>>238続き)

その日は、朝5時まで文化放送(東京)で仕事をして、ホテルに荷物だけ取りに行き、始発に乗って大阪へ。
朝8時半に新大阪集合でロケ番組の収録があったのですが、時間になっても梶原君が来ません。
マネージャーから「梶原に電話しても、出ぇへんねん。アイツ、もしかしたらホテルか新幹線で寝過ごしてるかも…」
と連絡があり、僕は、

「あ。終わったな」

と思いました。

毎日一緒にいるので、今ここに、梶原君が現場に来ていない理由が「寝過ごし」じゃないことぐらい分かります。
朝から集まってくださった番組スタッフさんに、すぐに謝罪しました。
「本当にすみません。梶原はもう来ないと思います。すみません」

この日の景色や気温や天気は、今でもよく覚えています。

この日、結局、自分一人が頑張ったところで、どうにもならないことを知り、
「どこで歯車が噛み合わなくなったんだろう?」と考えました。
もちろん梶原君の無事も願いました。

数日後、吉本興業から各メディアに『キングコング活動休止のお知らせ』が行き、
僕は大阪にある家のテレビでそのニュースを観ていました。

レギュラー番組は全て終わり、昨日まで真っ黒だったスケジュールは真っ白。
春から始まる予定だったキングコングの新冠番組は、冠名だけが先輩コンビの名前に差し替えられて、
スタートしていました。

外出すると週刊誌に好き勝手に書かれるので、3ヶ月間、何をすることもなく、
ひたすら大阪のマンションの一室に籠っていました。
「今しかできないことをやろう」を思ってみたものの、結局、何も手につかず。