これが気に入らない異性からの告白の場合、アウティングは何の意味もない(告白されたのは女だった)
したがって、B君はそんなこと考えもしなかっただろう

しかし、ゲイだったA君の場合は、現状を変えるため有効だと(即ち、A君に打撃を与えられると意識して)B君はアウティングに及んだ
まさか、自殺するとまでは考えなかっただろうが

異性愛主義の社会構造の中で
このようにゲイの人権はしばしば簡単に踏みにじられる

アウティングの被害に苦しむA君は同性愛者であることを明らかにした上で(これはA君にとって重大なこと)大学にそのことを訴えたが、理解されない
B君同様、大学も重大なことと認識せず、性自認の問題だと誤解し、A君個人の問題に矮小化して適切な対応は取られなかった

この場合の適切な対応とはA君をB君に会わせないことである
しかし、大学は性同一性障害専門の精神科を紹介するという不適切な対応をとった 結局、A君の訴えは無視された形となった

これが仮に女生徒の訴えだとしたらどうだったであろう
まさか、精神科医へ行けとはアドバイスしなかっただろう

このように、同性愛者は大学で安全に生活するという「普遍的」な権利さえ奪われているのだ