>>144続き)

基本的に、ほとんどの人は「文化を作ろう」とは思っていませんし、
「自分が死んだ後に活動する人の後押しとなるようなシステムを作ろう」なんて考えていません。
映画でハリウッドに仕掛けることもなければ、ミュージカルでブロードウェイに仕掛けることもありません。

「新刊を10万部売る」というチャレンジには、“共感できる部分”がありました。
ほとんどの人が、何かを売って生きているので、「どうやって売るんだろう?」
「なるほど、そうやって売るのか!参考にしよう!」
といった感じで共感されることがありました。

もともと僕は「共感されたい」という気持ちを持ち合わせていなくて、
今も昔も「自分が見たいものを作りたい」の一点突破なのですが、
しかしながら今日に至るまでに、『創造』と『共感』がたまたま重なる季節があったんです。

昨日のサロン記事の内容って覚えてます?
「世界展開を見越した新作歌舞伎のラストシーンの提案」です。
こんなの誰が共感するんですか(笑)。

でも、もう戻れないなぁと思います。

どのコースに、どのスピードで球を投げれば、共感されるか?はミリ単位で把握していますし、
狙ったポイントに確実に投げられる技術も持ち合わせていますが、
それをいつまでも投げ続けたところで、集まるのは『共感』で、遠退くのは『創造』(そして世界戦)です。

世界戦に片足を突っ込んでみて、『共感』の重力が思いの外、大きいことを知りました。
とくに、海外の映画祭が始まってから(今年の二月頃から)です。