これは2013年NY個展時の単独インタビュー
https://www.excite.co.jp/news/article/Shueishapn_20130317_17733/

―でも個人的には、西野さんに同情してるんです。昨年『はねトび』が終わって収入が減ったのでは……。

西野さっきから、お金の話をズバッと聞きますねぇ(苦笑)。いや、まぁそうですけど、独身ですから、極端な話、4畳半の部屋でもネタは作れるし、絵は描けますよ。正直いうと、『はねトび』が終わってできるようになったことは増えたと思ってますもん。


―それ、本音ですか?

西野はい。視聴率がとれるからって「ほぼ100円ショップ」のコーナー頼みになるのは、どうやろうと思ったし、僕は唯一の仕切りとして、「絶対にボケてはいけない」という立場でもあって。その僕が少しでもボケてしまうと、次から何を言っても説得力がなくなりますから……。でも芸人は、いくらツッコミでもボケたい欲があるものなんです。そういう意味で今は解放されたし、今回の原画展ができたのも、あの番組が終わったからこそ。だって、僕がニューヨークで原画展って、思いっきりボケじゃないですか?

―確かに。関西出身ではないですけど「なんでやねん!?」とツッこみたくなります(笑)。

西野ですよね。かといって、あの番組がなかったら、僕は絵本を描き始めることもなかった。実は、絵を描き始めたのは、深夜枠でスタートした『はねトび』が、ゴールデンに上がったときに味わった挫折のおかげなんです。(以下、25歳で挫折した話)

西野そもそも芸人になったのは、高校時代、社会の流れに組み込まれるのがいやで、就職したり進学する友達を横目に「吉本に行く!」っていう反抗心があったからなんです。でも、この世界に入ってみると「あの大御所にツッこんじゃいけない」とか、「これは言っちゃいけない」とか暗黙のルールが多すぎて、芸能界って必ずしも実力社会じゃないってことに気づかされた。そのとき、「じゃあ、ゴールデン番組を持ってスターになったら年功序列をひっくり返してやろう。大御所でもなんでも、知らねえよ!って頭はたいてやろう」って思ったんです。