どうして怖いゲームを作ろうとして怖いゲームを作れないのか???
宣言されていれば、自分で選べる、進むかどうか
ここをいじれば何か起こるかも、きっと何か悪い事が起こる
そう思っているのに、自分でいじるかいじらないかを選択しなきゃいけない >>152
> 恐怖とは恐怖心という心を想像してもらう事
なる程 でも未知にする部分も必要だと思う
その襲い掛かる困難がプレイヤーの掌握できる範囲の事だと対処すればいいってだけになるから
だから未知にする部分と教える部分が逆転してるんだよね
本当は恐ろしい、自分ではどうしようもない対処できない事がこれから起こる、徐々にそれが迫ってきてる気がする
だったら良いけど
いきなり不意をついて襲って来るけど、対処しないといけない
だったら逆
敵が来たらどんな状態でも対処しろっていうのはだめだけど
これから恐ろしい絶対に乗り越えられない対処なんて出来ないものが近づいてきてるよ
今も近づいてきてるよ・・・と言い続けるのはいい
完全に追いついた時だけプレイヤーに末路を与えてやればいいだけで、無理に近づいて来る必要も無い
何かに追い回される時、意外な事にふらふら足やびっこ引いて歩いて来るなかなか近づいて来ない存在の方が、普通に歩いて来る存在より怖い
走って来る敵は問題外ぐらい
だから白々しい程スローリーの方がいい感じ
態とスローに追いかけてるんじゃないかって思う方がいい
その代りそんなにスローで逃げられるんだからつかまったらどうなるか分かってるのか・・・
未知の部分っていうのは存在に対して未知数だよね
この敵は弱点は背中で正面は無敵だけだ、とか、この敵は完全に自分の攻撃に対して無敵だから逃げるしかない、とか、は明るみに出てるけど
で、脅すのはと言うと突然出てきたりするっていうのは恐怖は少ないけど
兎に角、その存在が近づいて来る、銃も効かなかった、どう対処したら良いか分からない
で、横に置かれてる花瓶を投げつけたら逃げられた、また出て来るかもしれないっていうなら、怖い
兎に角、その存在はそこにいる、銃で撃って全部やっつけた、けど次の部屋に入ったりまたここに戻ってきたらいるかもしれない
っていうのだったら怖い >>148
人はどの時代も同じだと思う
もし難しい問題はいやだと考えるならそれは作ってる側の問題
学校の勉強を楽しむ事も出来るし苦痛に感じる事も出来るけど
興味を持っていれば自分から解きたがる
探究心
提示する謎や問題や難易度はただつまらないものだけどっていうならそんな問題誰も解きたいとは感じない
興味を引いて、謎を解きたい、深層にたどり着きたい、と感じるようにするのがまず第一歩で
そうしたら、その後は突き放しても、攻略サイト読んででも深層にたどり着きたいと思う
人は
要するに作ってる側が下手糞何だよ 今の現代人が本当にゲームごときで苦労が嫌、難しい事考えるのは嫌、適当に銃ぶっ放したいだけかどうかの話してると思う
作ってる側がそれしか作れないだけだと思うけど
実際は苦労したいし苦労こそ面白いと感じてる 宣伝力と値段といかに据え置きゲームの前に座る気を起こすかという問題もあるな
まあ怖くてやる気が起きないのは嬉しいが 敵キャラに見せ場もあげたいが俺は一方的に追いつめられるの嫌なんでちゃんと戦って倒せるのがいい
謎解きだけの脱出ゲーは勘弁 敵を倒すのは必要だと思うけど、戦ってると自分から助かろうとしてないのに勝手に話は進んで助かるっていうのはだめかと
謎を解かないと永遠に閉じ込められ続ける+閉じ込められたところには恐ろしい化け物もいる
だったら開放されるまで化け物を倒さないといけないから、謎を解かないといけないのと、化け物を倒さないといけないのは同じ目的の為になる
王道パターン ここでずっと言われてる「謎を解く」っていうのが意味わからないんだが 助かる為の謎 問題の事
敵を倒す事が謎だったら謎解きは敵を倒す事
恐怖=困った事態に陥っちゃった→どうしたらいい?=謎解き 足りないのは大音響だろ
ホラーなんて突然の大音響がびびらせの大半だ
ゲームにももっと大音響を入れれば怖くなる それはビックリさせてるだけでホラーでも恐怖でもない
発送が五流の雑魚 コンサートの大音量はビックリしないけど
ホラーゲーの大音量はビックリする
何故だろうな >>166
ホラーのは急に来るから
例えばリンクを踏んで甲高い爆音とともにブラクラ画像が出てきたとしても、
予めそうと分かってて踏んだならあんまり怖くないはず 要するに基本静かなホラーだからこそ、突然の大音量にビックリするわけじゃん
その瞬間ではただビックリするだけだけど、「また来るんじゃないか」とプレイヤーを疑心暗鬼にして
怖がらせる演出として成立するじゃん そういう雰囲気のゲームやった事あるけど演出が下手なせいなのかな、
「あーまたかようぜぇ」としか正直思えなかった
回数が多いせいかな 過去流行ったホラー映画を一通り見てみろ
リングでも呪怨でもみんな怖い部分は突然大音響だ
ゲームにおいてもバイオ1ばかり持ち上げられるのはガッシャン演出が上手かったからに他ならない
人間の狂気がなんたらとか、静謐な雰囲気がふんたらとか全部余計。グロテスクも最低限でよい
一流は考え抜いた結果、かえって安直な手を取る
変なプライド抱えた糞雑魚は凝ったことしようとして爆死する それで怖いならいいんだが
音がしてビックリの効果を最大限に引き出すための演出としてもその凝ったことは必要だろ >>167
164の突然の大音響と167の急に来るっていうのは同じ事だと思うけど
仮にコンサート静かな楽曲で急に大音量を流しても
驚きはするけど「怖い思いをした」と感じるような恐怖感は得られないと思う
怖いと予備知識を持って見た映画なんかでも人は怖いと感じるけど、最初から怖い何かが起こるって分かってる訳だよね
最初から何か怖い事が起こると期待してる時に恐怖を感じる
突然の脅かしは、ただの驚きだけど
恐怖は、何か起こる事を恐れる何か起こる直前まで感じてる気持ちで、それまでの何も起きてない時に感じてる気持ちだから 基本静かって部分は重要だと思う
何も起こらない時間
何も起きず肩透かしを受けたり、ずっとじらされる
音はそのじらす時に使っても良いと思う
騒がしい音を流して何もなしで肩透かし
で何か出てきた時は、その同じ音を使ってもいいけど
少し変化をかけて、何か出たばかりの時は無音で、出たと認識した後から音(音楽)がしだす
見たいにするといいかと
でも何も無い時の脅しのBGMがただのうそにならないように最初からBGMがはいっての登場パターンも入れると良いかと
基本人間はいつ出て来るかと思ってる時こそ怖い
だから何も起きてない静かな静寂な時間を基本にするのは大事だと思う >>166
違いは、暗示にかかってるかどうかだと思う
何で怖いかと言うと何か来るって思ってるから
何か来ると思ってる時「それ!」と言えば何か来たと思って周囲を見回す
その反応と同じで、これから来るものが恐ろしいものだと信じてる程、脅しに敏感になる
音は「それ!」と言うのと同じで「出た」の意味
これから来るものが恐ろしいものだと信じてる程怖いので、その存在を出来るだけ隠して想像だけを膨らして置いた方がいいのではないかと思うけど
誰かが銃を構えているという前情報がなければ銃声は大きな音か花火の音にしか聞こえないし
銃で誰かが狙ってると言ううその情報を真に受けてれば、花火の音に焦って隠れる
全て思い込みから始まってる
でもそれだけで何もしないとそのうち何もないってばれるので、実際にプレイヤーの仲間たちやプレイヤーを殺してやって真実味を与える事は必要
そして思い込みは現実になる
こんな感じじゃない? 何度でもやりなせるゲームでは与えられる恐怖にも限度がある
ゲームはホラーに向いていない媒体 ゾンビUはその辺頑張ってたな
死ぬと別キャラを操作することになるっていう >>176
むしろ何度でもやり直すジャンルだと思うけど
怖い話とか恐怖体験談とかは、同じ話を何度も見て楽しむものだと思う
「ここを調べたら、怖かったんだよね」とか、もう一度見てみたさ
怖いもの見たさってこういう事じゃないかと
やるたびに変る見たいなのにするとむしろ失敗する >>177
結局、同じ敵同じ罠と対峙するのだからあまり意味がない
>>178
そんなん初めて聞いたわw
まあ、ゲームのリトライ問題はそれとは別なんだけど 根本的に作り方がおかしいんだと思う
怖いゲーム=恐怖を避けられるゲーム
怖さを克服してしまうゲーム=(無理にでも)恐怖を乗り越えて進むゲーム
ここにいったら怖い目に遭いますよ
→ 怖い目に遭ったら避ける → 助かる
→ 避けられない 助からない
だと怖いけど
ここにいったら怖い目に遭いますよ
→ 必ず対処して乗り越える → 助かるしかない
だと直ぐ慣れる
例えば、カメラを持った人が精神病院を進むゲームで
前から敵が襲って来る、必ずやり過ごさないといけない
見たいなゲームだと直ぐ対処に慣れる
でも、ここ覗いたらそのまま助からないプレイヤーの選択は間違いでした、ここ覗いたら先に進める
見たいに克服しないゲームだとそこを覗いたらだめだって分かってる
誤った選択肢の先は行き止まり、一度も誤らずに進んだ場合のみ先に進めますよ
今の作ってる人たちって小さい頃本当に怖い話とか一度でも読んだのか疑問だけど
みんな一本道で前から出て来る敵を対処して乗り越えて次に進むものばかり
乗り越え方に、逃げて隠れるか?銃で撃つか?走ってよけるか?違うだけで
一本道どおり進んでいけば失敗してゲームオーバーになる以外絶対自分は死なないんだと分かってるんだから怖いはずが無いと言う 前に進む→何か出て来る→対処する→次→何か出て来る→対処する→次→何か出て来る→対処する→次
ここをいじってみる→何か起こる→ゲームオーバー
ここをいじってみる→安全だった→次→
ここをいじってみる→何か起こる→ゲームオーバー
ここをいじってみる→安全だった→次→
ここをいじってみる→何か起こる→ゲームオーバー
ここをいじってみる→安全だった→次→
何か起こった後平然と生きてる方がおかしい
何か起こったら死ぬから何も起こらない事を願うゲームだったと思う
それが何故か何か起こったら対処するまでやり直すゲームになってて >>182
GmRtlsxw0と同一人物と仮定するけど、それをどうでもいいならおまえの個人的な感想こそどうでもいい、と言ってしまえる
そもそもゲームのリトライは別問題
怪談が終わる前に巻き戻って繰り返されるのだから
>hTdbaviM0
言わんとすることはわからないでもないが、もうちょっと簡潔にまとめてほしいね >>183
一番だめなのは苦労して勝つ事だと思う
作る側は、やってる人に出来るだけ恐怖を与えようと、強い敵や難関を突きつけて
一つ一つを突破する事を難易度上げようとする
でも、実際は一度でも命の危機に瀕して苦労して、それ乗り越えたら、もう生還した英雄ですから
一度英雄になったら次から同じような事が起きてもなんとも感じない
でも小手先だけで生き残って、まだもっと何か恐ろしい事が起こると思っていればずっと怖い
そらそら、恐怖が迫ってきてるよ〜と言い続けるだけでプレイヤーを追い詰められるから
追い詰めたらそれ以上傷を与える必要は無いと思う
プレイヤなんかいつでも殺す事は出来るんだよ
とそぶりを与えていれば、別にプレイヤーを必死に殺す必要性は無いと思う
そして実際いつでも簡単に殺す事が出来る
必死で主人公を狙って来て追い詰めるけど何時も主人公は一歩上でっていうなら
むしろ、敵のそこが知れてる
力量は主人公とぎりぎり程度の差しかない訳で
しかもその説によると、主人公よりぎりぎりで弱いと言う 主人公は絶対に勝てない存在でなきゃいけないと思う
敵から見て主人公は全然本気を出すに値しない存在で、その気になればいつでも息の根を止められる
でもそうしない
何故ならば、プレイヤーの苦しんだり怖がったりするのを見るのが楽しいから
だから代りに、プレイヤーの知り合いや同僚を殺してつるしておいてやる
君の進む先々に・・・
そのシーツ盛り上がってて気になるだろ?
君の同僚の惨殺死体だ
そのコートハンガー気になるだろ?覗いてみな?
ここの警備員をつるしておいたぜ
誰かに助けを呼ぶかい?電話するかい?そいつを次の犠牲者にしてやるぜ
と無言でそれをやってのける
どっかで読んだ事の記憶書き写し再現
でも怖がるのをやめたら興味も無いので殺してやる
何をしようとしても敵が一枚上手で先回りされて何をしても助からないどうしようもないかのような状態で
一つだけ抜け出す道筋が隠されてて、それを見つけ出して逃げる
助かる道を探そうとうかつに調べると、昼間自分と話していた人の惨殺体が見つかる
見つかるだけだと何だから、見つけると何か出て来る
今回は生かしてやろうかな〜どうしようかな〜
完全に運命を握られてる
今作ってる人一向に全力で襲ってきてぎりぎりで助かるのを恐怖だと思ってるようだけど
プレイヤーより弱いのがプレイヤーに出し抜かれる為に出てきてるだけだから >>183
ID:flSp4ow30は俺だが ID:GmRtlsxw0は別の人だよ
あとID:って付けるか安価にするかにしてよ
最近安価したがらない人増えたなー ひとつ考えられる手は人質を取ることだな
ゲームではプレイヤー本体に実質的な危害が加えられなくとも一定の恐怖を担保しうる
サイレントヒル1は闇の勢力に誘拐されて凌辱される娘という構図を上手く描いていた
便利な設定だと思うが他にあまり例を見ない やっぱりちゃんと実際に危害を加えないとだめだと思う
プレイヤー以外にもプレイヤーにも
まず実際に殺される為の登場人物を出さないといけないと思う
それとプレイヤーもきちんと殺される事
今出てるゲームはたいてい脅しだけで何の被害も出ないからいけないんだと思う
警備室に助けを求める → 警備室には誰もいない → 警備室を色々調べてみる → コートハンガー調べる → 警備員がつるされている
厨房探索 → 大きななべに、血のようなものが付いている → 調べる → 同僚の生首が入ってるのが見つかる
電話を発見 → 電話をかけて助けを求める → 友達のチャーリーに → チャーリー死亡確定 →→→ 別の場面 → チャーリーの惨殺死体発見
電話しない → チャーリー生存(この時点では)
見たいなのが至る所にちりばめられている
おまけ
電話を発見できない → 電話はいずれこの先の特定のシナリオで必要になる → バッドエンド確定
見たいな感じで、電話は一概に見つけちゃいけない訳でもない
初期に手に入って何に使うか分からない あんた2chに慣れてなさすぎ
というか合わせる気ないな プレイヤーの実際殺されるパターも作らないとね
初級
探索中開けてはいけない窓を開けてしまう → 窓から変なのが出てきて殺される
覗いてはいけない井戸を覗いてしまう → 手が出てきて引きずり込まれる
中級
何かから逃げていて、やってはいけない対処手段をする
ベッドの下に隠れる → ベッドの上から串刺しにされる
上級
必要なものを持っていない
この先は闇が広がってる部屋 → この時点で懐中電灯を持っていないと位置口は行き止まりでそこの先には入れない → そこに入れないと深層にたどり着けずバッドエンド確定 → このままシナリオを進めると最終的にエンディングで殺される
(懐中電灯持ってると未知の場所に入れる)
見たいにバッドエンドで殺される
前から来るトラップに全て受けてたつ → 全て乗り越えたら次に進めるっていうのはだめ
何かにはまったらその先は無い → ゲームオーバー そういうのにはまらなかった人だけ先に進める、見たいに作らないとだめだと思う >>193
いいんだ
見辛いだけで言ってる事は参考になるし で、やってはいけない事も場合によっては先に進むのに必要になったりすると、やってる側から見て「これはやっていいのかいけないのか」慎重になって来ていいと思う
この井戸は何もしないで覗いたら → 引きずり込まれた
特定の条件化でこの井戸を覗いたら(調べたら) → バッドエンド回避のキーになる何かを手に入れられる
とか、その井戸が殺される井戸だと思っていれば、条件を満たしていなければ殺されると分かってる所に手を伸ばさなきゃいけない事になるから
何をすると確実に安全で、何は確実にいけないとか、そういう確実な部分を出来るだけ排除して こまごまとした例をいくつも並べ立てているせいで余計わかりづらくなっている
例はひとつに絞った上で自論を簡潔にまとめよ
あと同じことを何度も書かない グラフィックが良くなったとしても例えばPS4のFFとかMGS4みたいなグラで
モンスターが出てきても暗がりに放置されても大して怖くないような気がした そういう作画のホラーゲーが無いんだから「気がした」としか言えないんだけど
何突っかかって来てんの? ゲームがホラーに向いてない理由はリトライの他にもまだあって、
注意させるのが難しいという問題がある
ゲームってのは注意力をどこに振り分けるかをプレイヤーが決めていくのが醍醐味だ
それが自由度でもある
言い換えれば、「怖い物を用意したのに余所見している」という可能性を潰しきれない
あまり注意を誘導しすぎるのは作為的でよくないし意図がバレる
バイオの固定カメラはホラー演出という観点からは理想的なシステムだった
操作性最悪だが それはRPGやなんかでも逃れられない宿命だよ
そういう意味で大きな音で無理やり注意を向けさせるのは卑怯だけど効果的 ゲームに向いてるジャンルだと思うけど
ゲームではプレイヤーの興味を持ったところにプレイヤー自ら触れる事は出来る
気になった箇所を自分から調べて見れるっていうのは一方的にプラスになってると思うけど
映画等でやってる、突然BGM止めたり変化を強調するような、ここは怪しいと言う演出を必要としないで
プレイヤーの自分の怪しいと思ったところを調べる事出来る
映画等だったらバスルームから水の流れる音に態々ここを主人公は怪しいと思ったんだって演出とそこに対して不安を掻き立てる演出を必要とするけど
ゲームだったら、プレイヤーはただ自分の気になった箇所を恐る恐る調べるだけでそれと同等以上の効果になる
プレイヤーは自ら何か起こるかもしれないバスルームに入って、バスタブを覗いて調べてみる・・・・・どうなる?
何起こるか分からない分からない屋内、施設、空間を恐る恐る調べなければいけない
無言で何か置いておけば勝手に怖がって調べるかどうか考えるから
もちろん実際に調べて怖い事は起きる可能性の裏づけに支えられている
怖さなんて幾らでも上げられると思うけど
今出てるこのジャンルのゲームはただ演出が極端に下手なだけだと思う >>202
ゲームでは隠した方がいいですよ
プレイヤーに対して「ここを見なさい」「見てもらいたいここに注意を払いなさい」と言うより
プレイヤー自ら隠されているそれを見つけ出すように、隠して置いた方がゲームとして面白いと思います
どちらかと言うと演出は後手で、プレイヤーがそれを見つけた時、調べた時等、プレイヤーの行動に対して何か起きる時、音でも立てた方がいいと思います
ゲームはプレイヤーの行動がまず先 隠すっていっても、本当に見つけ難いように隠すのと、プレイヤーの目の前に整然と並んでる中の一つと言うだけというのと
色々ですけど だから連レスするな。簡潔にまとめろ
プレイヤーが任意で調べるという時点で怖さは半減する
なぜなら覚悟が決まってるから
恐怖というのは不意打ちを決めないとどうにもならない
多くのプレイヤーがこの形式のゲームに慣れたというのもある
知らないなら無作為な調査から出てきたものに驚くだろうが、そのうちパターンが割れてしまう
バイオ2以降が怖くないのはこれも理由のひとつだろうだ いや、探すっていうのはそれだけ意識が視覚に集中するから
露骨に不気味な空間の中で探しものをさせられたりしても怖いし
自分から嫌な空間に突っ込んでいく、肝試し的な怖さもある
あと>>205はもうなるべく連レスやめてくれ >>206
それは逆ではないかと
何か起こると言う予備知識をもってないとプレイヤーは何も分からないから怖がれない
それを恐怖を発するものだと分かってるのは製作者だけで
「覚悟出来ない」とはこれから何か起こる、または起こりそうと言う事を知ってる上での「その起こる事に対して覚悟出来てない」
「知らない」のとは違う
知らなければ何か起こっても驚いただけで終了する
覚悟するとは、その出来事に対して、もう起きても良いと準備を整えている状態
覚悟できないとは、その出来事に対して準備は出来ていない状態
知らなければ「まだ覚悟を出来ない」事も出来ない
基本恐怖は、これから起こる負の何かに対して感じるもので、何もまだ起きてない平常時に感じる
何か起きた時に感じるのは驚きではないかと
その時、恐怖も感じるなら、何か起きてから危害を及ぼされるまでの未来に対して
自分を傷つける未来の足音に対して
怖いと感じる時プレイヤーは必ず、何か起こると前もって思っていて自分から行動してる
だから、むやみに安全な場所で立ち止まってる今の状態を変えようとしない
曲がり角を曲がったり、扉を開いたり、何かを調べたり
何か状況の変化を作ると何か起こる可能性を案じてなかなか動けない
ゲームの主人公から見て何が起こるか分ってないのだったら、覚悟出来てないし、または覚悟できないように作る
具体的に何が起こるか知っていてそれに対する対策を整えて望むなら覚悟できてしまうけど
でも、未知の世界へ一歩踏み出す時には何か起こったらどうしようと感じるのは、何か悪い事が起きるかもしれないと案じていて実際にそういう目に遭遇するからで
自分の思いと無関係な所で怖い事だと称する事が起こっててもそんなに恐怖を感じないと思う
注意を払っているところに不意打ちとはどういう事をいっているのかそれで恐怖を感じる場面の例を挙げてもらえると助かるけど >>207
露骨に不気味な空間より、不気味でない方が実は怖いと思う
人形とか、ピエロとか、子供とか、本当はもともとは人から受け入れられやすいものとして作られた物だけどそういう物こそ恐怖の題材になりやすかったりする
整った世界や整然とした世界は、それと真逆の事が起こる暗示になる
本当はどろどろしているのに、表面は整っていてきれいに見える
でも、どこかに決定的に違和感を感じる
きれいに整然とした一見すると何も無い普通のオフィス、だけど人は誰もいない、とか
または散らかったいつものオフィス、とか
存在して当たり前の物がその空間からは抜け落ちていて、存在するはずの無い物がそこには存在する、とか
怖いのは不気味な空間を探索するからと言うよりも、「何か起こりそうだから」「今やってる事の先に実際に何か起こる(と信じてる)から」だと思う
だから空間だけをどんなにどろどろした見た目に作っても、何も起こらないとプレイヤーの思ってる状態の不気味などろどろした空間は探索しても恐怖は特に感じない
だから何か起こると信じ込むにたるだけの状況を作り出さないといけない
何かこれからひどい事が起こると言う警告、調べてはいけない場所を調べれば悪い事が起こる、選択を誤れば悪い事が起こる
そして実際仲間たちが実際に殺される(自分の未来の姿)、自分もそこでとった行動によって実際に殺される未来が存在する
警告とは例えば、登場人物のみんなが「こんなひどい惨劇が起こった」と事件の始まる前に口々に言う、とか、これからひどい目に遭う事を彷彿とするような態度や仕草ミスリード
何か起こるとは、ここを触れば幽霊が出て来る、ここを開ければ死体が出て来る、ここを調べればプレイヤーが死ぬ事になる、とか
出来るだけ1レスにまとめます ごめんなさい、もう1レス補足
露骨に不気味な空間が悪いっていってる訳じゃないです >>208
ごちゃごちゃとわかりづらい
もはや主旨もわからん
以降はおまえにはレスしない 基本恐怖とは止まっている何も無い場面で感じるこれから起こるだろう事に何も出来ない時の気持ちの事で、何か起こっている時に感じるのは驚きとか痛み
かと
恐怖は、危険に対して安全を確保する為に「逃げたい」「逃げなきゃ」と感じるため生理反応で、備えの為のこれから起こる未来の事に対しての気持ちだから
未来に対して未だ何も起きてない時に感じる気持ちで
要するに、何も無い平常時に感じる気持ち
だから不意打ちで恐怖を感じるというのは物理的に無いと思う 物理的の使い方へんだぞ
それと恐怖は平常時だと思ってたのが平常時とはなにか違うって気付いて感じるものだ 平常時というか、まだ何も起きていない時の事、これから起こる何か起こる前の段階の時 お化け屋敷は、お化けが出現した時の怖さだけでなく
出現する前の怖さも重要だ 技術の進歩で余計な物を映したがるって側面も持ってると思う
きれいな映像を映りたい余り全体像を映してしまう
人だったら人だけ、台詞だったら台詞だけ、人の顔と台詞だけを強調したら、その外の部分は見てる側からすれば目隠し状態なのと同じで
特定の情報だけ小出しにされてる
伝えたい部分の内容のみ伝えられる >>201
バイオの固定カメラのいいところは、自分の身の回りを含めた全体像を見えると言う事だと思う
自分の周囲を客観的に見れる
でもこれって、実はキャラ本人の視点に一番近いよね
人は、周囲を見る為にいちいち視点を動かしたり体の向きを180度変えたりしない
それに、ふと後ろに人のいる気配を感じるっていう事も
全体像第3者視点で移しているようで、一番その場にいるキャラの視点や感覚に近い
だから、何か起こってもそれを肌で感じる感覚をきちんと伝えられる
本物の人間は自分の正面に見える物しか分からない訳じゃないんだよねって事
でもゲーム内のキャラは正面しか見えなければ、正面しか見えないと言う 人は視界の外の時計をチラッと見るだけでも横目で見るだけでも認識できる
でも、ゲーム画面は時計を画面内に収めなければ認識できない コントローラをPDAに見立ててるWiiUで解決済み
ぶっちゃけ環境情報をモニタ以外の要素で伝えるのはDCで既にやってるんだがな 解決してないと思うけど
実際のところ人は自分の後ろに存在するものに対してもきちんと認識してる(または思い込みでそこに存在すると思い込んでる)
画面に映し出された部屋の全体像にプレイヤーがチラッと目をやる事で、その画面内の何かを認識するのと
現実空間の部屋で人のチラッと見たい場所を見ると言うのは同じ事で
何かを見る為に、「見る」と言う作業を別途に行う事を必要とするのとはまた違う
「この位置に視界を持ってきて」何てやっていたらまどろっこしい
首をこっち向きに動かして、視線をこっちにやって、なんて日常生活では考えない
「見たい場所を見る為の動作」と言うものを必要としないで「見たければそのまま見れる」
要するに人は、現実空間の中で物を見るのに気になった物を「視界を調節して"見ようとする"」と言う段階を踏まずにそのまま直接「気になった場所を見る」と言う事を出来る
同じ事をゲーム内でやるなら、ゲーム画面で人がそのまま全体像の映った画面から直接「気になった場所を見る」ようにするしかないし
それが一番現実世界で物を認識する感覚に近い お前は端的にゲームってメディアが出来ないことを持ち出そうとしているだけ
画面に映っていない右側が見たかったら「この位置に視界を持ってきて」なんて考えてるのか?
現実世界で首を右に回すように何も考えずにスティック右に倒してるんじゃねーの?
(ゲームは現実じゃないから)ゲームと現実との間に発生するギャップがあるからダメだなんてのはおかしいだろ
そのギャップとどう付き合うかとかいかに上手く利用するか考えられないならなんつーか、アレだな
つかこういっちゃ何だが「今年心理学を履修した大学一年生」臭がすごいぞ 現実世界の人は例えば部屋の隅にりんごが落ちていれば、部屋に入って直ぐにりんごを認識できますよね?
りんごを認識するのに「首や目の位置をりんごの向きに向けないといけない」なんていちいち考えない
部屋の中を一枚得のように見てその中のものを認識できる
それは一画面で全ての部屋を見れるカメラの視点と同じで・・・
ゲームの主観視点は現実の人間の視点と比べるとても視野は狭いから
ゲームの主観視点で部屋に入ってから部屋の隅のりんごを認識するにはカメラを色々動かさないといけない
何しろ自分の前しか見れないから 要するに何かを見るのに首を回したりしないで、一目で見れるって事 それに恐怖演出との合性もいい
後ろから何かが迫って来る時、後ろがきちんと見えてないと何も感じないから >現実世界の人は例えば部屋の隅にりんごが落ちていれば、部屋に入って直ぐにりんごを認識できますよね?
ゲームで部屋に入ってすぐりんごがあることを分かってほしいなら
「分かってもらえる位置に置く」
それがゲームデザイン。やっぱり片手落ちだな 何もしないのに分かってもらえる位置に置いたら恐怖にならない
画面の隅っこにもともと見える位置に置かれてるのに、本当は目の前にずっと置かれているのに、でも気がつかない
でも気が付かなければひどい結末が待ってる
それが恐怖系のゲームのゲームデザインかと
恐怖を与えたいなら隠すのは基本じゃないかと
瞬間の直感で見つけて欲しいのに、分かってもらえる位置に置かなきゃ認識できない方がゲーム的に問題ではないかと
自分で探し出さなきゃいけない、けど自分でカメラを回して探すと言う行為を必要としない
自分で探すのに直接自分の目だけで探し出す事が出来る
何かから逃げている時ぱっと瞬時に部屋全体を見てどうすれば良いか探し出す
そういうてきぱきした行動は主観位置にカメラつけてたらとても無理
生身の人間でそんな視野狭かったら病気
見つけづらいものを自分の感覚で見つけられるからいいんだって
この視点が一番キャラ=自分になってる この視点が一番っていうのはいいすぎかな?
全体像を客観的に写した視点こそ一番キャラ=自分に近い お前日本語読めるけど中身が分からないとかそういうんじゃないだろうな?
お前の言ってる「できない」は提供者によるフォローがきかないものなのか、って訊いてるんだよ >>221
工学部だが
プロファイリングごっこやめようよ 「何をやってもやりたい事(目的、生還)を達成できない」
自分で頭を使って(?)考えないとだめだと思う
一本道で進んでいればそのうちエンディングになるのは自分で何も考えないから
自分は最終的にこうなりたいけど、でも何度やってもこうならない
どこにいってもいる何から逃げたいけど、完全にそいつから逃げ切る事が出来ない
そいつに病院かなんかに閉じ込められて、必死に抜け道を探し出して外に逃げられた → けど、エンディング後もそいつの気配が消えない
何かすると別のシナリオに進めてそいつを溶鉱炉かなんかに落としてみた → けどエンディングの後まだいる気がする
何度やっても変えられない未来、自分でどうしたら良いか考える
隠されてる深層を探し出して 色んなスレで長文書き込んで全部反論されて逃げてる壊レコナラティブ君の今の心境かな? 本当は単純で小さな同じ場所や同じ出来事に閉じ込めておけば良いんだけど
どこに行っても変り映えのしない空間、同じ場所をぐるぐる回ってるだけで何も変化しない
その中に助かる鍵は隠されてる
助かる道は本当は簡単な事
それをどう隠すか?
いつも同じ場所から抜け出す事が出来ない
どこに行っても、見慣れた見尽した空間
その中で別の空間を見つけ出すには?
例えるなら知恵の輪
どこをいじっても同じところにしか動けないし、同じ結果にしかならない
でも、ちょっとした、本当は簡単な事、それを見つけ出す事が出来れば、次の段階に進める
そういうのが恐怖系ゲームの基本構造かと
何をやっても抜け出す事の出来ない、どこに行っても同じ、代り映えの無い景色
だから同じ場所から出られない、何をやっても同じ結果しか起きない
そこからどう変るか?何をしたら変るか?を探し出すゲーム
それがこのジャンルのゲームの基本構造かと
これを試してみた→何も変化無かった 鍵を見つけた→いける場所が広がった
ここを試してみた→やっぱり殺された この選択をした→ここで殺される事を回避できた
これをしてみた→やっぱり同じバッドエンドになった
ここをいじってみた→いつもと違う部屋に、違う場所に、見た事の無い場所に侵入できた、何か変るかも
それを骨格に、敵とかを配置してみるととたんに恐怖は出てこのジャンルになる
恐怖感0のゲームばかりなのはその事を分かってない人が作ってるから
前方から敵が迫ってきたり、それを強敵にする、どう潜り抜けるか?見たいにしてるから
構造が基本的にずれてる プレイヤーのやった事に対して良い悪いをつける
新しい部屋を発見した → 中は真っ暗い → 見える位置に調べると蛍光灯のスイッチを発見
→ つけると・・・何かいて襲い掛かられる(つけるまでは何も無い) → そのままゲームオーバー? or 逃げ出して助かるも、そこで手に入るはずの何か大切なものが手に入らずバッドエンド確定
→ つけないと それを回避できる
→ 特定の条件を整えてからつける → 何もいない → 部屋を探索すると何か発見 → 次のシナリオに進める
では、そんな仕掛けばかりの空間を安心して探索できますか?
プレイヤーのやった行動に対して結末をどうするかって言うのは基本だと思う
プレイヤーのやった事に対して、結末として、成否、正誤をつける
自分の判断で試した事と(それに対する結果と)、ゲーム側の指示でやった事とでは全然違う
自分でした判断だからその行動は正しいか間違ってるかも分からない グロい敵を出せば怖がると思ってる
即死増やせば怖がると思ってる
暗くすれば怖がると思ってる グロいのを出せば怖がるんじゃね精神は今の業界に確実にある
映画でもゲームでも小説でも
それがチープなホラーを量産してる
正直サスペンスの方がホラーの参考になるものは多い 強い敵を出したら怖がると思ってる
敵に抵抗できなければ怖いと思ってる
その強い敵を対処すると言う矛盾 サバイバル○ラーの定義
バイオの三上と言う人の言ってる定義は間違ってると思う
○ラーの定義、恐怖を受けるゲーム
どこに恐怖を受けるか?を考えて恐怖を与える
サバイバル○ラーの定義は恐怖を受けるその空間で生き残る事
○ラーの世界での生存活動の事
○ラー空間で生き残るために試行錯誤するゲーム
どうしたら生き残れるか?を考えるゲーム
どうやっても死ぬ中でどうやったら死を回避出来るか?を考える事を楽しむゲームの総称
サバイバルには生存という意味しかないので、倒すと言う意味で使うのはおかしい
爽快感と言うのもおかしい
具体的に言えば、密室に殺人鬼と一緒に閉じ込められた、一度も戦う事もしないで出会いもしないで恐怖を体感しながら外に逃げるようなのもサバイバル○ラー
生き残れないと言うのがデフォルトでそれから生き残れるように未来を変える楽しみ
絶対生き残れないと感じないような、進んでさえいたらいい状況で、頭を使って未来を変えようと考えず進んでいるだけなのはサバイバル○ラーでは無いと思う
次々襲い来る強敵を回避し続けてさえいれば、勝手に話は進んで生還する事になるような作りのゲームはサバイバル○ラーでは無い
脅かすだけと言うのもだめ
生き残る為の生存の為の経路を無から見つけ出すのを楽しむのがサバイバル○ラー サバゲー+ホラーじゃないのか
ところでこのスレはフリーホラーゲームスレなの? 悪い例
作中プレイヤーの間違った選択と言うものは存在しない
どんな選択をしても失敗以外で死ぬ事は絶対無い
突き当たる困難は必ず乗り越えて進まなきゃいけない
何をするとどうなるか?(何をするとゲームオーバーになるか?)は最初から分かっている
例)・「空き缶を落とすと音がする」 「プレイヤーは誤って物音を立てる → すると敵が来る」 と分かっている、その状態で誤って物音を立てる(最初からどうなるかも知ってる)
・この先、強敵が待ち構えている この敵はこんなに強い、残酷で恐ろしい この敵を倒さない限り先には進めない でもこの敵を倒したら次に進めるのは保障済み
いい例
プレイヤーは間違った判断をした場合その先の結末は、ゲームオーバーやバッドエンドに続いている
間違った選択は最悪死ぬ事を意味する
判断が間違っているか正しいかどうかは、予めは分からない、プレイヤーの判断や探索によってのみその答えを見つける事が出来る
例)・探索中、特定の場所を調べる → 敵が出て来る
・扉が三つ並んでいる 赤 青 黄色 赤以外に入るとゲームオーバー 青はだめだと言う情報と、黄色はだめだと言う情報はどこかに隠されている その両方の情報を得ておかないと赤にはいってもゲームオーバー、その状態で選ばされる
その状態でここまで来てしまったらどれか今選ばなければいけない
どれだけの情報を得ている段階で、どの扉に入ったかで、また結末は全部違う
・この道を進んだらそこには悪魔がいて、殺されてバッドエンドになるしかない、一度入る選択をしたら引き返す事は出来ない、それを主人公キャラはその情報をつかまなければ知るよしも無い
でも情報を得ていてそこに入らなければ、次の道に進める
プレイヤーは自分のした判断の先に何が起こるか分からない不確定性を得るべきだと思う
未知に対する恐怖
どういう時、どう対応すれば良いのか(よかったのか)、全て分かった上でそこからスタートしても、プレイヤーはゲームオーバーになるのはプレイヤーの落ち度、失敗でしかない
扉の向こう側で何かが扉をガチャガチャしてる・・・
どう対応すべきかその時点ではネタばれしなければ分からない
どう対応しても、悪い結末になりそうな中、悪い結末になるのを避け、どう対応すべきかを探し出そうとする
その時、自分の前に来ている物事に対して、どういう対応をとるかがどういう結果をもたらすか?どういう変化をもたらすか分からない、未知の発展性、プレイヤーから見て千変万化する可能性を秘めて見える
その発展性の中に自分にとって悪い結末を含んでいる
それが恐怖 ぶっちゃけて言うとホラーゲームで怖がりたい人って実は少ないんじゃないかと思ってる この銅像は動き出す物だ
と言えばその銅像は動いているのは当然の事だけど
銅像は動かないものだと言った時、銅像が動き出しそうなのは当然ではない >>242
毎回恐怖を謳い文句にしたゲーム出るたびに全然怖いと思った事無いと言う文句は出る
買い手たちからの需要は高いけど、作り手からの需要は少ない印象
作り手によって作られた内容見る限り恐怖を追い求めている気はしない
買い手たちからの要望で色々な要素を入れるけどたいていは滑っている 何故すべるかと言うと作り手自身は「再現したい恐怖」と言うものを持ってないからで
自分自身の中にはイメージは無いのだから人から聞いた要望を形にして見たってそれらしいものけれど中身の無いものにしかならないのは当然で
作り手自身は恐怖について興味も関心も持ってないけど、買い手たちからは要望は強いと言う不恰好な形態 作り手:自分の作品で恐怖を再現したいと欲求は無い
買い手:怖いゲームを楽しみたいけど、出るゲームは期待通りのものではないため不評
それを見てみると、怖がりたい人は少ないと評価される 現実の恐怖:実利に関係した不安、実際に何か受ける被害に関する拒絶
娯楽の恐怖:安全は確約された上での、現実の恐怖の疑似体験、仮想現実内での安全の確約された上での被害 作り手側も受け手側もしている最大の勘違いは、娯楽の恐怖を現実の恐怖作りこもうとして表現しようとするところ
分かりやすい例だと、プレイヤーのデータを消したりする事で戻る道を消したりする事で恐怖を与えられると思っている
典型的な例だと、プレイヤーを実際に追い詰めようとして例えば敵が強かったり物理的に逃げ切れないようにして現実的に困るようにする
物理的に追い詰める事=恐怖、だと作る側もやる側も考えている
でも実際は、物理的には追い詰めずに仮想的に追い詰められた気持ちを感じるのこそ娯楽の恐怖で
そうしないとどん底まで追い詰められる事も出来ないと 現実の恐怖を娯楽として求めてないなんて皆分かってるんだよ
だからゾンビとか出てくんだろ 仮想の恐怖なのに現実の恐怖を与えようといているのが今の恐怖の考え方
ゾンビとか出て来るのはいいとして
そのゾンビでどうやって恐怖を与えるか
ゾンビは強力でどこまでも執拗で強い
そのゾンビの恐怖表現と言うのはゲームと言う仮想空間の中だけど、与え方はゲーム外の苦労と言う形式で与えようとしている
ぎりぎりまで追い詰めて来る様なゾンビ、何をやっても倒す事の出来ないゾンビ
これはゲーム内から見た「倒す事の出来ない」にはなってない
ゲームの外のプレイヤーとしてみた場合の「倒す事の出来ない」「苦労する」
実際に大変な事を作っても苦労するだけで、それで恐怖を与える事は出来ない
だから恐怖はこれじゃ足りないのか?と判断される
だからもっとぎりぎり、もっと、と考える 現実の恐怖:どう現実に即して追い詰めるか:物理的に敵の強さを上げたり、データを壊したり、難しさを上げる
娯楽の恐怖:どう現実の恐怖を疑似体験するか:何をやっても通らない追い詰められる気持ちをどう再現するか
今のゲームでの恐怖追及は上のそれで
どれだけ強い敵、難しい敵をどう攻略するか?になっている
で、それでは「怖い体験(怖い仮想体験)」は出来ないのは分かっている事で
難しい大変な作用になるだけで
この根本的な勘違いを何とかしないと、大変で難しいゲームの追及にしかならない
本来は安全で楽なゲーム、でも怖いゲームで
恐怖は無いけど、大変で難しいゲームになると言う 仮想のゾンビを出して、プレイヤーが何度やっても先に進めない強さを発揮する
それをもって仮想現実での恐怖とする傾向
でもそれは実際にプレイヤーを苦しめているのでそれは仮想現実での安全な場所での恐怖にはなりえない
本来に必要なのは、安全でプレイヤー自体は苦労しない、されど怖い
空間
次々弱点の無いゾンビが襲い来るのをやっとやっとで対処しても、何度もやり直しても
それは現実面での難しさでしかない
それか現実面でのぎりぎり感
仮想と言うのは安全で実際は自分は傷つかない、そんな状態でなければいけない
本当は安全
でも、不安だけがのしかかる
どうしようもない無力感だけじりじり締め付ける