https://news.yahoo.co.jp/articles/88d39246222a10dfb82059a31c7b8bab313cbb10
M-1は芸人の世界の緊迫した空気感を見事に捉えた
「あの頃は、尖っていた」

 この取材を通し、そんなセリフを何度、聞いたことか。女性芸人である馬場園でさえこう言う。

「全員、殺してやるぐらいの気持ちで入りましたから。吉本に」

 M-1のコンセプトはそんな空気感を見事に捉えていた。

 かつて、彼らと行動をともにし、現在はテレビの制作会社で働く元芸人の本谷有希は、いかにも気弱そうに語った。

「大悟さんは、めちゃくちゃ怖かった。常に『お前はどんだけおもろいんじゃ』という感じだったので」

 04年9月刊行の『クイック・ジャパン』誌上で、大悟は、こんな風に語っている。

〈よう4人(千鳥と笑い飯)で、芸人のオデコに“おもろい度数値”が出て、低い数値のおもろない芸人は殺せたらエエのにとか言ってましたからね(笑)〉

 おもろない芸人は、生きる価値すらない。それが彼らの尺度だった。

 とろサーモンの黒メガネをかけた恰幅のいい方、久保田かずのぶは、彼らのことを最大限の敬意を込めて「お笑い界の『殺し屋世代』」と呼んだ。

 麒麟の川島明と、哲夫が出会った緊迫のシーンは、仲間内では、今も語り草になっている。川島は漫才の冒頭で低く伸びやかな声で「麒麟です」と発することで知られるように声の良さと、機転の速さで、今や朝の情報番組『ラヴィット!』(TBS)の司会を任されるなど、世代随一の名MCとしての確固たる地位を築いている。

 インディーズライブでくすぶっていた笑い飯とは違い、その頃、麒麟は吉本の若手の中ではすでに頭角を現していた。梶がその時の状況を描写する。

「ライブが終わって、ミナミの商店街を歩いていたら、たまたま向こうから川島さんと、僕らと一緒にインディーズライブに出ていた仲間が歩いてきて。共通の知り合いがおったんで、そいつが、互いを紹介したんです。そうしたら、哲夫さん、川島さんのことを睨んで、めっちゃ威圧してて。ケンカが始まるかと思いましたね」

 いちばんおもろい者がそのグループを統治し、おもろないという烙印を押された者は行き場を失う。生きるか死ぬか。まさに「オス」どもの世界だった。