>>416
人間は「ラオインの吠える映像」を見ても基本怖いと感じない 、でもライオンのいる部屋に一緒に閉じ込められれば怖い

「ライオンの吠える映像で怖がる場合もある」
それはライオンの映像を見て自分が捕食される事を想像する場合

それは同じ映像を何度も見ている内に感じないようになる
それは映像を見ても実際に襲われる事はない事を感覚として理解するから
でもそうなった後にライオンの部屋に閉じ込めればやっぱり恐怖する

それは映像は何度見ても無害だと分かったけどライオンの部屋は実害を感じるから

ゲーム作品を遊んで怖いと人間が感じるのは作中の人間が実害を受ける状態にいるから
作中の人物が実害を受けるのを見て、上のライオンが自分を捕食する事を想像するのと同じ状態になるため
自分も同じ立場に立ったらそうなるんだと

映像の場合、無害だと立証はされる
けれどゲームや映画の場合無害とは立証はされない
それはあなたの後ろにいる
かもね
と持って行こうとする
作品で起きている事は事実でないと否定はされない
事実かもしれない

慣れると言っている人間の作品を見てみると
作中でその登場人物にとって無害な事が証明される
追いかけて来るけど逃げられる
殺すと脅されるけど実際殺されない
どんなに脅しても実際に主人公に実害を与える事のない存在

「初めて」が怖いというのは思い込みの強い人間の思い込みが広まっていて
周囲もそう思い込んでいるだけ
実際は驚いているだけ

>>417
怖いと感じるならそれは実際に自分がそこに落ちる事を想像するから
でも「衝撃的」と感じる人の感じた事は衝撃で恐怖ではない
別の感情
衝撃は慣れる
斬新なものは衝撃を受ける
驚かされただけ
「怖い怖い怖いよお」ではない
「衝撃的だ」
これはそのまんま今の作家の演出と同じ

>>418
それは環境の変化で元々それが怖いものでない状態になっただけ
そのすげぇ怖かった見ていた時に何度見ていても途中から慣れて来て怖くないって事はない、ずっと怖い、そして環境が合えば今もまた怖い