なる程、でも創作では論理化は必要かと
何故なら現実世界での違和感は、人間が自分からは見えないそこに分からない理屈の存在(要するに意味)を感じるで事自分の届かないものを感じる
ゲームや創作で意味を作らないという事は“真実が何の意味もない”という事になってしまう
それは受け手に簡単に見抜かれる、思わせぶりだけで要するに何も作ってないんだなと
ゲームは人が作ってるものだという前提があるからそれが一層強まる

人は意味を求める生き物で、意味を探究するからこそ恐怖心を作り出す
意味がないけど作ってみましたというのは覚める原因になる
きちんと意味を作っておいてきちんと探究出来るようにしないと

>自由度があるとこういうのが演出できない
具体的に何故?

>道筋が決められてないなら
自由度はあっても道筋は決められる
今の作品の構造は、自由度がない、そして道筋が作者によって決められている

例えば、閉じ込められた部屋に窓と扉が付いているが
作者の進ませたい、パズルを解いてオルゴールを開けて、オルゴールの中の鍵をとって奥へ進む扉を開けボスを倒す
等と決められていたら
窓と扉から外へ出ようと試みる事は出来ず窓や扉は背景で触れられない
要するに作者の予め決めた行動と手順しかとれない、作者の指定したものしか見れないように作られている

自由度を許すとこんな内容になる
扉も窓も試みを試そうとする事は出来、でも今扉から出ようとした場合殺される、窓も直ちには開かない
正しい手順通りにしか進めない
正しい手順通りに進むといずれ閉ざされていた場所も通れるようになるかも

基本的にプレイヤーの見たい場所を見れてプレイヤーのやりたい行動を試す事が出来る前提
但し正しい手順をたどらなければ先へは進めない(自由度というと何故かこれが消え、一本道というと今度は何故か自由が消える不思議)

好きな進み方を分岐して出来るというのは基本的にはダメ
何故なら正しい手順以外認められないからこそ恐怖につながるから

>初見からすれば一本道だって未知の探索
それから、恐怖でいう未知というのは既知でないという事ではないという点
未知への恐怖とは未来は千変万化する不安定なものという意味
知らない事は怖がれない
そして一本道は千変万化しない前提

目の前に出て来た扉を開けるか開けないか?
それは受け手に決める権利がある
その扉を開けた時、その未来が光にも闇にもなりうるからこそ
未来への一歩は何が起こるか分からないから怖いという意味、未知への恐怖とは

だから一本道で進んでさえいればなるようになる事が約束された環境下では恐怖は感じない
出来る演出は必然的に恐怖は感じないからびっくりになる
生き残り進む前提でいれば、それはただの脅かしにしかならないのだから