(藤田直哉のネット方面見聞録)
自己の解放へ向かう、新しい「弱者男性」論 (朝日新聞, 2021-05-15)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14905319.html

「弱者男性」がネットで大きな議論になっている。「弱者男性」論とは、フェミニズムの隆盛
へのカウンターとして登場した議論で、マジョリティーであり強者であるとされる「男性」の
中にも、「弱者」性を持つ恵まれない者や不幸な者たちがいることを提示するものだ。その
具体的な論拠は、男性の自殺、ホームレス、殺人の被害者数が、女性に比べて多いこと
にある。「ネット論客」と呼ばれる人たちが議論を展開し、少なからぬ支持を集めていた。

その議論は、これまでは、反フェミニズムやミソジニー(女性嫌悪)色の強いバックラッシュと
見られてきた。たとえば、女性の上昇婚志向によって結婚や恋愛ができない男性が出るので
「女をあてがえ」という主張。このような女性への人権侵害的な発想は、そう見られても仕方
がない。あるいは、マジョリティーである男性としての加害性に無自覚で、自らの特権性を奪
われることの危機意識が、反フェミニズムや女性差別の形で出てきているとも見られていた。

だが今回のブームには、それとは異なる部分が目立つ。一つはマイケル・サンデルの近著
「実力も運のうち 能力主義は正義か?」の議論が大きく影響していることだ。サンデルは
本書で、ポリティカル・コレクトネス運動の問題点を指摘する。それは、白人男性のうち、学歴
がない層に対して、あまりにも侮蔑的で攻撃的な態度を「リベラル」のエリートたちが取ることだ。

侮蔑されている中には、障害者や貧困層も含まれているのだが、白人で男性であるというだけで
「強者」扱いになり、いくらでもバカにしていい存在であると見なされる。この鬱憤が、トランプ
支持につながったと、サンデルは言う。「弱者男性」も、同じ構図だ。

(つづく)