男/女性表現を肯定している人がいるが、その理由は
「どうでもいい」であり、「男」と「男性」は同質
ではない事は認めているようだ。
その証拠に、「男」は格好いいから、と言ってる。
男という呼称に格好いい呼び方だという辞書的定義
は無いにも関わらず、だ。
どうでもいいと一蹴する人間すら言葉の印象を意識
している。
これは、人というものが辞書的定義に縛られずに、
言葉というものに印象的な定義を加えている事が
よくわかる一例だ。
もし、ある程度フォーマルな場で人を紹介する時、
「こちらの男は」などと言おうものなら、良識を
疑われ、相手を不快にもさせる。
その時、「いや、男と男性は同じ意味ですから」と
言い訳しようものなら、さらに状況を悪くするだけ
で、一片足りとも弁護にならないだろう。
ニュースで犯罪者と被害者を明確に言い分けている
理由も、粗暴と丁寧の差と理解するのが一番自然
だろう。
使い方次第では格好良さも表現できるかも知れない。
しかし、粗暴という共通意識がある以上、それが
使われ続ける事の意識的影響は、舐めてかかれない。