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■世界を貸しきる

コロナちゃんが暴れる前、僕らは世界のあらゆる地域で『光る絵本展』を開催していました。
中でも、大失敗に終わったのがフィンランド。
「ヘルシンキ(フィンランド首都)のど真中の駅前の公園がとれましたー!
 ここで、『光る絵本展』をやりましょー!たくさんの人が観てくれるハズです!」
とスタッフさんに言われるがまま、フィンランドに向かったわけですが、
現地に到着すると、先に現地入りしていたスタッフさんが死体みたいな顔をしています。

「どうされたんですか?」と訊けば、「白夜です」と一言。
その時期のフィンランドは夜でも昼間のような明るさです。
太陽の光が散々と降り注いでいるので、絵本を光らせたところで、誰も光っていることに気づきません(笑)
豪快にアホをやってしまいました。
ここから、どうこうしたところで、どうにもならないので、僕らは早々に白旗をあげて、酒場で残念会をします。

酒場を3〜4軒ハシゴして、『光る絵本展』のことなどすっかり忘れたド深夜の帰り道。
公園の横を通ると、『光る絵本』が煌々と光っています。気づけば、辺りは真っ暗。
さすがに、この時間になると、僕ら以外、人っ子一人いません。
『光る絵本』が真ん中にあるヘルシンキの街並みは、その瞬間、僕らの為だけにあって、
他のどの地域でも味わったことのない感動に包まれたことを今でも鮮明に覚えています。

似たような経験を、『満願寺』や『エッフェル塔』の個展の営業終了後にしました。
お客さんがいなくなった光る満願寺や、光るエッフェル塔&パリの夜景は、その瞬間、僕らの為だけにありました。
ついさっきまで散々観ていたのに、“自分達だけで貸しきれた瞬間”に、まったく違う世界として存在していたのです。

面白いのは、世界が変わったわけではなく、「貸しきっている」というマインドが、世界を明らかに変えているという点です。
温泉旅館の『露天風呂付き客室』が同じような発想で価値を生んでいると思うのですが、
どこか「とはいえ、露天風呂付き客室にある露天風呂だな」感が否めません。
貸し切りの本質は「ギャップ」で、一人(もしくは一グループ)では食べきれない量の空間が必要なのだと思います。
そこで考えたのが、昨日、お話しした『シアタールーム』です。