>>829
指輪の存在からクァトが無印の時点で既に女神として崇められていたとする解釈と、治癒の祈りのテキストの「比較的新しい」という文を順当に受け取った場合の解釈で分かれる所だね
考え方による部分なのでどちらも通ると思う
前者を取った場合で付け加えるけど、クァトが毒を身に引き受ける女神でカタリナで信仰されていたとすると、ジークマイヤー親子のストーリーにかなり符号する
・毒を引き受ける女神を指針として同じ様に毒や闇、穢れを引き受ける竜(灰の湖への到達)を求めたと考えられる
・親子して青涙石を着けていて、彼ら親子の旅は愛する人を亡くし、愛するものを殺し殺されるという顛末で、涙石とクァトの鈴の「愛する人を亡くした者を哀れみ清らかな青い涙を流す」と「人を絶望の運命へと導く」というテキストに完全に符号する
これらからジークマイヤーはクァトに導かれて旅をしていたのではないかという説が立てられる
毒を引き受けてくれる神様なら酒飲みだらけでアル中や二日酔い(毒状態)の多かろうカタリナなら有り難がられるだろうしね