>>645
2020.8.21. #抗する
フォロワーさんが取り上げていた記事が自分にとってヘイト
どまんなかだったとき、自分はどうすればいいのか考えてしまう。
そのときは「この記事をまるまる信じないで、このような言説に
囚われないで、自分はその当事者だが記事に載っているような
考えは全く持っていない」と書くだけでせいいっぱいだった。
取り上げてたhanadaのLGBT記事なんてクソなジャーナリストもどきが
当事者ウヨゲイと某森女子を取り上げただけのクソ記事じゃないすか。
ああいうものには騙されないでもらいたい。

けれど、今の自分にとってドリの"YES AND NO"の歌詞にある
自問自答のたたみかけのような問いを自分にも向けられているなぁ
と感じる。もちろんそれはすべてではないけれど、自分がこういう時に
向き合わなければならないと思うと、相当考えるし相当疲れるだろう。
どうしてもそこで忖度が出てきてしまうのは悪いことだよな。いくら
意思表示をしたところで広がりが産み出せるわけでもない。だがその
※当時者としての行動やそのときの気持ちは大切にしたいのだ。
完全ではないけれど自分の矜持として表明しておかなないといけない。
これは許せないものだと、誤ってそのヘイトな考えを広げられたら
もっと闘わなければならなくなる。

自分はそうやってどこかではやゆされながらも抗するものには
抗してきたし、意思表示してきた。だけど自分には他の人と比べたら
足りないことや知識や考えが多すぎるのだ。それでも抗うのは
ゲイとして生きてきたからだ。しんどいよ。それでも闘わなきゃ
いけないんだから。これ以上の悲しい思いは要らないんだよ。
https://pbs.twimg.com/media/Ef8PICWUYAAjUcd.jpg
※当事者(原文ママ)