言えなかったけど、僕はいわゆるゲイなんだけど、最近はやたら窮屈さを感じるんだ
ゲイであること、というよりも、ゲイであることであらゆる肩身の狭さを感じるんだ

僕は飲みに行くことが少ない
ジムに行っていたこともあったけど今は休会中だ
SNSでときおり流れてくるマッチョモデルが穿くようなアンダーウェアはたまに買う
クマのキャラクターモノも好きだし
髪の毛は短髪にするけれどヒゲは生やさない

まぁ、ある程度の流れには順応する

そう、この合わせざるを得ないところが自分がゲイであるということの窮屈さを感じるのだ

僕は見向きされたいがために人に媚びても仕方ないと思うほうだし仮に身体を鍛えて良い身体になったとしても振り向かれなければ何もないも同然
ただアンドロイドのように増えていく既製品になりたくない
人と同じとか人と似ているとかありふれたものになりたくない
だがありふれたものでなければ人は振り向いてくれないことも現実にあるんだ
そんなジレンマと闘っている

だけど、だ
ゲイとして生きる自分を痛感せざるを得ないときがある
それはゲイという自分の属性を揶揄されたときだ

田舎に居た頃のいじめからやっと逃げられて、東京である程度はゲイとして生きられてきたけど、今度はこんな目で苦しめられるのかと同じ属性に居ながら同調するような奴らが居て
謝ったら負けとばかりに開き直る国会議員とその周辺があり声を上げようものならその上げ方ひとつにも揚げ足を取り重箱の隅でも突かなければ居られない冷笑家の多くなったことよ

誰かが拓いてくれた道を歩きその道を絶やさないように道を整え苦しいときや許せないことが起きたときには悲しませることが無いようにとともに声を上げていくことさえも
「私は幸せだ」「差別を感じたことがない」
そうやって声をかき消していく

対話対話と言いながら対話に応じない往生際の悪い元国会議員も居る
いつのまにかリベラル憎しになってしまった雑誌の元編集長も居たっけな
こんなの日本だけだろ?

今の日本は長いものに巻かれていなければ自分というものを誇示できない世の中なんだぜ

染まるのは程々にしてくれよ


https://i.imgur.com/d3tRkI4.jpg
https://youtu.be/Q2ZPA8UAPOE