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「奨学金=子供としての大学資金への不満」ってのは、学歴と地位を持つ男性通常人に対する嫉妬心によるルサンチマンから来る
「アテクシだって学資があれば」的な負け惜しみで持ち込んだ「問題分野」のひとつだろ。
で、相手をしてその問題を俎上に載せてもらったら、頭に乗って「人権問題は学資が全て」とすり替えやがったよWWWWWWWWWWWWW
人権=人生を守る問題のネタは無数に多様な分野があって、その中で個人が行使する「選択の自由」の尊重こそが人権の本質だ。
今の生活水準か子供の教育かを決めるのは親本人の自由選択であり、通常人は親が「今の生活水準」を後回しにして「子供の教育」を選んだ結果。
自らの選択による生活水準を「理不尽」と言うのは甘ったれ以外の何物でもない。
そしてそれが理不尽でない理由こそ、それにより子供が「十分な教育の機会」を得たという事実にあり、かつ子供自身がそれを生かす努力をしたならば、
それに応じて学歴・知識を獲得しそれによって得た社会的地位を得るという事。
そしてその地位の存在と維持の権利を子供が「親からの恩恵」として享受し、親に感謝し親の老後を保障する財力とする事で、
それが親にとって「我慢」の見返りとなる。
よってそれが本人の行為と無関係に第三者によって不当に(つまり冤罪犯罪などで)失われるという事は、
即ち「それが理不尽でない理由」を奪うという事、「親が子のためにする我慢」の成果を強奪するという事だ。
だからこそ「痴漢冤罪が理不尽」だという事になる。
どんなに金持ちだって「やりたい事を我慢する必要」はある。いくつもの「やりたい事」を全部させてもらえなきゃ理不尽だとか言ってたら、
収入がいくらあっても足りませんよ。
だからどれに使い、どれを我慢するかを自由意志によって選択する。その成果を他人が侵さない・強奪しない、されない。これが「人権」の本質であり、
それを尊重することこそが「理不尽ではない」という事だ。
(続き)