが大前提で、ブッチャケ系な記事をやるべきじゃないかと。
それを自分の仕事の範囲でやってるだけで、今あるものがダメというわけではなくて、足りないことがやりたかっただけなんです。 伏見 今、ゲイを取り巻く状況はゆるくなってるわけでしょう。みんなゲイだから一緒になにかをやろうっていう雰囲気でもない。今後、どうなっていくと思いますか。
斎藤 今は個人戦に入ってるところがある。でも自分も『バディ』のように他の人に伝える場では、今言ったような興味をそそることは念頭には置いているんですけど。
伏見 同性婚の問題にしても当事者からの要求の声ってほとんどないじゃないですか。それは雑誌の場にいて、どう思いますか。
斎藤 盛り上げ方が難しいかなっていう感じですね。雑誌としてはムーブメントが作れたらステキなわけでしょう。
それが最終的にゲイ的にも価値があることならばなおさらいい。でも商業誌としてはまずその話で盛り上がれるゲイの共通の話題が提供できるかどうかのほうが重要だと思うんですよ。
同性婚の話が盛り上げられれば、ゲイにとって確実にいいものもくっつくから、大手を振ってできますよね。
ゴメオなんかは流行ってるものとして商業誌的な立場で紹介したんだけど、すごいダークなイメージになっちゃって、イヤなものもくっついてきた。
どっちにしても旬のネタを素直に取り上げたい、それをいち早く伝えておきたいということは雑誌的な考え方としてすごくある。
同性婚がうまくいけば、『バディ』が紹介したことが良かったなと自分でも思えるのに、ゴメオみたいなものはどんどん勝手に広まっていくのに、同性婚は広まらない(笑)。
伏見 最後に、斎藤さんにとって、「ゲイ」とはどういうこと?
斎藤 自分、親戚とかまったく気にならないし、母親のことも好きだけど2年に一度会えばいい。出身校も郷土もどうでもいい。
つまり、自分にとってのアイデンティティはほとんど「ゲイ」なんです。最近ちょっと「エロ」にも揺らいでますが。
東京で生まれ変わって、幼児のようなブルを大きな愛で包んで育ててくれたのが、同居人のおまこさん。
ゲイネットやったり、女装やったり、雑誌の仕事をしたり、狂ったようにそのためた気合いを放出できた場も「ゲイシーン」。
恩師とかも「女子バディ部の鬼キャプテン=マーガレット様」「気にかけていろいろ勉強になる場所に連れてってくれる近所のおばさま=伏見先生」
「ちょっとうちの喫茶店で働いてみない?と言ってくれる親戚のおばさま=タックさん」「かわいがってくれる、時々すごい怖い元気な家長のおばあちゃん=うちの社長」……と、
ゲイ業界とかゲイシーンにこだわっている人には「血」のような親近感を感じるんです。
僕は最初のレインボー祭りの花火が見られた時点で、いったん「イキ終わって、倦怠感を感じた」んです。
今は受精の責任をとって結婚=テラ出版に入社して、残る課題に向けて、かなりロクデナシではあるが親心のようにゲイシーンに何かを伝える義務感を感じているところです。
伏見 どうもありがとうございました! 実の父親との近親相姦をばらすの
気持ち悪い、汚ない 出身校も郷土もどうでもいい。ってわりには早稲田卒って嘘ついてるよねw 上のインタビューざっと読んでみたけど、ツイッターで頻繁に火よりも水がいいとかなんとか言っちゃってるくせに結局自分から攻撃仕掛けるのが好きなのね
なんだかいい年こいたおっさんが思春期真っ只中って感じで痛々しいわ インタビューもどこまで本当なんだか。
繰り返すけど、ブルボンヌこと岡田は悪人、よ。
覚せい剤やったりすることになんの良心の呵責もない。
あるなら、こんなにメディアに顔出ししないわ。
ホッシーがまだ普通に見えるというか、悪っぷりではブルの足元にも及ばないわね。 ホッシーは無知が背伸びしてるだけ
ブルは見た目も中身も根性も汚ない
汚ないの三拍子揃ってる
顔が汚ない 汚肌 イベント出演料
衣装製作で得た収入を
納税してない時点で
偉そうな事言うなっての! >>48
早稲田?wwちょっとそれは恥ずかしいわね。 中退ってことにしておけば証拠がないからバレないと思ってるけど、そもそも入学してないわよ。
前に早稲田の話したときまったく知らなかったし。 前からプロフィールで「早稲田除籍」にしてるけど
除籍って強制退学の意味だってわかってなさそう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています