ブラッドボーンの啓蒙は人ならぬ知識とされているが、それもあくまで人が理解できるレベル(次元)でしかない
つまり啓蒙(人の、低次元の知識)を高めたところで超次元に近づくことはできても、そこに至ることは決してない
啓蒙の数値がエンディング分岐(上位者化)に影響しないのもそのため

だからこそ上位者研究の第一人者として啓蒙を極めたウィレームは人の思索の在り方と限界に絶望した
知識の質や量ではなく、思考や認識の次元そのものを引き上げる事でしか高次元思考者達に追いつくことはできない
その探求の象徴が思考の瞳なのだから、啓蒙と瞳は厳密には区別して考えるべき概念だろう