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イフルエンサーは、オシャレなカフェに通い、オシャレな洋服を着ます。
人気YouTuberは、配信設備を整えて、開封動画用の商品を購入します。 
InstagramやYouTubeが一般化した今、「お金をかけて発信をする」という考えは
「そりゃ、必要経費だよね」と考えられるようになり、市民権を得ました。
 
しかし、今から6~7年前は、まだまだ世間に理解されるものではありませんでした。
 
「あの日、日本中から批判されたアクションが、今のスタンダードになっている」
という経験を、これまで何度も経験してきました。 
その様子を、いつも一番近くで見ていた梶原君から、
「あれだけ批判してきた人達が、今になって、手のひらを返していることに対しての憤りはないのか?」
と質問されたことがありました。
 
たしかに、当時、何度も腹を立てたのは事実です。 
ただ、今思うとそれは、批判してきたことに対してではなく、「どうして話を聞いてくれないんだ」という、
自分の声が届かないことに対する憤りだったように思います。
 
時代の転換期でした。 
YouTubeがスタートし、世間の目がYouTuberに向き始めました。 
若者の家にテレビは無く、皆、テレビ番組をスマホで見始めました。
 
スマホの小さな画面に映ることができる人数には限界があり、登場人物の多い番組は内容関係なく、
「見づらい」ものになっていました。 
そんな中、「『ひな段』は画面面積の問題で、必ず手詰まりになるから…」と呼びかけても、
「芸人やったら、『ひな段』で勝負せいや」の一点張り。
 
「広告費を軸に活動している以上、どこまでいっても、主導権を握れないし、
広告費が落ちてくると手詰まりになるから、今のうちに、クラウドファンディングをやって、
ダイレクト課金をいただける身体になっておいた方が…」
と呼びかけても、「宗教かよ」と嘲笑されて終わり。