お笑いの才能がないのに、必死で努力してNSC時代に漫才で結果出せたのがかえってよくなかったのかもしれない。漫才は練習量がある程度結果につながるし、当時はM1が始まる前で漫才を志す若手が少なかったこともたぶん後押しになった
ただそのせいで、努力さえすれば才能がなくても結果を出せると勘違いしてしまったんじゃないか
その努力の方向も、毎日サイン本投函するとか俺スゲー文を投下するとか、頭を使わない方向に曲がって行ってしまった