本来的には、受け手は出口の扉が開かないと思って
(正確には扉が開かなかったらどうしよう)
扉や窓を開けに向かう訳で

だから、当然扉から出ようとすると、鍵がかかっていたり
殺されたりするような結果が待っているようになる

ところが、今のゲーム制作的には、それらは無駄になる
無駄なので作られない
進んでも行き止まりになるところなんて無駄だから作らない

進めるところだけを作る
すると必然的には一本道をレール通り進む
すると一通り演出が起きる

そんなゲームになる

でも、ただ行き止まりを適当に作ってもそれでは出来ない
受け手の思った危惧としての行き止まりを的確に具現化しなければ受け手の恐怖心は育たない
ただの無意味な正解の道探しになるだけ

まさかここ開けても何も起こらないだろうと持ってるところにいきなり怪物が登場して来てもただ吃驚するだけ

その逆はOK
ここを開ければきっと何かいる、いる、いる・・・いない?
こう感じるのはそれは恐怖心を持っている人間の反応

それかここを開けたらきっといる
”いた”ドキっとする

主にこの二つが恐怖を感じている人間の反応パターン
恐怖心というのは何か起こる前、何も起きていない間に感じるもの
恐怖心とは危険を開始するための感情なので何か起こってからは感じない
だから何も起きていない間がいかに重要か
扉を開ける事で起きる事を怖がっているのなら開ける前までに感じるのが恐怖心
開けて後何か凄惨な出来事が起きて感じるのは恐怖ではない
ちゃんと作られたこのジャンルで凄惨な出来事がその後起きたのならそれは受け手の心で思っている虚像の立証
具現化の意図
なのでそこに恐怖を与えようという意図を与えても恐怖にはならない
今の人間は何も起きない間の使い方が下手どころか皆無で概念自体がない
何故ならただレールを直進するだけで、常に進み続ける前提の構造だから
でも実際このジャンルはきちんと作れたなら止まる事の割合の方が多いはず

何も出来ずする事がない状態をいかに作れるか?
こちらもちゃんとかみ合っていなければ成り立たない
何もないものを作るという事の難しさ

要するに何もかも勘違いで作られている