話の流れ変わるけど俺の敬愛する特殊翻訳家の柳下毅一郎さんがプペルの評論をしてた


有料記事だから一部だけだけど
西野さんの本質見破られまくってて笑ったから共有しとくww



『えんとつ町のプペル』 笑われ炎上し叩かれている自分は、それゆえに正しい。「たとえ一人になっても信じつづけろ」何を? それはもちろんプペル=西野が正しいということを


この映画に語るときに困るのは、もちろんそれが西野亮廣という人そのものだからである。プペルは西野だ。それはつまり、ガワはちゃんとして見えても、中身は空っぽだということだ。

ぼくは西野亮廣という人にはまったく興味がなく、だからこの人のことは何も知らない。もちろんキングコングという漫才コンビの片割れで、絵本を無料公開して炎上したことくらいは知っている。オンラインサロンでいろいろえげつない商売をやってもいるのだろう。そういう商売の倫理面についていろいろ論じるほど詳しいわけじゃないし、そもそも論じたいとも思わない。だからわりと積極的にこの映画は見たくなかったのである。ただまあ、あくまでも映画の中身についてだけ語るなら、そういう面倒な話にかかわらなくてもいいだろう、と思って見に行ってはみたのだが、そう都合よくはいかないんだよね。そういうわけでとても面倒だが、やはり、芸術と人格は不可分なのだと再確認する結果に終わった。

キングコングは吉本東京所属の芸人であり、当然本作は吉本興業の製作である。アニメを担当しているのはSTUDIO 4℃。なのでアニメの出来的にはケチをつけるようなところは一切ない。ゴミ人間の造形、寄せ集めのゴミがふわふわ動くあたりはとりわけよくできている。キャラクターの造形も含め、おそらくは『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』あたりがモデルになっているのだろう。ちょっぴりグロかわいいキャラクターによるハートウォーミング・ストーリーだ。ただ問題があって、それなりによくできてる以上のものはここには何もないのである。

このあと永遠、西野が如何に甘やかされてるか、
脚本がいかに薄弱な素人仕事か書かれてるww