>>987続き)

反対意見の“言い方”が乱暴な人間に対して、売り言葉に買い言葉で
「そんなに否定するなら、対案を出せよ」といった感じで言ってしまう…
というのが実際の現場で起きていることだなぁと思うのですが、
でも、ぶっちゃけ、「反対なんだけど、対案は無い」ことってあるじゃないですか?

「戦争反対」なんて、まさに。
 
「戦争反対」を歌うジョンレノンに対して、
「対案を出せ」とか言う人って、あんまりいないと思うんですね。
 
クリティカルな対案を出せていれば戦争は終わっているハズで、出せないから続いている。
だけど、全体的には「終わらせる方向でいきましょうよ」という形で進んでいます。
 
そういうことって、実際の現場では普通にあるじゃないですか?
特に、モノ作りの現場では、クリティカルな意見が出る前の段階として、
「方向性を決める」という作業があるんですね。

具体的な話をします。

現在、ファミリーミュージカル『えんとつ町のプペル』を制作しているのですが、
先日、カンパニーの皆と「ラストシーンをどうするか?」という議論になったんですね。
 
『えんとつ町のプペル』のラストシーンは、ゴミ人間「プペル」と、
煙突掃除屋の少年「ルビッチ」が、船に乗って、煙の上に行くのですが、
絵本や映画だと、地上と空でカットを割ることができるので、
「プペル」と「ルビッチ」のツーショットを作り出すことができますが、
舞台で「プペル」と「ルビッチ」のツーショットを作ろうと思ったら、
基本的には、「その二人以外はステージをハケる」か、
「その二人以外には照明を当てない」か、のいずれかになります。