要するに高飛び込みで何故怖がっているかというと飛び降りたら大変な事になってしまうと思っているからで
いざ飛び込んだ後の結果によってそれの真偽が変る
いざ飛び込んでも無傷で助かる
何度やっても助かるものだ
なのか?
それとも
いざ飛び込む事になったら体がねじ切れる程の痛みを受け絶命する
なのか?

強力な怪物(見た目だけ)が出て来て、必ず主人公はそれを対処出来進める前提でいれば
その怪物は何ら力を持っていない事がすぐにばれる訳で
血みどろで凄惨な光景が広がっていて、主人公に傷一つ付けられないのなら
それはこけおどしだとすぐばれる訳で
恐怖が慣れると言ってる人たちの作る作品はどれも
如何に凄惨か?如何に強いか?をアピールするけどいつも勝つのは主人公
それをただ続けるだけの内容になっている

また、何度も言っている通り恐怖とは未来の感覚
これから起きる事に対して感じる感覚
なので恐怖を感じるためには、何かが起きる前までの時間を長々とらなければいけない
けれど、恐怖が慣れると思っている人の作る内容は
恐怖は何かを起こした事で感じると思っていて
更に未知という意味は知らない事だと思っているため
まさか何か起こると思っていないところに不意を突いていきなり一瞬で何かが出て来て
という構図をとりたがる
なので、恐怖を感じる時間が殆どないが、主人公はそれをさばき続けているのですぐ慣れる
という構造になっている

だから恐怖を殆ど感じず吃驚するだけという内容になる
それを慣れたと錯覚する