某yassieとか某さえのために
>子供の頃から認識していた、無数の具体例から一つ分かりやすいのを挙げてみますと、
>例えば、日本人の日常生活では当たり前な風景である「海苔ご飯を箸で食べる」という
>ことを英語で表現するとなると、 「海苔」を「シーウィード=つまり、海の雑草」、「箸」を
>「チョップスティック=ものをつついたり刺したりするための木の棒のようなイメージ」と
>いうふうに表現するしかなくて、 全体としては「未開人どもが、木の棒を使って、そこい
>らへんの海に浮かんでいた雑草のようなゴミをライスとともに、未開人っぽい原始的な
>仕草でもくもく食べている」といったようなイメージに必然的になってしまいます。
>これは単なる一例に過ぎませんが、全体的な傾向としては、日本・日本語では大変な
>品格があったり、溢れる愛情や親しみの対象だったりする事物が、英語で表現した途端に、
>「どうしようもない原始的な未開人どもが、やはり原始的な未開人どもらしく、世にも
>頓珍漢で荒唐無稽なことをやっているぜ」というような印象を与える表現に化けてしまいます。
>過敏と言われるかもしれませんが、私は子供のときから英語のこのような空気に対しては
>非常に強烈なアレルギー体質で、自分たちがどれだけ根源的にコケにされているか全く
>自覚できずに英語や英語的な空気を浴びせられることに対して憧れのような感情を抱く
>タイプの日本人の精神構造が全く理解できません。