>>622
あんまりストレートに書くと「それはねーよ」って足蹴りされるだけだから直接的には書いてこなかったが、
獣切り離した人は上位者であると言いたいのね俺は。
つまり教会が目指す上位者化(進化)と獣の病を治すことは同じ方向、同じ意図であるということ。
人は獣、人だからこそ獣なら、獣の側面を持たない人は人じゃない。教会の獣に対するイメージが愚かなものであるなら、
その人間の愚かな部分を消し去る所業というのはまさに進化。為した先は上位者であると。
教会の狩人たちは装束のテキストから狩りを研究とみなし、病の探求は医療行為には必要不可欠なのは当然のこと。
獣の病を根底から無くすことすなわち新たな存在を目指すことと同じだと。

>獣を憎む負の感情が獣性でありそれが強いヤーナム市民は獣化するということか?
特にヤーナム市街は教会から隔離されてしまって見捨てられた感情という思いが強く、その不安な気持ち、恐怖というのが全て獣に向けられるのは想像に難しくなく、
それこそ身を窶した男の言動のように、我を見失い、怒りや不安、恐怖と言った思いだけが己を生かしてる状態。
そういった気持ちを作り上げてしまったのは、人と獣は同じ存在という真実を皆知らないからで、むしろ知らないから今まで平穏に暮らしてきたとも言える。
聖職者が何故強大な獣になるのかという疑問の「内的衝突」というのは、人らしくあろうとする思いが強ければ強いほど、その反対の獣に対しての迫りくる恐怖や不安といった感情が強くなっていくということで、
間違ってるかもしれんが、ハリーポッターで帽子にクラス分けしてもらう時、ハリーはしきりに
「スリザリンは嫌、スリザリンは嫌」
と言うでしょ?
あの時のハリーの気持ちの中にはスリザリンに対する怖い思いがあったからで、それと同じ現象が聖職者に起きてるということ。
「獣は嫌、獣は嫌」
という気持ちが一般人より強いのは、教会と言う医療行為を担う立場にいるから当たり前で、ハリーポッターと違うのは恐怖の対象が自己の内面に存在しているということ。
それに対する負の感情が我を失わせ獣化へと繋がってしまう。あまりの恐怖、あまりの不安、あまりの憤りから物事を正常に冷静に考えられなくなってしまった様が獣化に繋がると。
血の配布によって教会は市民に「常に人であれ」と投げかけているような状態。市民の意識レベルで人に対する固執というのが生まれ、それは獣に対する恐れや怒りを助長してしまう。
濃厚な人血によって気を静めるとか、ヤーナムでは血を受けること自体が人のままでいることだという思想にも似たもので浸透した。血は人を人のままでいられる薬だと。
それが本当は無意味だってことには気づかずに。

>だとすればヤーナムに限らずあちこちで獣化する人間がいることになる
これは、そもそも俺は何故こんな奇妙な病がヤーナムで起きるのかという理由をローランの落とし子に書かれた「冒涜の象徴」という言葉に由来してると思ってるからで、
ローランの落とし子は呪いを齎す。呪いはテキストに書かれてるように「上位者の怒り」。
しかも呪い纏う聖杯は冒涜としていて、上位者に対する冒涜的行為の象徴がローランの落とし子であるということ。
それもただの落とし子ではなくて「獣の病に塗れたローランの」としているため、獣の病と冒涜の象徴であるというのがわかる。
更に婚姻の指輪までアイテムとして出して、上位者の文化なるものまで感じさせている。それなのに落とし子というキーワードを出してくるあたり、
獣の病は過去上位者に対する冒涜的行為(レイプか)によって上位者たちの怒りを買い、呪いとして今日まで続くものになったのだと。
遺跡の直上に存在するヤーナムは、名前からしても遺跡とのつながりが近しいところ。おまけに人ならざる人々という人なのか人じゃないのかわからない種族まで遺跡には存在していたとされ、
その血を受け継いでいるのがヤーナム市民なのだとしたら、風土病という認識になっていてもおかしくない。だからヤーナムに連なる者の血を受けることで獣化の危険性を孕むようになっていると。